EX いま一度、幾度となく願う。
――id Software、社長室。
「それで進捗はどうだい? 報告を見る限り芳しくないようだが?」
id Software本社ビルの三十階に位置する社長室で、その最奥に座る男性が対面する女性に向かって話しかけた。
彼こそこの部屋の主、つまるところの”社長”――“世良 アーヴィン”。
社長室にいながらコンビニでも行くかのようなジャージ姿に、暗灰色の髪に碧眼、掘りの深い中世的な顔立ちは、彼の容姿から室内の理路整然とした様子まで見る者にチグハグな印象を与える、そんな人物。
むしろ理知的な容姿という意味では、そんな世良が対面する女性こそがこの社長室に相応しい人物ともいえる。
「はい。計画……いえ、願望でしょうか……私たちの道行きはすでに未知の領域へと入っているため、すべてが手探りとしか言えない状況です」
その者とはほかの誰でもない、三条 アエカ。
ニオことホツマとともに、ユグドウェルから旅立つ前日のことである。
「勇波くんが生き延びていることで、すべての事象が第一歩となってしまっている。あなたのもっとも優先すべき願い、ということは最初からわかっていたことだが、大局を見るなら不確定要素でしかないというのは歯がゆい」
世良はアエカに向け、わざとらしく困り顔をして見せる。
ふたりの会話はすなわち、ホツマに対しては何も語らない彼女の事情を、この世良という男だけは何事かを知っているということにほかならない。
「わかっています……。ホツマさんがいることで、計画のリソースを余分に注ぎ込んでしまうことで、未来が不確定になるということはわかっています……」
世良の言葉を受け、アエカは自らの心の内にある苦難に俯いてしまう。
彼らの話が、彼らの計画が、≪World Reincarnation≫に関連することだけはたしかだが、その内実が何を示しているのかはわからない。
ただ、彼らの道行きがなによりも困難であることは、彼女の苦悩こそが形の見えないすべてを物語っていることもたしか。
「いや困った、私としてはあなたを責めているわけではないのだが。私とて、おそらくは数千、数万という命を幾度となく救われた身、自らの立場をわきまえる協力者でしかない。失言だった」
「いえ、ホツマさんのこととなると、どうしても暴走してしまう私をたしなめてくれる存在はありがたいです」
「仕方あるまい、あなたの苦難は常人のそれを遥かに超えるのだから。私にできることがあるとすれば、この現代社会における舞台を整える程度。それですらあなたの助けがあってようやくと、なんとも歯がゆい」
「私にも限界はありますから、必要以上に助かっていますよ」
「……あなたのような存在に見初められるとは、勇波くんは果報者だ」
「ホツマさんがいたから、そしてこれからもいてくれるから、私は“三条 アエカ”という存在を保てるのです」
「それは、彼がどのような姿形となってしまってもかい?」
「はい。どのような姿形となっても、魂の輝きだけは何者にも侵されません。誰よりも人を人と想うあの人でなければ、このシステムは破れないのです」
「本当に眩しい。あなたも、勇波くんも、願いのために行動できる人というのは、どうしてこうも眩しく光り輝くのか。傍観者でしかないのは、歯がゆい」
「そんなことは……」
「そんなことでいいんだ。世界の変革は、私のような要領がいいだけの凡人ではなしえないのだから、あなたの背を押せるのならそれでいいんだ」
「……」
世良はあくまでもアエカを真摯に見つめ、自虐でもない言葉を放った。
彼は少なくとも、創業から間もない新興のゲームメーカーを、たとえアエカの助けがあったとしても、世界有数の一流企業へとのし上げた手腕を持つ。
それがいかに困難なことか。あらゆる紆余曲折のすべてを乗り越え、いまも業界の最先進技術に君臨し続けるニューラリンクテクノロジーを保守し続けることが、どれほどにありえない所業なのか。
そんな彼をもってしても、アエカと比べてしまえば自らを“凡人”とまで言う。
世良の言葉は答えだ。この世にあらざるべきではない超常存在に対し、人ができるのはただひれ伏すことだけ。
ひれ伏すことをよしとしなかった者だけが、“三条 アエカ”に、そしてなにより世界を変革しうる存在となっていくのだろう。
だからこそアエカは期待する、想い人――“勇波 秀真”に。
「すまない、話がそれてしまった。ここからは具体的な話をしよう」
「そうですね。私もアイリーンも対処はしているのですが、ひとたび上位存在が投入されてしまえば、いまの均衡が崩れかねません」
「いまですら瀬戸際というときに、それこそ度重なる攻撃で星霊樹が崩壊してしまえば、次こそあなたという存在そのものが……」
「はい……。ですから、ニオの育成計画を早めようと考えています」
「すでにバランスが崩れ、≪創世の種子≫からの恩寵に勇波くんが耐えられない事態に陥ったと聞く。彼は大丈夫なのかい?」
「信じるしかありません。ホツマさんの“魂の輝き”を……」
これより先、彼らの会話は密室の浅い闇へと消えていく。
“勇波 秀真”の知らない場所で、図らずも事の中心に据えられたまま。
願わくば――。
どうか、願わくば――。
彼と共にただ幸せに過ごせる世界を――。




