第八十八話 記されない物語(2)
シルモアは何かを思うように中空を見つめる。
肉体があった頃の感覚こそを思い出そうとしているのか、手で湯をすくって丁寧に体をなでる様は、実体を持つ人ともなんら変わりはない。
いまは幼く見えようとも、その艶めく美貌は何百、何千年と生きてきただろう不滅の竜がごとき一柱だからこそか。
俺のように演技をしているだけの一般人とは違う、真の竜皇なんだ。
とはいえ、“どぅおできむ”だったか……“十二身の竜”とも言っていたか……彼女の外見は地球人と差異がなく、竜と証明する部位は見当たらない。
この世界の一般的な人種、少し耳の尖った“魔人種”でもなく、明らかに耳の丸い地球人を模したデザインなのはなぜなのか……。
俺がデザインしたというのはたしかにそうなんだけど……そもそも指定をしてきたのは、やはりほかでもないアエカなんだ……。
シルモアが、原世竜とやらが、地球人の姿をしているのは……。
『ホツマよ、何やら考えごとのようだが続けてもよいか?』
「あ、うん。考え込むのは気にしないでくれ、話はちゃんと聞いてる」
シルモアは目を細めて嬉しそうにするも、その表情がどういった感情によるものなのかはわからない。
『そうさのう、一口に言うてあの時は“驚いた”。本来であれば、そのような感情を持たぬワシらが“驚いた”とはおかしなものであろう?』
「感情が? それは最初……生まれた時から?」
『いや、すまぬ。事の次第からすれば話が逸れたのじゃが、生まれ出でた時より感情はもちろん意思らしき意思も持たない、自然現象でしかなかったワシらに明確な変化が起きたのじゃから、あの時は戸惑うたものじゃ』
「どういうことだろう……。星霊樹の影響……?」
『そうじゃろうな。ただの自然現象からひとつの生命となった瞬間、遠く見上げた空に、相争う“星の船”と“混沌の神々”を見やった瞬間じゃ』
「――っ!! ほ、“星の船”が、“混沌の神々”まで連れてきた……!?」
『うむ。この星にかつて存在した十二身の竜は、そのすべてが“個”でありそのすべてが“全”。同一の存在の間にいさかいなぞ起きようがなく、“争い”が持ち込まれた瞬間でもあるのじゃ』
「なんてことを……。いったい何が目的でそんなことを……」
アエカが……とするのは、規模があまりにも人知を超えているから考えにくいけど、その事実はあまりにもひどいのではないか……?
『おぬしは憂いてくれるのか』
「それは、平和な地に争いごとを持ち込めば……」
『ふむ、ワシらの認識は違うな。和とは必ずしも平安な幸とはなりえず、行きすぎた停滞は、その中の存在からすれば認識することもできぬ不幸ぞ』
「む、難しい話だな……」
『ふふ……。少なくともワシらは、世界をつくり替えられる対価に永劫に続く停滞から解放された。見上げた空に思いしは“驚き”、そして“感謝”ぞ』
「そうか……。そういうもんなのか……」
正直なところ、この星で起きたことも、生物としての格が違うシルモアの感情にしても、規模と比べて小さな存在である俺にはよくわからないことだ。
理解できたことといえば、星の船≪星霊樹アルス・パウリナ≫が、争う“混沌の神々”を引き連れてこの星を変えてしまったこと。
いや、その内実に関してはまったく理解できていないけど、ただこの世界の遠い過去に、実際にあった出来事だということだけは受け止めた。
「でも、それなら、“創世の女神”にも会ってるんじゃないか?」
冷静に考えてみれば、たかが人ひとりの隠し事が世界の変容にまで関わるなんていうのは、どう考えてもありえない。
だからこそゲームならゲームと、アエカの隠し事はあくまでも俺の病状に関するものだと、確信を得たい。
でなければ、アエカが神に等しき力を持っていることとなり、一般常識からすれば絶対にありえないと断言できるものだから。
この世界の迫真に当てられ、どうにかしているのは俺かもしれない。
『すまぬな。ワシら“十二原世竜”であろうと、神話に謳われし“創世の女神”にはついぞ会うたことはないのじゃ。幾多の文明が滅びしこの千年もの間、いまもって“星の船”の頂に到達した者はおらぬ』
「そうか……。いや、そこにいるとも限らないだろうし……」
『うむ。おぬしの御魂に触れたいま、思いしことはわかるでな。さらには、この世界が実在するとの疑惑、この複雑に絡み合いし万象に意味があるのであれば、いずれは自ずと答えにたどり着きし日が訪れるのじゃろう』
「そうだな……彼女は、アエカは、オレの前では嘘が下手だから……」
『仲良きことは美しきかな。ワシも久方ぶりに人と触れ、羨ましく思うぞ』
「ならなおさら、皆が、シルモアが安心して暮らせるように、“混沌の神々”に関連するだろう問題を片づけないと。“混沌の神々”については……」
『すまぬ、限界じゃ』
「えっ!?」
『湯を堪能するために実体化したのがまずかったようじゃ。いますぐにおぬしの豊潤なプネウマを吸精せねば、霧散してしまう』
「ええっ!?」
シルモアはそんなことを言いながら、湯にのぼせてしまったかのような表情を浮かべ、ジリジリとこちらへと距離を詰めてきた。
「え、えっ、ここでっ!?」
『よいではないか、ワシにとってはどこであろうと同じぞ』
「せ、せめて服を着て……実体化を解い……」
『ちゅうっ』
「うむぅっ!?」
有無を言わさず、シルモアは唇に吸いついてきた。
いつもは霊体だから感触がなかったけど、今回はまだ実体のままだから、それはもう柔らかな感触が問答無用で口内に侵入してくる。
当然、体の感触もあるわけで、それも湯の中で裸身のまま胸合わせの状態となっているのは、息子が元気になってしまうのもやむをえない。
いやないんだけど。
「ん、んぅ……はぁ……。ん、ちゅぅぅ、んああっ!? シルッ……!!」
「ニッ、ニオさまっ……!? ゆっ、幽霊ちゃんっ……!?」
「はわっ!?」
そんな絶望的なタイミングで、ログアウトしたはずのアエカが帰ってきた。
し、しかもしっかりとバスタオルを巻いてきているから、確信犯だろう。
「お、おおお落ち着いてっ!? これには訳がっ!!」
「私の……私の……私のおじさまと……絶世の美幼女が……」
「はわわ……。シ、シルモア、いったんやめんちゅぅっ!?」
「私も混ぜてくださいーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「やっ、やめろぉーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」




