三話 魔術授業の攻防
未だ過去の自分の行動を飲み下せはしないが、この学園に入学した経緯など一通りの話を教えてもらったところで教師の姿が見えたため私、月乃玲明を含む三人はそれぞれ自分の席に座った。
恐らく統一性のないランダムな席順なのだろうが、幸いにも私はのあの隣の席で安堵した。頼り過ぎな意識はあるのだが、事情を把握しており、更に要所要所でフォローを入れてくれる完璧具合だ。ついつい頼りたくもなってしまう。……というか私が頼るまでもなくのあが手を回してくれている節すらある。
今回だって、朝の事務連絡が終わるなり次の授業の手助けを申し出てくれたくらいだった。
「朝の一時間目は、魔術の実践授業。魔術の使い方はわかる?」
「なんとなく……恐らくは、体に流れるこの流れの制御をすればいいんですよね?ちゃんと頭に残っているかと言われたら微妙な所なんですけど多分、使えるとは思います」
「記憶をなくしても魔力の流れを意識できるとは、流石れい」
「大袈裟ですって」
「いやいや、これは本当に難しいことなんだよ?」
いまいちその難易度をわかっていない私のどう説明しようかまよったのか、少し考え込んだのあは数秒して口を開いた。
「この世界にある万物は魔力で出来てる。それは僕らの体も、その内側の諸々も例外なく。ただ、魔力量の多い人っていうのはその肉体を形作る魔力以外の使い道のない魔力が余っているから、それを自由に使って魔術を起こせるって仕組み。でも、最初に言ったように万物が魔力で出来てるから、使っていい魔力と肉体の使っちゃいけない魔力の判別ってのは思っているより難しくて、なかなか魔力を引き出せない人も中にはいるんだよね」
「へぇ……そういう仕組みで」
「ちょっと意識したら使っちゃいけない魔力の方も判別できるかな、多分」
さっきは自分の中に沸き上がっているものの上澄みの部分を拾っていたが、そうのあに言われてより深いところを探ろうと意識を研ぎ澄ますと濁りのような、体の奥深くに沈殿して動きそうもないものの感覚を拾った。
「……なんだか、濁っている水のような感覚です」
「不思議な表現するね……あ、でもあながち間違いでもないのかも」
そういうとのあはぱっと掌を出し、そこに淡い黄緑色の粒子を出した。
「今、僕が出してるこれは、風の魔力。火・水・風・地・光・闇っていう六属性の魔力が基本とされているんだけど、基本的に一人の人間が使える魔力の属性っていうのは生まれつき適正を持つ一種類から二種類に限られてる」
「魔力が枯渇してもまた回復した時に溜まるのはその特定の属性の魔力だけなんですね?」
「そういうこと。ただ、僕等の体を含めたいろいろな物は特定の魔力に依る純粋な物じゃなくて基本的に何種類もの魔力が魔素配列っていう列を成して作られているものだから、れいがさっき感じた感覚はそういうことじゃないかなって」
成程。初めに私が感じ取った上澄みと称した魔力は、私の適性だけの純粋な魔力。その次に触れたのは魔素配列を組んだ、何種類もの魔力だったから、濁りのようなものを感じていた訳だ。
「因みに、私の適性は?」
「僕と同じ風だよ。実践中でもわからないことがあったらすぐに教えられるし、何でも聞いて」
「それは心強い」
のあもまた相変わらずついていて手助けしてくれるつもりのようだし、頼もしい限りである。
「さて、一応基礎の基礎の前提だけは押さえたところで実践授業と行こうか。新学年始まって間もないし、きっと基礎の話は実践前に軽く触れてくれるだろうから」
そうして私たちは実践授業の場所である、屋外の競技場へと向かった。
* * *
「さて、それでは本日の授業を始めます。とはいえ、新学年になって初めての授業ですので軽く座学の復習をした後は各々好きなように練習していただいて構いません」
競技場に降りる前に生徒たちは皆、観客席のような座席の場所に集められた。最前列に立ち、こちらを向くのはこの授業を担当するらしい若い女性の教師だった。たしか、私たちのクラスの担任でもあり、楓先生とかいう名前の先生だった気がする。
(いや、そんなことはどうでもよくって)
折角、実戦魔術の授業で座学の復習をする機会を与えられているというのに、聞き逃して何も身につかないほど馬鹿なこともない、と私は意識を目の前の先生に戻す。
「簡単に能力と魔術の顕現方法についてだけ確認しておきます。まず、前提として魔力そのものだけで現象……いわば魔術を引き起こすことは出来ません」
「え、ほんとに?」という驚きをそのまま視線に込めてのあをみると、のあは「本当だよ」と頷きを返した。だが、私の焦りや驚きを知った上でものあは「とりあえず説明の続きを聞いておいて」とでもいうように先生の方に顔を動かした。その仕草に従って私も再び前を向く。
「ですので、魔力を使って魔術を引き起こすためには基本的にはそれぞれの持つ『能力』を介すことになります。……が、私も含めて能力を持つ人の方が稀ですので皆さん各々能力の代わりの働きを果たす魔道具をもっていますね。魔道具も、ある程度能力のように顕現の指標が与えられ、言葉によって皆さんには伝えられていますが、あくまで言葉は表面上のものだと思ってください。何より大切なのはその方向性を正しく理解し、言葉に囚われずに、他の方向からも解釈を見いだしていくことです」
そこまで言ったところで、楓先生が私たち生徒の方をぐるりと一周見回した。
「とはいえ、魔道具は起こせる現象の範囲もある程度狭められてしまっていますので、どなたか能力をもっている方が居たら能力による魔術の実演をしていただきたいのですが……」
その言葉に対する生徒たちの反応は三者三様だった。貴族だから、見栄や矜持といったところは私の想像以上に重い意味を持つのだろう。恐らく、能力を持たないのであろう者は名乗り上げる資格を持たないことに歯噛みし、ある者はそわそわと名乗りあげてもいいものかどうかを探り、また別の人は、ただただどこの家の誰が能力を持っているのか探る様な視線でニヤつく顔を隠していた。
わかっているとは思っていたが、思っていた以上の探り合いと羨望と。煌びやかな表面の裏にある暗さを垣間見た気がした。そして、見向きもされない平民という立場を実感した。
別にそれを苦に思うわけでもなく、ただ少しその疎外感に居心地の悪さは覚えながらも、空気になったようなつもりで、浮足立つ生徒たちを俯瞰して数秒。隣から手があがるのを見た。
「それでは、華道さん」
(えっ)
一瞬、場に広がったのは困惑。あまり聞かない名前に対して誰だろう、と思う比較的純粋な気持ちだっただろう。しかし、それもほんの一瞬。それが自分たちの中に混じる平民の姓であることに気が付くと、視線はたちまち突き刺すような鋭く、暗いものへと変貌していた。
「先生。このあとすぐに競技場に降りることですし、この空間だけではやりにくいので下に降りて実践しても?」
「えぇ。どうぞ……?」
しかし、そんな視線を向けられていることに気づいていないわけでもないだろうに、のあは何を気にするでもなく、堂々と先生と言葉を交わしては、颯爽と下の競技場へと降りて行った。
(の、のあの意図が分からない……)
まだ知り合って間もない関係だが、なんとなく意味もなく場を引っ掻き回すようなことはしなさそうに思えていただけに、今回の行動が不思議でならない。この場で手を上げたら良くない感情と視線に晒されるであろうことなんて目に見えていただろうに。
だがそんな私の心情も知らずして、競技場に降り立ったのあは下から私たちを見上げた。
「折角、能力を使った魔術の実演を、とのことでしたので僕の能力をフル活用した魔術を一つ披露させていただきますね」
のあはとん、と軽く地面をつま先で叩いた。すると先ほど教室で見せてくれたような淡い黄緑色の光が、確かな軌道を描いてのあの足元から吹き出す。それらは上へ上へと立ち上っていったかと思えば丁度私たちの目線のあたりで収束しだしいつの間にか何人か入れそうな大きさの、目の粗い二十面体くらいの籠を形作るかのように軌道を成した。
「詳しくは語りませんが、僕の能力は結界などに特化したものです。結界というと基本的には守るという方に目が行きがちですが今回は、それを逆手にとった攻撃タイプの術を編み上げます。先生、お手数ですが今僕が作ったものをめがけて何かの攻撃魔術を打ち込んでいただけますか?」
「わかりました」
先生が小さく言葉を唱えると拳ほどの大きさの水滴が、のあの術を壊しそうな勢いで飛び出した。
まさか失敗なんてこともあり得るのだろうか、と密かに青ざめ心配する私とは裏腹にのあはにっと口の端を上げると呪文を唱えた。
「籠目、籠目」
そして同時にパチン、と一度指を弾くと光の軌道で描かれているだけだった二十面体の間の空間が薄い壁に覆われ、本当に籠のような確立したものが、出来上がり、先生の放った水滴を取り込んだ。そして――
「っ!?!?」
取り込まれた水滴は、二十面体の籠の中で何回も反射を繰り返すように壁にぶつかっては跳ね返り、またぶつかっては跳ね返る、という動作を幾度となく繰り返し、ついに耐えきれなくなったというところで籠ごと破壊し、空中で水滴がはじけた。
先ほどまで胡乱な目をしていた生徒たちも、ただ純粋に驚き、そして恐怖とすら思っているような視線で のあを見る。
魔術の知識もないに等しい私は、今の魔術のすごさを正しく理解することはきっと出来ていない。だが、あの籠の仕組み以外にも、自分から離れた所に正確に籠を展開する技術といい、計算しつくされた籠の強度と言い、あの魔術を支えている細やかな技術一つ一つからたまらなく高度なことをしていることは私でもわかる。
「今回は、ただ空の状態で水球のみを取り込みましたし、丁寧に工程を踏んで展開しましたが、魔術戦などにおいては相手が魔術を打った瞬間展開して相手ごとこの結界のなかに取り込むなど、応用次第で十分攻撃手段になるかと」
だが、のあは変わらず顔色も変えず飄々としたまま魔術の解説だけをして、実演の場を閉じてしまった。
その後先生も軽く締めの言葉を発したのち、私たちも競技場へと降り、先に下で待っていたのあと私も合流した。のあの魔術についての感想も一言二言に、私はそれよりもずっと不可解だったのあの真意が知りたくて、しかしなんというのがいいのかわからず、まとまりきらない言葉が出た。
「さっきの魔術は……」
「そうだねー、気が向いたから?やってみよっかなって」
「そう、でしたか」
きっとのあは私が言いたかったことの意図をくみ取らなかったわけじゃない。気が向いたからという返事は私が聞きたかった内容には沿ったものだった。ただ、はいそうですかと頷けるような納得感は得られなかっただけで。
(多分、教えてくれるつもりはないんだろうな)
しかし、ある程度正確さに自信を持てる考察だけならできてしまう。あの貴族の生徒たちの様、そしてあえてのあがみんなを圧倒するような高等技術を要する魔術を選んだ理由。
――地位や血統という権力がない中で私たちの存在を軽んじられないために出来ること。それは何をやられてもやり返せるだけの圧倒的な実力を示しておくことだ。だから、恐らくはそういうことなのだろう。
「さ、れいも魔術の練習しよ」
「そうですね」
のあの抜かりなさが少し怖いくらいではあるが、これ以上話を引きずるのも得策ではないだろうと思い、結論を心の中にしまってのあと共に競技場の端へと歩みを進めた。
* * *
「そういえば、能力か魔道具がないと魔術を使えないんですよね?私の魔道具はどこにあるんでしょう?」
競技場の隅でいざ、魔術の実践に取り組んでみようと思った矢先、先ほど言ってた先生の話を思い出した。息まいていたって、前提をしっかり整えておかなくては練習しようにもそもそも始められない。
だから、私の言葉は至極全うなものだと思っていたのだが、何故だかのあからは半眼で見られた。
「……なんです?」
「いーや、才能あふれる天才が無自覚だなんて、こんなに酷いことありえていいんだろうか、って世界を問いただしたくなったところ」
「のあが何を言いたいのか二割もわかりません…………」
「能力がないことを前提として決めつけてるのが腹立たしいよね、って話」
「なるほど、四割はわかりました……って、私に能力あるんですか!?」
「あるからいってるんだよ」
相変わらずののあの視線を受けながら、私は自分の両手を見つめてわなわなと震えた。先生稀って言ってたのに?そんなことある?という心情である。
「……大体、国の推薦なんてとんでもないこと引っ提げてきた人だよ?れいが持ち合わせるものは並大抵のものじゃないんだってわかってくれてもいいんだけど」
「なるほど。……なるほど」
言われてみれば、そうなのかもしれない。なんとなくのあの言っていることもわからなくはないが、しかしそんな力を本当に自分が持っているのだといわれてもまたまたーとしか思えない、どこか他人ごとになってしまう心情も仕方ないと思うのだ。
のあもそれはわかった上で言っているのか、一瞬ため息をつかれたが話題を変えた。
「さて、話を戻すけどれいの能力は『法』あくまでこれは言葉に起こしているだけだから、れいの解釈次第でいくらでも能力の方向性は広げられるけど……まぁ、元の時点でだいぶ出来ることが広いし、能力の解釈については大丈夫か」
「すみません、あんまり大丈夫じゃないです。法、と言われましても……」
なんかすごそうだな、とは思うけれどそれ以上にどうしたらいいのか魔術初心者の私としては難しいところである。
「法……まぁ、規則とか理とか、ルールってことな訳だけど、正直言うならここまで無限大に出来る能力もそうそうないと思うよ。法ってことは、れいがこの世界の物理の法則だったりそういう法則に反しさえせず、論理に従って正しく魔術を組み立てていけば、なんだって顕現できるってことなんだから」
「言葉だけ聞くとなんか壮大で難しそうですね」
「実際難しいだろうね。でも、恐らくれいにはこの上なく合ってる最強な能力だと僕は思う」
のあは一息つくと自身の手元を見つめた。
「僕の能力は『守護』だから、直接的な攻撃方面での魔術の顕現っていうのができなくはないんだけど、ちょっと面倒くさかったりするんだよね。だからさっきみたいな応用を効かせて元の能力から方向性を違わないようにしたり、って調節が必要になってくるわけだけど、れいの場合はすべてが能力の方向性と違わないからその点もいいところだろうし」
「あれ、のあさっきは濁していたのに能力教えてくれるんですね」
「まぁ、そりゃれい相手だし、僕もれいの能力を知ってるわけだしね。……さて、とりあえず能力についてもそんなところ。きっとすぐに使いこなせるだろうし僕と徐々に魔術使う練習していこうか」
「はい。ありがとうございます」
どういう根拠からの言葉だったのか、知るよしもないがのあがそういうと、少しは安心できるような気がした。
「さーて、何から練習するか……」
「のあ、さっきの魔術で使っていた反射の仕組みがどうなってるのか気になります……!」
「おーっと初級すっ飛ばして上級どころじゃない上級のアレンジに手出したね……?…………まぁ、試してみるだけなら今のれいでもいけるか」
そんな一幕を経て、早速魔術の練習を始めた私たち二人だったが、のあが言っていた通り「法」の能力は私が懸念していたような使いずらさはなく、それどころかこれ以上ないほど私の体に馴染んでいた。……その結果、ダメもとで手を出し始めた反射の仕組みものあから仕組みを聞いて組み立ててみれば粗削りながら、反射の仕組みだけは再現できるに至った。
……のあからは「うーっっわ!!れい、ものの三十分たらずで再現してくれやがった…………!!」だとか「なんで記憶失った上でそんなに能力使いこなして応用効かせてるの?怖い怖い怖い怖い」だとか、散々な言われようではあったが。
* * *
そうして魔術の実践授業も終わりを迎え、教室へ帰る途中、私たちの教室とは少し離れた棟の最上階に一瞬視線が止まったかと思えば「あ」と、完全なる無意識に発せられたのであろう呟きが零れた。
「のあ?」
「あー…………」
こちらを向いたのあはすこし冷や汗を滲ませ、狼狽えた視線をしていたように思う。
「……ごめん、めちゃくちゃ重要なことをまだ話してなかった。放課後、一緒について来てほしい……そこで説明させてもらうから……」
……すごく嫌な予感がした。