三十五話 今から
なんとなく気づいたんですが、1月11日に111部目でした。
なんか凄い。
『月乃会計。……今日、どうでしたか?』
なんてことない雑談の言葉を投げかけてくるのがとても風夜先輩らしい、と私、月乃玲明は思った。
無論、平常時ならばこんな時に、雑談をしようとするような人ではないため、この言葉は暗に、「何があったんですか」と聞かれている。
…………そう、私は推測していたのだが。
「月乃会計、思ったことを話してください。これはただの雑談です」
本人曰く「ただの雑談」らしい。……だが普通、雑談をするのに「これは雑談です」なんていうものなのだろうか。
「楽しかっ……」
「本当に?」
風夜先輩の声は、いつもと何ら変わらない。変わらないのに、その言葉は確かに私の心に突き刺さった。
「もしかしたら、月乃会計は本当に楽しかったのかもしれません。ですが、私に月乃会計の「楽しかった」は妙に自信なさげに見えました」
風夜先輩は、やっぱり鋭い。
「…………わから、ない。私は何を感じて、何を思ったのか。やっと見つけた「これだ」っていうものも、正しいのか」
凪いだ海のような……いや、風夜先輩の瞳の深緑色でいうのなら、ただただ深い森とでも呼ぼうか。
そう形容するに相応しい風夜先輩の瞳はこちらを静かに見つめている。冷たいともとれるその態度。
だが、無暗に触れないその視線は、何より私の言葉を引き出した。
「わからないんです。楽しいと、具現化したこの感情が、本当に「楽しい」なのか……自信がないんです。
全部、わからない」
「そうですか」
ふふっと苦笑を漏らしたくなるほど、風夜先輩の態度は変わらなかった……が、その後に続く言葉は、いつもとは少し違う色を纏っていた。
「――まぁ、当たり前でしょう」
「当たり前……?」
「他と比べての月乃会計の話ではありませんよ。月乃会計自身の中での話です」
私が真っ先に浮かべた「普通」とは、なんだか基準が違うようだった。しかし、そんなことを言われてもよく理解ができない。
「月乃会計。人間の人格、いわゆる性格ですね。それは元々の生まれ持った気質というのもあるでしょうが、性格は主にその人を育む環境によって形作られると言っても過言ではありません」
「は、はぁ……」
まだ、話の肝心な部分は理解できていないが、とりあえず相槌を打っておく。
「しかし、月乃会計は思い出などに関する記憶を失い、今まで育ってきた環境から受けた影響も、全てがなくなってしまった」
知っている、そんなこと。
劇を演じる私を見ていて気付いた。もう、何も持っていないことに。
知ってることを、改めて確認しているようなものなのに、こんなに息苦しいような気がするのはなぜだろうか。
苦しい、胸の中に何かが詰まっている気がする。
このまま、私が思ったのと同じような言葉が紡がれるのなら次に、告げられる言葉は、私が出した結論と同じ様な言葉。
「だから、今の月乃会計は――」
聞きたくない、と一瞬思う間に、次の言葉は紡がれた。
「幼子のようなものだと思います」
「………………え?」
「……どうしましたか?」
空っぽ、空洞、それに準ずる言葉だと、思っていたにも関わらず、違う言葉が紡がれたことに、私は驚いた。
「空っぽじゃ、ないんですか」
「…………?はい。空っぽ……人格がなくなったのだとすれば、意思も何もないでしょう。きっと月乃会計には消えた部分も、残った部分もあります」
風夜先輩は、私の問いかけに対して言葉をつなげる。
「残った部分には悲観的な考え方や自分を無視しようとするきらいもありますが、それも月乃会計の基盤があってこそ。……だから、そんなに心配せずとも」
「――――ちゃんと月乃玲明はいますよ」
その、言葉に。何故だか泣きたくなるほど安堵した。
私のそんな様子に気づいてか、気づかないでか、風夜先輩は、視線を外側に向けると、少し前の話題を語った。
「つまりですね。今の月乃会計は幼子や赤子のようなものなので、情緒が不安定なのも無理はないんです」
「そういうものですか」
「そういうものです。逆に私から見たら記憶を失っても何ら問題なさそうに生活する月乃会計が不思議でならなかったですよ」
「……実際私も、失ったものだから探したほうがいいのかなーくらいで探してました」
「でしょう」
風夜先輩の表情が、呆れの感情に染まったような気がした。そんな風夜先輩に、私は少しだけ希望を持ちながら問いかける。だが――
「……探せば、色々ちゃんと分かるようになるんでしょうか」
「そうです、とも違います、とも言えませんね」
希望が見えた、と思ったそれを風夜先輩はバッサリと切り捨てる。
「記憶を取り戻したとて、その後がどうなるかは誰にもわかりません。記憶を取り戻したところで、精神的な成長は何もない可能性もあります」
「そう……ですよね」
風夜先輩は、そのまま残酷な現実をつらつらと重ねた。苦しいけれど、これは現実だ。いくら想像しようとも、未来は誰にもわからない。
「――なので、私が言えるのは、何ができたら何があったら、ではなくて「今から」ということです」
しかし、そこで風夜先輩は未来に頼り切らない「今から」の提案をした。




