三十二話 闇の中に蠢く誰か
「あ、見たことあるところだ」
「はい。もうすぐそこが校舎の西口です」
私、月乃玲明は肩で息をしながら、なんとか間に合いそうなことに安堵した。この調子なら、私も一条先輩にしばかれる未来は回避できるだろう。
「体感じゃ、すっごく時間が経った気がするけど、何げにまだ十数分しか経ってないっぽいね」
「まぁ、私たち謎の追いかけっこで十分近く休まず全力疾走してましたからね。時間感覚も狂うでしょう」
距離だけはやたらと移動したし疲れ具合も、なかなかのものだから、時間もたっているかと思えば意外とそうでもないようだった。
全力疾走、十分間というのは、なかなかに時間感覚が狂うものである。
「なんとかしょっぴかれずに済みそう?」
「まぁ、お陰様で」
こんなに時間を食うことになったのも如月さんのせいといえばそうなのだが、もうこの際引きずるのはやめよう。
しょっぴかれないように、気を使ってくれたところもあるのだ。そういう点にはちゃんと感謝するべきだろう。
「…………校舎から寮の道は大丈夫ですか?」
「うん、クラスでの反省会に行った後、ルームメイトと一緒に戻るからそっちは大丈夫」
そう言うのと同時に如月さんと私は立ち止まった。目の前にあるのはそびえたつ大きな壁と、重々しい扉。
「私は入ってすぐの小さい階段から生徒会室に行きますが、教室に行くなら、西口から入ってそのまま、真っ直ぐ進めば受付等をやっていたホールに出るのでそこから。……流石に大丈夫ですよね?」
「大丈夫、大丈夫。校舎なら人もいるだろうし最悪聞けばいいしねー」
本当に大丈夫なのかわからないくらい如月さんは軽いが、確かに校舎には大勢、人がいるし人通りが少ないこちらの西口付近だって待っていれば人の一人や二人は通ることだろう。
なんとか確認もできたため、私はぎぃと音を立てながら扉を開いた。
真っ直ぐに伸びるのはただの暗闇。所々明かりはあるものの、それを覆いつくしてしまうくらいの闇の世界。
私だったら一瞬ためらってしまいそうなその暗闇をものともせず、如月さんは闇に足を伸ばした。
「道案内ありがとう、じゃあまたー。学校内で会うこともあるだろうし、よろしくね」
「はい、こちらこそ。また会ったらよろしくお願いします」
なんてことない言葉を交わして、如月さんは廊下を進み出した。
私も、近くにある石造の小さな階段をこつり、こつりと音を立てながら登っていきお互い、目的の道を進みだした。
考え事は、出来なかったが、不思議な状況で、新たな人と出会うことができた。なんてことない、ある日のちょっとした出来事だった……。
そう、陳腐な御伽噺のように、締めくくることができたのなら、どれほど素晴らしかっただろう。
もっと、疑問を持たなくてはいけなかったことに、この時の私は、気がつかないままだった。
――私は、疑うことを忘れたまま、ただ単純に別れの言葉を、告げてしまった。
* * *
暗闇の廊下を進む中で、自分の体じゃないかのように、体がガラリと崩れ落ちた。
意識も、周りの暗闇と同化してしまうかのように、落ちていくのが感じ取れる。
(あぁ、また。いつもの…………)
そう思った時にはもう、真っ暗な世界だった。
* * *
「ふわぁーあ」
僕は真っ黒とも、夜空のような濃紺色とも、その辺の毒薬よりずぅっと濃い紫色とも、なんとでも呼ぶことのできる空間を心地よく思いながら伸びをして、立ち上がる。
先ほど去った女子生徒の足音も聞こえなくなったことを確認すると、ぽつぽつと呟き――今きた方へと、道をたどり出す。
「もう、なんであんなところに人がくるんだか。お陰様で支度があんまり進まなかったし、本当腹が立つ」
容姿はあまりよく見えなかったが、確か黒髪で、名前は……。うーん?
「まぁ、いっか」
腹は立ったが、そいつに割くほど時間も有り余っているわけでもない。
そいつの名前を覚える分の容量を使ってしまうのもなんだか勿体ない気がしてきた。
でも、やっぱり残ってしまった腹立たしさがある。……うん、こういうときは嫌な奴のいいところも思い出そう。
「なんであそこにいたのー?とか、あの子がいろいろ事情があるとか余計なこと言っちゃったにも関わらず、深入りしてこなかったし、いいところもあるやつだ」
深入りされたら致命的なことを、あの子が言ってしまったのにも関わらず、大して聞いてこなかったのはありがたかったなーとまた、言ちた。
「うんうん、そうだよ。そんなに苛立たなくてもいいや」
今度こそ、ちゃんと整理がついて、なんとなく軽くなった心持ちに合わせてぴょんと、大きく一歩を踏み出してみると尚更気持ちは弾んだ。
なんだか悪くない心地だ。
「よし、今度こそちゃんと支度をしよう。じゃないと主様にも怒られちゃうし、今日話を持ちかけた女の子も困っちゃうからね」
気を取り直すと、今は入ってきた扉を開いて、外へ出た。
やっぱり夜の空気は気持ちがいい。
「頑張ろ!」
活を入れるためにも、ちょっと大きな声を出してみると、誰もいない空間によく響き渡った。




