第九十一話 あまりにも早すぎる……
ユグドウェル城塞から出立して小一時間。
「はふっ、はふっ……。思っていた以上に、坂道がしんどい……」
「あぅぅ……ボクもぉ、もう歩けませんぅ……。限界ですぅ……」
まだ旅立ちからたったの一時間。山間の街道を北上し、急勾配を登りきったところで特に体力の低い組が膝をついてしまった。
はい、俺とツキウミだけど、実数値が低いから仕方ないんだ。
ベルクは体力お化けだし、アエカも低くなくライゼはそもそも旅慣れていると、俺とツキウミ以外は息切れもしていない。
ならなんで馬車を使わなかったのか。遠方は街道の整備がされていない原野を進むことになるから、いまのうちから徒歩に慣れようとしていたんだ。
街道の整備といっても土を押し固めただけだから、馬車の乗り心地も悪いと聞くし、どちらにしてもダメージを負っていただろう。
「困りましたね。一時間で音を上げてしまうと、エスタ村までは倍以上の時間を要してしまうかもしれません」
「それがしが背負うというのはどうであろうか?」
「旅の間、ずっとベルクさんに頼るわけにはいきませんから、体力を上げてもらうためにも、おふたりにはがんばってもらうしかないです」
「はぁ、はぁ……。輝竜種は、はぁ、ふぅ……そもそも体力ステータスの伸びが悪い……。はぁ……旅を続けても改善するとは……」
「それはそうなのですが……体の使い方はこなれるので、体力の消耗自体が低減するはずです。がんばってください」
「ううぅ……。徒歩の旅がこんなに辛いとは……」
現実でも家に引きこもってばかりだったから、仕方ない……。
「旅慣れない人が最初から山間を歩くのは厳しい、上り坂では手を引くというのはどうかしら? それくらいなら構わないわよね?」
「ライゼ……救いの天使……?」
「吸血鬼よ」
吸血鬼というと陽の光に弱いけど、正確には“夜人種”であって空の明かりも疑似太陽によるものだから、日中でも普通に活動が可能なようだ。
「仕方ありませんね……。ただ、上りはそれでいいとしても、特に下りの負担は膝にきますから、なんにしても慣れてください」
「ううぅぅぅ……。と、とりあえず十分だけ休憩を……」
「十分だけですよ。今日中に山岳地帯を抜ける算段ですから」
「なんでそんな無茶を……」
「余裕とおっしゃっていたのはニオさまです」
「うわぁっ! 旅立つ前の余のバカァッ!」
「くすっ、ニオさまはおもしろいのね」
「カカッ! ニオ姫さまの魅力でありますな!」
「うぐぅ……」
とりあえず、すでに寝転がっているツキウミの隣に腰を下ろした。
***
引き続き、大きく息を乱しながら山間部を進む。
見上げれば山稜が緩やかな曲線を描き、周囲は森の中。耳を澄ませば動物たちの鳴き声に交じってせせらぎの音も聞こえ、街道脇の斜面を見下ろせばやはり木々の合間に川の流れが見えている。
緑豊かな雄大な自然の中を歩くのは、持久力がなく息も絶え絶えであろうと、正直な気持ちを言えばただただ気持ちいい。
気温が低くとも汗は流れ、それでもすぐに乾いてしまう環境だから服の下がゴワゴワとしてくるけど、それもまた生きているという実感だ。
やさしくこぼれ落ちる木漏れ日が本当に心地いい。
「……ん? あれはなんだ?」
景色を堪能しつつ歩いていると、何か茶色い物体が目に入った。
街道から逸れた森の中、何やらこんもりと盛り上がった小山が見える。
「≪生命探知≫! これは……“ハニーベアー”です!」
「なんっ!?」
「一時、三時方向に二体、十時方向に一体!」
「囲まれている……だと!? 街道沿いだぞ!?」
「運が悪かったとしか……!」
“ハニーベアー”――ロックベアーと同じく熊型のモンスターで、こちらは特にはちみつを好んで狙うことからそのままの名前が付いている。
普段から衛兵隊や狩人が哨戒をしているため、街道沿いは比較的安全なはずだけど……ニオは甘い匂いがするらしく、それに釣られて……?
は、はは……まま、まさかな……。
「おおっ! 一体はそれがしが!」
「ベルク! アエカとツキウミも支援に入り、速攻で一体を片づけよ! 余とライゼが残りの一体ずつを受け持ち、まずは合流を阻む!」
「しかと心得た!」
「はい! ニオさま、無茶はしないでください!」
「わっ、わっかりましたぁっ!」
「ライゼ、三時方向!」
「承ったわ」
「余は、おまえだぁっ!!」
そうして俺は、右方向に集中した仲間たちとは反対、左方向の斜面を駆け上ってくるハニーベアーに対し特大剣で斬りつけた。
「んあ? ああああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
だけど、いったいどうしたことだろう。
勾配を上り下りしていた膝はすでにガックガクに笑っていて、悪い足場で制動が効かなかった俺は、そのまま斜面を転がり落ちてしまったんだ。
「くぅっ……いってて……」
幸いにも河原が近かったため、すぐに転がり出るだけで済んだものの、自傷を防ぐために手放した特大剣はまさかの川の中。
「ぐるるるるるるっ」
そうして、ハニーベアーと間近で目が合った。
あまり大きな個体ではないけど、俺はすぐに脚を掴まれ、そのまま逆さに持ち上げられて宙吊りとされてしまう。
咄嗟にスカートを押さえるも、そんなことを気にしている場合ではない。
「離せっ! 余はっ、食べてもっ、おいしくないっ! あっ、ぐえっ!?」
なんとか逃れようとハニーベアーの手を蹴りつけるも、ニーハイブーツから脚がすっぽ抜けて河原に落ちてしまった。
「痛ぅ……。こいつぅ……」
「ぐるぅぅ? くんくん……」
「あ、おい? な、何をして……」
すると、ハニーベアーはまさかのにおいを嗅ぎはじめた。
汗で蒸れていただろう、ニーハイブーツの中に鼻を突っ込んで。
「や、やや、やめて……? く、くまさん……? お願い……だから……」
なんか恥ずかしい。そう躊躇なく嗅がれるのは、ちょ、超恥ずかしい。
「ぐるるぅ?」
「ひぇっ!?」
続いて、ニーハイブーツを取り返そうと思わず近づいてしまった俺は、無様にもまた脚を掴まれた。しかも今度はむき出しの生足をだ。
回収するのはまず特大剣にするべき……。
「ぺろぺろ」
「ひゃんっ!?」
「ぺろぺろぺろぺろ」
「ひゃああっ!? んやあぁぁっ!!」
「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろ」
「やめっ、やぁっんああああああああああっ!?」
「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろ」
「んああっ!? そんなにっ、足裏ばかりっ……やっ……!」
「ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろ」
「んはぁっ!? やめっ、ああああああああああああああああっ!!」
そんなこんなで旅立ち早々に、ニオは唾液まみれとされてしまった……。




