四十三話 感情の名前
私、月乃玲明はこつこつと、まだ人通りの少ない夜明けの道をのあに手を引かれながら歩く。
無言で歩くのあは今までにないほど厳しい顔をしている。思えば廊下の帰り道も、ずっとのあは黙っていた。
(のあは何を考えているのだろう)
そう思いながらも張り詰めた空気を前にすると何も聞けないまま、のあに流され何処に辿り着くのかもわからない道を歩く。
「あの……のあ……」
「何?」
やっとのことで発した言葉にのあから返される言葉も冷たいもので、「ごめん……なさい。なんでも、ない、です」と拙い言葉で返す他なかった。
(なんか、嫌……だな)
のあが冷たいのも嫌だし、何を考えているのかわからないのも怖い。
私は、どうしたらいい?どうするべき?何をすればいいの?
どうにもならなくて色々なことが頭の中を巡るうちに、ピタリとのあの足が止まる。
(ここは――)
辿り着いた場所は、ハロウィンの夜が始まった最初の待ち合わせ場所の高台だった。
時間による、景色の違いが纏う雰囲気も変えていて、夜の雰囲気が、少しだけ恐ろしい雰囲気のある異世界ならば、この夜明けの雰囲気は、霞に包まれた神秘的な場所に足を踏みこむような畏れを抱くような感覚だった。
行きがけに吊るしたランタンの光はもう消えており、それもなおさら時間の経過を感じさせた。
戻ってきたんだ。そう思い、さらに辺りを見回そうとして――ぐいっと強く腕がひかれる。
「え」
数秒遅れで、自分の状況を理解した私はポカンと立ち尽くした。
――何故か、私はのあに抱きしめられているのだ。
のあ、と声をかけようとして少し顔を動かすとふいにのあの表情が目に映る。
青色の瞳はゆらゆらと揺れる海のようであり、その表情は今にも泣きそうに歪んでいた。
(……なんで、のあは泣きそうなんだろう)
わからない。何が悲しかったのか、何が嫌だったのか。
こんな状態の、のあにそれを聞いていいのかわからなかった。
……けれど。それを聞くことでのあに何かしてあげられることができるかもしれない、と私は思い切って口を開いた。
「のあ。……私は、のあが何に悲しんでいるのか、理解することができません。……でも、理解りたいとは思っています。
のあが、何を思ったのか……教えてくれませんか?」
「こんのっ、馬鹿っ!!」
「ば、馬鹿ぁっ!?」
頑張って丁寧に頼んだつもりだったのに、急にのあから飛び出した暴言に何か間違えてしまったのだろうかと思考を巡らせ――ようとして、続けて出るのあの暴言にそんな思考はかき消された。
「馬鹿っ!れいの大馬鹿!!」
「だ、だからどうしたんですか……っ!?」
「あんな捨て身なこと、もうやらないでって言ってるんだよっ!!本当に、死んじゃうかと思ったんだから!!」
「自分を大切にしてよ。心配させないでぇ……」と泣いているような、怒っているようなのあを前に私は面食らう。
心配。私は心配されていた?
「……心配、してくれたんですか」
「当たり前でしょ!!なに馬鹿なこと言ってるの!?流石の僕も怒るよ」
その言葉を聞いて、散らばっていた色々なピースが、カチリカチリとはまっていく。
『その人のことが大切だから生まれる感情じゃないかしら?』
『一緒にいるのが心地よくて、でも目が離せない相手……とか?』
『愛を知れば幸せというわけでもないと思いますよ』
『きっと欲の一種なんじゃないか?』
(大切と思う感情であって、大切だからこそ、目が離せなくて心配になる。
でも、知ってしまったら相手のことが心配でたまらなくなってしまったりするから、いっそのこと知らない方がいいとも考えるようになる。
そして、それらは「相手」に幸せであって欲しいという欲……)
全てを理解した訳ではない。間違っているかもしれない。そんな思考を前に、またかけられた言葉を思い出す。
『お前は愛がわからないって言ってたが――お前はちゃんと愛されているよ』
愛がありふれたものであり、私にも向けられている感情であると言ってくれるのなら――
(のあにもらって、私が返したいこの感情の名前は――きっと、愛情だ)
そう、一度理解したらすとんと落ちた。
私は、のあにたくさん愛情をもらっている。……でも、やっぱり、名前がわかったからと言って返し方まではわからな――……いや。
「れい?」
私は、のあの背中側でぶらん、としていた腕を動かし、のあの背中に回した。
(これも、きっと愛情を返す、一つの手段なはず)
名前が、ついたばかりの生まれたての感情だけれど、のあに返せたら……伝わってくれたら嬉しいと、そう思う。
「のあ、ありがとうございます」
「また急にどうしたの。……それで僕のお説教を躱そうとしても逃がさないからね?」
「そんなこと考えて……いや、すみません。ちょっとは考えていました」
「ほらー!!もうっ」
するりといつの間にかお互いの腕が離れ、いつもの距離へと戻った。いつもの距離のはずなのに、妙に先ほどの温もりが恋しくなってしまうのはなんだというのだろう。
名残惜しさは覚えながらものあから言われた言葉に軽口を返したり、いつもの調子で互いに軽口を叩き合いながら会話をする内に、名残惜しさは少しづつ薄れていった。
……なんだか、この行動一つ一つも、感情に名前がついただけでキラキラして見えてしまうのだから不思議なものだ。
「さて、そろそろ帰ろうか」
「今は……大体五時、六時ってところですからまだ支度をする時間は十分に取れそうですね」
「まだ若干暗いから今ならそこまでバレずに帰れるはず……じゃあ、お開きとしようか」
「また、後で会いましょう」
のあの掛け声により、二人で別れて道を歩き出す。
昨夜ここを通ったときとは違う心持ちで、土を固く踏みしめながら歩く自分がいることに何より驚く。
(なんだか、今ならメリア姫になり切れる気がする)
凄く眠くて、体の調子など良くないはずなのに数時間後の学校で行われる劇の練習が楽しみで仕方なくなってしまった。




