第九十話 見果てぬ世界への旅立ち。
――ユグドウェル城塞、北門。
「わうぅ……。行っちゃうのだぁ? ニオさま、ほんとに行っちゃうのだぁ?」
俺に全身で抱きつき、涙ながらに訴えているのはムーシカ。
「ボクも一緒に行くのだぁっ、離れ離れはいやなのだぁっ!」
「ムーシカ、そう涙するでない。行きの旅路は相応に時間がかかってしまうが、ポータルを設置すれば瞬時に戻れるがゆえ、またすぐに会える」
「わぅぅぅ……ニオさまぁ……」
離れようとしないムーシカを抱きしめ、頭を優しくなでる。
そもそもがこの状態になっているのは、俺たちがユグドウェルを離れて一路ウォルダーナ森星王国を目指す旅へと出るため。
「あたしも一緒に行きたかった……。でも、ムーシカもほっとけない……」
すぐそばには、やはり残念そうな表情を浮かべたイースラもいる。
「イースラも、国元を離れるのはほんのひと月ばかりだ、すぐに帰る。その間、ユグドウェルとムーシカのことを頼むぞ。成長にも期待をする」
「……ん」
彼女はなによりムーシカを大切にしているのと、手にしたばかりのマスケット銃の慣熟訓練をこなさなければならないため、今回は留守番。
旅路に同行するのは、アエカ、ベルク、ツキウミ、そして案内人のライゼ。
長距離を瞬時に移動できる“ワープポータル”を個人が設置できればよかったんだけど、領主同士の許可がなければ勝手に設置することはできない以上、国交のためにも一度は直接赴かなければならないんだ。
ウォルダーナからやって来たプレイヤー“メガネマックス”により、道中のマップと徒歩で一ヵ月の距離というのもわかっているから、迷うこともない。
「アイリーン、頼むぞ。皆も何かあれば彼女に判断を委ねよ」
「お任せなのよ。アイリーンがいればユグドウェルは安泰、『そんな装備で大丈夫か?』と問われても、最初から『一番いいのを頼む』と言ってやるのよ~」
妙な物言いだけど、たしか2000年代初頭に流行ったミームだっけ?
アイリーンの物言いに真っ先に首を傾げたのは、娘を連れているディー。
「なんだそれは……。まあ、姫さんの申しつけは守る。娘を無事に見つけ出してくれた恩は、一生をかけても返していくさ」
「そう気を張らずともよい。そなたとイースラの哨戒網だけで、ユグドウェルの外敵に対する備えは引き上がったのでな、留守の間も頼むぞ」
「ああ、抜かりはない」
古いミームなんて、この世界の人が知る由もなく当然の反応だけど、ディーはすぐに気を取り直して言いつけを聞いてくれた。
「におさま、ぱぱとおべんとう作ったの」
「あ、おい、それはおまえひとりでと……ああ……」
ディーの娘“クレーナ”はまだ五歳だというけど、素直で賢い子だ。
この歳でよく父親を煙に巻いているから、将来はしっかり者になりそう。
彼女は小さな体で大きな弁当箱を持ち上げ、俺に渡してくる。
「はは、ディーともあろう者が、娘の前ではただのよき父なのだな」
「ああ、まあ……。あ、いや、クレーナがティコの教えを受けて作った弁当だ。受け取ってやってくれないか」
「ありがたくもらおう。昼はこの弁当でピクニックを楽しむこととする」
「えへ、おいしくなあれっていっぱいした♪」
「そうそう、クレーナちゃんいっぱいがんばったんだよね♪ もちろん私も腕を振るいましたから、長旅の前にたっぷりと栄養つけてくださいね♪」
クレーナから弁当を受け取りながら、ティコにも話しかけられる。
ニオの中に入ることとなって、これまでずっと彼女の手料理を食べてきたから、俺にとってはすでにこの世界でのおふくろの味といっても違いない。
「ティコの料理は一級品がゆえに、いまから楽しみだ」
「えへへ♪」
「あとはロジェスタに皆、城塞の管理はそなたらに任せたが、羽目を外さない程度に休息は取るのだぞ?」
次に、ロジェスタたち規律正しく並んでいる侍従にも声をかける。
その雇い入れた数はすでに十名を超え、教育熱心なロジェスタによって誰も彼もが少しの間にそれはもう見事な礼節を学んでいた。
「かしこまりました。ニオさまの旅路の間、留守の番は私どもがしかと務めさせていただきます」
はは、硬いなあ……。それでこそ侍従長といったところだけど……。
旅立ちには、どこで聞きつけたのか数十人にも及ぶプレイヤーや顔見知りの住民たちも加わり、一大式典のようになってしまっていた。
意識を近しい者との会話から外へ向けると、俺と同様にアエカもベルクもツキウミもライゼも人々に取り囲まれ、思い思いの見送りを受けている。
すっかり俺自身の故郷となったユグドウェル。プレイヤーの多くにとってもホームタウンとなっているのなら、それはなによりも喜ばしいこと。
旅路はほんのひと月の間とはいえ、やはり少し寂しくも感じてしまう。
「わぅぅ……くぅん……」
ムーシカは相変わらず抱きついたまま、俺の胸元で涙を拭っている。
仕方ない。彼女は毎日のように城塞に来て、毎日のようにギルドでも会っているから、ここまで懐かれると本物の家族といっても過言ではない。
俺も離れたくはないけど、彼女のために住みやすい楽園を作りたいんだ。
「ムーシカ、イースラの言うことを聞いてよい子にしておれば、余が帰ってきたあとでお泊り会を許そう。これまでは断ってすまぬな」
「わぅ? ……わ、わかったのだ、いい子にして待ってるのだぁっ!」
げ、現金な娘……。お父さん、少し心配……。
「よし、星霊樹の輝きに懸けて約束だ」
「わうぅっ!」
そうして、俺たちは大勢に見送られて旅へと出る。
まだ見果てぬ広大な世界へと、その第一歩がどのような出会いと出来事へと導いてくれるのか、俺はたくさんの期待に胸を膨らませていた。
目指すは“ウォルダーナ森星王国”、翡翠の女王エスティリアの治める地。
「それでは皆、行ってくるぞ!」
「「「行ってらっしゃい、ニオさま!」」」
俺たちは外の世界へと、パーティの皆で並んで第一歩を踏みだした。
「あれぇ、そういえばヒワちゃんがいなかったけど、どうしたんだろぉ?」
「幽霊ちゃんの姿も見ませんでしたね。朝早く、私たちが目を覚ました時にはすでにいなかったようですが……」
「ふむ? ヒワ殿であれば、しばしの別れに涙してしまうのを見せたくなかった、といったところであろうか?」
「私も、一晩立ち寄っただけの村でも旅立ちは感傷的になったものね」
「ヒワちゃんはそんなに繊細じゃないですけどぉ……」
おい……おいやめろ、旅立ちの直後に変なフラグを立てるな。
そんなことを言うと、ヒワのことだから変なトラブル付きでやって来る。
ど、どうか……どうか……本当に……!
この旅路が穏やかなものでありますように……!




