四話 木に吊るされている人を見た華道くんのトラウマ
一日というのは私、月乃玲明が思っているよりもずっと早いもので、記憶を失って初日の授業も気が付いたらいつの間にか終わって、日が傾きだす時間になっていた。……さて、ここで本当なら無事に一日の授業を終えられたことをのあと祝って一息つきたいところなのだが、魔術授業後にのあが落としてくれた「重要なこと」という爆弾のせいで、まだ肩の力を抜くこともできないまま、のあに連れられて教室から離れた別の棟を歩いている。
「のあ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか?その『重要な事』がなんなのか」
「そうだね。これ以上先延ばしにすることも出来なさそうだし」
階段を登り切った最上階で、のあは奥に見える一般の教室よりも細やかな装飾の施された、重厚感のある扉を一瞥して足を止めた。どうやら、その扉の奥が目的地のようだ。
「ここは、生徒会室。一般生徒たちの代表として学園運営における業務の一端を担ったり、一般の生徒たちと運営をする国や貴族を繋ぐ役割を持つ生徒会役員って存在がいるんだけど、ここは、その生徒会役員が業務をしたりするための部屋。生徒会役員のテリトリーとでもいった方が分かりやすいかな」
扉がいくらか豪華だったのは特別な部屋だったからか、と納得した。のあは今代表と称したが、実質的には学園内で大きな力をもつトップの人たちと言っても差し支えないのではないだろうか。となると生徒会役員という人々はきっと高位貴族の子女が多いことだろう。そこまで考えたところで私の背筋を汗が伝いだした。
「……まさか、のあ。生徒会役員の人たちに会うためにここに来たとか言いませんよね……?」
「現実逃避しようとしてるとこ非常に申し訳ないけど、そのまさかだね」
「えぇぇぇ…………」
嫌な予感はしていたし、ある程度の心構えもしてきたけれどなんか凄くて偉くて怖そうな人たちに会いに行かなくてはならないのは流石に聞いてない。別に権力にひれ伏すような性質でもないし、私は貴族というわけでもないのでお家同士のなんやかんやもないといえばないため、何が怖いのか言葉にするのは難しいけれど怖いものは怖い。
その思いのたけをのあに視線で訴えるとのあは仕方ないとでもいうように笑みを返した。
「……記憶喪失の事情も伝えずれいを引きずりだしてくのも酷な話か。ちょっと待って先に一応事情だけ話してくる」
そっちの方がいくらかはやりやすいでしょ、と言葉には出さないながら気遣ってくれたのあを心の底から拝んだ。と、同時に一人でその生徒会室に乗り込んでいける胆力を尊敬した。
それから十分も経たないうちに、戻ってきたのあに連れられて私もとうとう生徒会室に足を踏み入れた。
(……あれ?そもそもなんで一般生徒に過ぎない私が生徒会室に挨拶しに来てるんだろ?)
何故、生徒会室に連れてこられたのか。その理由を伝えられることは終ぞないまま。
* * *
深い赤のカーペットに、艶のある木材から成る机。外から見た扉の様子に違わず、生徒会室は室内も高級感あふれる内装をしていた。思わずあれこれ眺めてしまいそうになる心を必死に抑え、意を決して正面を向くと奥には三人の人がいた。女子が二人に男子が一人といったところか。
また、その三名は私とのあのローブ、リボン・ネクタイの色が濃紺色なのに対し、深緑色の制服を身に着けていた。確か、学年ごとにローブの色が違うという話を簡単にのあがしていたような気がする。
(濃紺が二年、深紅が一年、そして深緑が三年……だったような)
となると、ここにいる全員が三年生の先輩のらしい。
「華道くん、ご苦労様。月乃くんも、話は華道くんから聞いているけど大変らしいね」
「い、いえ……」
男子生徒が琥珀色の瞳を細めて微笑んだ。そしてのあを一瞥すると、私の方に視線を向け、長く私を見つめた。危惧していたよりも好意的だった反応に安心しつつ、私をじっとみつめる行動の真意がつかめなくて困惑した。
しかし、数秒して男子生徒は男子生徒なりに自分の心の中で結論が出たのか、私から視線を外すと意外な何かを楽しむように、先ほどとはまた違った感情の色を滲ませながら笑みを浮かべた。
「驚いた。まさか本当に記憶喪失してるだなんて。華道くんがそういう類の冗談を言う性質じゃないことは重々承知だけど、現実にありえるだなんて思ってもみなかった」
「峰先輩、れいに対してそういう試し方やめてもらえません?」
「ごめんごめん。君も相変わらずの過保護っぷりだね」
あまりに気安いのあと、峰さんというらしい男子生徒のやりとりにぎょっとするやら、知らない間に何かを試されていたらしいことに驚くやら、もうそろそろ情緒が追い付かなくて混乱し始めた。だが、何故かはわからないが記憶喪失を信じてくれたようだし、その点は良かったと言えよう。
「さてさて、月乃君も本当に記憶喪失してるってことだから、改めて自己紹介しておいた方がいいよね?」
「お願いします」
ぺこりと頭を下げると峰さんは、また楽しそうに目を細めて笑った。そして私の前まで歩いて来ては手を差し出した。
「改めまして、僕は峰叶斗。ルトリア学園高等部の三年生で、生徒会副会長。……ねー、華道くん。出身階級とか面倒くさいのは省いていい?」
「先輩方にとって一般的な自己紹介で出身階級についてはなにも触れないというのならどうぞ」
「……すっごい意地悪な言い方したね君」
のあとの言葉の応酬を経て、峰さんはそれでも楽しそうな様子を崩さずため息をつく。
「家は、大臣家。別に気負わなくていいし、また仲良くしてくれると嬉しいかな」
「み、峰……様?どうぞこちらこそよろしくお願いいたします」
「気負わなくていいっていったのに。もともと月乃くん、僕のことも他のみんなのことも基本的に名字+先輩呼びだったんだから、前と同じ呼び方してほしいなぁ」
「じゃ、じゃあ峰先輩……?」
「よし。それじゃあ今後ともよろしく」
差し出された峰先輩の手を取って握手を交わした。焦げ茶色の髪に、琥珀色の瞳と、見た目から受けた印象は堅かったが、思っていたよりもずっとフレンドリーで、いつの間にか気張った肩の力もいくらかは抜けていた。……それはそれとして、大臣家って六家を除く貴族の中では最上位ではなかっただろうか?そんな人に様もつけず先輩呼びしていた自分が怖い。というかそれを許してくれた先輩の皆々様もすごいと思う。
「ほら悠里くん、僕が先陣切っていった訳だし君が続いてくれてもいいんだよ」
「面倒な流れ作りやがって…………」
そういいつつも、しぶしぶと立ち上がり、峰先輩に続いて私の目の前までやってきたのは一人のご令嬢だった。一番上まで止められていないシャツのボタンに、緩められたネクタイ……と、本当にこの人生徒会役員なのだろうか?と思わず考えてしまうような緩い服装にも驚いたがそれよりも、頭の中で繋がらない様々な要素が気になって仕方なかった。
(令嬢……だよね?でも今、峰先輩は悠里くんって……)
一目見たとき、違和感は覚えつつも耳の後ろで結うくらいの薄茶の髪と澄んだ水色の瞳の儚げな容姿から私は女性だと断定してしまった。しかし、声は低いし、立ち姿を見るとなかなかの長身である。それに制服だってネクタイとズボンだ。線は細いが骨格だって――
とうとうわからなくなってきた私はちょいちょい、と隣に立つのあのローブの裾を引いた。
「ん?れいどうしたの?」
不思議そうな顔をするのあの耳元に顔を寄せて尋ねる。
「あの……峰先輩の隣の先輩ってご令嬢……ですよ、ねっ!?!?」
「れい、ステイ!!」
私が言葉を言い切らないうちにばっとものすごい勢いののあに口を塞がれた。尋常じゃない冷や汗を流しながら、私が今「ご令嬢」と称した人の顔色を伺う横顔はすごい剣幕だった。
「…………れい。あの先輩は男性っ……!!間違えるとほんとに、ほんとに消されるから……!」
「わ、かりました……すみません」
なんだなんだと訝し気に首を傾げる先輩の様子を見ているとガラこそ悪いし、怖いは怖いが、今すぐ襲い掛かってきて殺されるような危険さは感じない。しかし、のあがここまで必死に忠告するというのならそれはきっと私にはわからないなにかがあるのだろう。……何がのあをそうさせたのかは気になるところだが、それを聞く余裕はのあの精神的にも、時間的にもなさそうだった。
「あー……簡単な自己紹介だけでいいんだよな?俺は……悠里。……一条、悠里。生徒会庶務。家柄は名前からわかる通りだ。とはいえ三男坊だから緩く、奔放に生きてるがな。まぁほどほどによろしく」
「よろしくお願いします。……一条先輩」
「雑だなぁ、悠里くん」
「別に、話すことなんて特にないだろ」
一条先輩はぶっきらぼうに自己紹介を終えると、これで用は済んだだろと言わんばかりに自分の椅子に戻っていった。
「ごめんねー、悪い人じゃないんだよ?ガラ悪いし怖いけど」
「叶斗、余計なお世話だ」
ぎろりと睨む一条先輩の視線の鋭さは、射殺されそうだと思うような気迫があったが、峰先輩は真正面から取り合うでもなくはいはーいと返すだけでにこにこしていた。お互いあまり遠慮していない様子を見るに長い付き合いで、仲のいい二人なのかもしれない。
(それはそれとして……一条家ってもしかすると……)
この国に六つしかなく、それぞれ数を表す文字を名字に戴く家というのは六家、もしくはその分家に限られるという話だった気がする。このガラの悪さを思うと分家の出身というだけでも驚ける……だなんておもいながらのあを見ると、のあはやはり私が一条先輩の家柄を正しく読み取れなかったことを察したのか耳打ちした。
「一条先輩は水を司るお家の本家本流、一条家の三男ね」
「ひぇ…………」
本家本流……となると王族の次に位置する家格である。
(もうなにこれ怖い)
自分が思っていた貴族と今のところいろいろ違い過ぎて情報処理が追い付いていない。高位の貴族って皆こうなのか、はたまたこの先輩たちが特殊なのか。……恐らく後者だろう。
「……流れに則るのなら私も自己紹介はしておくべきですね」
一条先輩の自己紹介も一先ずキリがついたところで、今までこちらの話を聞き流しつつ書類作業を進めていた女子生徒が席をたつ。
「私は風夜凜。上級王宮官の家の出で、ここルトリア学園では生徒会長の御役目をいただいています。記憶喪失……ということですので、月乃会計も大変な思いをなさっていると存じますが、今までと変わらぬ働きで業務にあたっていただければ嬉しく思います」
一糸乱れぬ綺麗な所作で優雅に軽く礼をとると、貴族の令嬢にしては少し短めな、肩までつかない銀糸のような髪がさらりと揺れた。だが、私はその綺麗な容姿に気を取られる間もなく、風夜先輩の言葉に返事をする余裕もなく、わなわなと震えながら風夜先輩の言葉を反芻した。
今に至るまで、のあから生徒会室に連れてこられた訳を聞かされていなかった。なぜ私が挨拶する必要があるのか、そして私の挨拶を先輩方も当たり前のように受け入れて、ある程度気安く接してくれるのはなぜなのか。ぼんやりとは考えたいたがずっと謎だった。だが、今の風夜先輩の言葉から考えるのなら――
「わ…………」
「……月乃会計?」
感情の起伏が分かりにくいが、恐らく困惑しているであろう風夜先輩の深緑色の瞳を縋る様な気持ちで見つめて、私は呟いた。
「私って……もしかして生徒会役員でした…………?」
『はい?』
先輩一同が、呆気にとられたような顔で私を見た。視界の端に映るのあはあちゃーとでも声が聞こえてきそうな様子で顔を覆っていた。
* * *
「まさか華道が説明してないだなんて思ってもみなかったんだが……逆に月乃が生徒会役員であることを言わずに何を説明してたんだよ」
「だって……部屋に入る前のれいに貴方は生徒会役員です、なんて言ったら今にも卒倒しそうだったんですよ?だからとりあえず、生徒会についてだけ説明しておこうかと……」
「その前提を話さなけりゃ、進む話も進まねぇよ!!」
「今回に関しては一条先輩がごもっとも……」
言いあう一条先輩とのあの様子を横目に、私は向かいに座る風夜先輩と峰先輩に視線を戻す。
「月乃会計。落ち着きましたか?」
「おかげ様で……。すみません、ありがとうございました」
「気にしなくていいよ。驚くのも無理はないしね」
自分が生徒会役員だったのでは?と気づいて数分。結論から言うのなら私は本当に生徒会役員、会計の月乃玲明だった。そして、のあも生徒会書記の華道のあらしい。どおりでのあと先輩のやり取りも緩いわけである。だが、そんな納得もよそに、新たな情報に次ぐ情報でとうとう頭がパンクした私はその話を聞いた瞬間ふらりと倒れかけた。
とりあえず時間をおこうという先輩方のありがたい判断によって、場所を生徒会内の応接スペースへと移して数分休ませてもらっていたのである。
「というか月乃くん、僕等自己紹介で今後よろしくって言われて不思議に思わなかったの?」
「いや……不思議には思いましたが、同じ学園で生活しているわけですし、そういう広い意味での社交辞令?的な意味でのよろしくなのかな、と思って……」
「これからまた同じ仕事に当たる仲間としてのよろしく、だとは夢にも思わなかったわけだ」
峰先輩の言葉にこくこくと何度も頷きを返した。言葉の真意は今になって理解したものの、先輩方と一緒に学園の代表としての業務にあたるなんて想像がつかないし、正直不安すぎる。仮に昔の私が出来ていたのだとしても、今の私が同じだけの能力を持っている保証などどこにもない。
「それにしたってなんで平民の私が生徒会役員に…………」
「あぁ、それは――」
いつの間にか一条先輩との口論を終え、私の近くまで来ていたのあが私の呟きを拾って囁く。
「僕等は国の推薦を得て入学したわけなんだけど、傍目にみたらそんなことわからないでしょ?だから生徒会役員っていうわかりやすい立場を与えて学園も、ひいては国も、僕等に目をかけているってことをアピールしたいわけ。……将来僕らが魔術師として大成することを見込んでだけどね。そしたら僕らを見出した学園には拍が付くから……」
「……………………」
なにその傍迷惑で面倒な理由……と思ったが口に出さなかった私を褒めてほしいと思う。今まで平民なのだから権力争い的なものとは無縁だろうとおもっていたのだが、どうやら私の認識が甘かったようだ。
「これって、もし今の私が生徒会役員として求められる能力を持っていなかったとしても、国から与えられた役割だから降りることは許されない感じですか……」
「月乃会計は解任をお望みで?」
風夜先輩が感情の凪いだ瞳で尋ねた。ともすれば不快感から発された鋭い言葉のようにも思えたが、言葉から感じる印象ほど視線の温度や声音は冷たくもなければ、ただ案じているというのも違いそうだった。瞳に映る私に対して何を思っているのかもいまいちわからないまま、私も包み隠さず返事を返す。
「どう、でしょう。やらなくてはいけないことならば、引き継ぐ以外の選択肢はないように思いますが、足手まといになるくらいなら解任していただいた方が私にとっても先輩方にとってもいい判断なのではないかと」
「なるほど……」
風夜先輩はすこし何かを考え込むようにして黙った。そして、峰先輩、一条先輩、のあを一瞥し、最後に私の元で視線を止めると重々しく口を開いた。
「月乃会計の言うことも一理あるかと思います。今の月乃会計に対してそうだと断定する意思はありませんが、必要に足る技能を持たない方と共に仕事をしても、後々お互いが辛くなるだけでしょうし、私たちもそうなることは望んでいません。そこで、どうでしょう?今の月乃会計が『必要な技能を身に着けているかどうか』それをテストしていただくというのは」
「テストですか」
誰とも相談していなかったことなのか、のあも、ひいては二人の先輩も意外そうな顔をして風夜先輩を見ていた。しかし、当の風夜先輩はそんな視線に気を取られることもなく、私と一対一の会話を続ける。
「月乃会計のいる立場と状況を考えれば、確かに生徒会を抜けるのは容易ではないでしょう。しかし、手段がないわけではありません。多少学園での生活はしずらいものになるかもしれませんが、テストによって不合格とみなされたのならば、私の使えるすべてを以って生徒会を抜けられるようにいたしましょう。如何ですか?」
数秒、考え込む。国からの推薦という重みや、責任はもちろん多少は気になる。平民であるのあを一人にしてしまうだろうことも。そういった信頼の面や感情論でかたるのなら役目を放棄するというのは褒められたことではないだろう。けれど、今後の生徒会の効率を考えるのなら合理的な判断ではないだろうか。
「……その条件でお受けします」
「では、のちほど華道書記を通して、試験の日程を伝えさせていただきましょう。それまでは生徒会役員としての仕事は私たちが捌きますので、気にせず過ごしてください」
「わかりました」
淡々と試験の詳細の話をする私たちに、一条先輩と峰先輩はまだ驚きを隠せない様子だった。その様子を受けて、のあはどんな表情をしているのだろう、と顔を横に向けたが意外にものあに驚いた様子は見られなかった。
それどころか逆に落ち着いていて、何を考えているのか読み取れない、妙に印象に残る静謐な面持ちをしていた。