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花かんむりの眠る場所で  作者: 綾取 つむぎ
四章 学園祭編
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二十九話 現実は甘くないのです




(早く……早く急がないと)


私、月乃玲明が控え室などの並ぶ裏通路から出て、必死に道を歩く。


先ほど、係の人たちに手伝ってもらいながら重いドレス着替えたり、結い上げていた髪も解いたため、体としてはだいぶ軽くなったはずなのだが、足取りは重いままだ。


(早くこの場所を抜けないといけないのに)


胸のあたりにべちゃっと浮かぶ赤黒いシミが、落ちた涙によって滲む。頭もぼんやりとしてきて、もう、倒れそうだ。


急がないといけない状況なのに、上手く進めない理由は、いくつかあるが一つは人混みであった。


一般生徒は六時が、活動終了時刻であり、現在時刻五時四十五分すぎ。一日目ももう少しで終わりということもあってか、もうそろそろ帰り支度をする保護者、最後に何処かを回ろうとする保護者、少しずつ片付けをしだす生徒などで、人の出入りが最初と同じくらいに多くなっている。


あっちにも、こっちにも人。


緊急を要する自体になっていることなど、大衆はつゆ知らず、のんびりと歩くばかりだ。


気づいて、道を譲ってくれる人など、いない。


(早く、早く行かないと――)


私が、急がなくてはいけない理由、それは――



「吐き……そう……」



それは、人酔いである。


誰かを人質に取られたわけでもなく、私が致命傷的な何かを負ったわけでもなく、人混みに揉まれたことによる吐き気……人酔いなのである。


浮かんだ涙?

吐き気による生理的な涙である。

胸についた赤黒いシミ?

人混みを掻き分けた時についたトマトソースである。


私の心情を垣間見た誰かがいたとするのなら、ミアと話した数十分前からの落差に何があった、といいたかったことだろう。


安心してほしい。対して事件が起こった訳ではない。


「ゔっ……も、無理……」


一つ訂正しよう。

安心はできなかった。


(窓から飛び降りる?それとも――)


その時、光が見えた。

物理的な意味でも、精神的な意味でも、である。


(あれは、非常階段……!!)


光属性の魔術は大変希少なため、その属性を使った魔道具も大変高価である。

そのため、この学校での照明というならば、大体は燭台によるものか、火属性の魔道具なのだ。


ただ、数少ない例外の明かり。

日中日夜、二十四時間消えることのないよう光魔道具による調整のなされた非常階段の明かり。


いつもは、なんとも思わない、その明かりを拝みたくなるような気持ちを抱きながら私はなけなしの力を振り絞って駆け抜けた。


* * *


(あぁぁぁぁー……涼しい、風が気持ちいい、人がいない)


なんとか吐くことなく人混みを突き抜けて、非常階段の扉から外に抜けた私は、外に設置されているその階段に座り込んだ。


十一月中旬である今の季節、普段ならだいぶ冷たく感じる風が、人混みの熱気に当てられた後ではただただ心地いい。


(普段なら、人混みに酔うことなんてないのに……)


思えば今日、吐きそうになること多すぎではないだろうか。まぁ、原因としてはフルコース料理を一口残さず食べたからであるが。


(思えば、メリアはよく崖から落ちても吐きそうにならなかったなぁ……)


すごくくだらない理由だが、なんか羨ましくなる。

体の使いようだろうか。その辺の知識が私にもあったならこんなことにはならなかっただろう。


……まぁ、それはそれとしてフルコースはトラウマ入り待ったなしである。


今後フルコースを食べる機会など一切ないだろうが、フルコースは次出てくるようなことがあったら一口食べるだけにしておこうと決意した。


「…………少し、吐き気も引いてきたかな」


どうでもいいような話題についての議論を脳内でひとり繰り返している内に、胸のあたりで留まっていた気持ち悪さが、するすると胃の方に帰っていく感覚を感じ取った。


この様子なら、静かに歩くくらいは出来そうだ。


(このまま、外から迂回して本校舎まで戻ろう)


この後には、生徒会室で反省会など明日に向けての小さい業務が残っているが、そこまではっきり時間が決まったものでもないし、外から迂回して戻るだけの時間はある。


(明日のためにもちょっと気持ちの整理をつけつつ歩こう)


今まで、立て続けに考えたいことが、出てきてしまったにも関わらず落ち着いて考える時間が取れなかったため、少しだけではあるが、考え事の時間が取れそうなことに安堵しつつ、私は、階段から少し離れた位置に見えた、森沿いの小道を歩くことに決め、階段を立った。



……現実は、やっぱりそんなに甘くないと学習しないまま。


* * *


「大切、の意味」


木々の小さなざわめきをかき切るように、ぽつりぽつりと呟きながら、私は思考の世界に入り浸る。


大切とは、辞書で価値の大きいさま、粗雑に扱わず、丁寧に扱うさま、とかそんな意味だったと、私の中に残る知識を探る。


だから、私はその言葉通り、危険なことをせず自分に傷がつく状況を避けてほしい。と、そういう意味だと答えた。……のに。


「何か、別の意味があるんでしょうか……?」


ミアから、合格点はもらえなかった。

大切、の意味にそれ以上も何もないだろうに。


「…………えりたい。……………………えりたい」


さらさらという音に混じり、何処かから呟かれる音に、私はまだ気づかないまま、足をすすめる。


「大切、に全く違う意味があるのか、それとも意味の適応される場所が異なるのか…………」


図書館塔にでも行って、調べてみようか……と思案したその時。


「かえりたい」


声が、はっきりと聞こえた。


「…………え」


かえりたい?……それに、この声は何処から。

ぐるりと、辺りを見回しその声は、すぐ近くにあることを悟ってしまう。


「え、いや……うそ、お、おば――」


「帰りたぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


私の足元から――その声は響いていた。

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