第七十六話 捕らわれのニオ。(4)
「ニオたん、ニオたん、はぁはぁ、ほんとにいる、僕の目の前に、はぁはぁはぁぁ、ニオたん、すぅー……あああっ! あまーいっ、いい匂いっ!!」
「……っ!!」
こ、この赤ネーム、予想とは違うベクトルでやばすぎた。
≪World Reincarnation≫のハラスメント対策システムがある以上、相手の同意なく異性の体に触れることはできず、もしも性的な情動から強行しようとすれば容赦のないスタンショックが浴びせられる。
赤ネーム、“プロトン”はそれをわかってか、ニオの体に触れるか触れないかという絶妙な間を空けて指を這わせてくるから、ぞわぞわとした嫌な感覚が皮膚の上をもてあそんでいく。
さらには、やはり直接的に触れることなく顔を近づけてくんくんと匂いまで嗅がれるもんだから、その辱めは非常に耐えがたい。
「きさま、余を手籠めにでもしようというのか」
「シャッ、シャベッタアアアアアアアアッ!! あ、あ、なんて脳髄をとろけさせるかわうぃいいいぃぃっ、声だあっ!! もっとっ、もっと話そおっ!?」
ひっ、ひいぃぃぃぃっ!?
このままでは埒が明かないと少し声に出しただけなのに、プロトンは興奮し唾を浴びせてくるから、正直な気持ちあまり気分のいいものではない。
この世界が現実ならなおさら、たとえデジタルであったとしても、精神的に耐えがたいというのはどうにも代えがたい事実だ。
くぅ……早くアエカたちが来てくれさえすれば……。
「あああっ! なんで触っちゃダメなんだっ! 僕はっ、僕を受け入れてくれたこの世界でっ、ニオたんと幸せな家族を築きたいだけなのにっ!」
「おっ、落ち着くのだ! 望みどおり話をしようではないか!」
「ああっ! そっか、ニオたんが僕を受け入れてくれてないからかあ……。えへっ、そういえば、まだ僕のすごいところを見せてないもんなあ……」
「……っ!?」
これまで俺に覆いかぶさろうとしていたプロトンはゆらりと立ち上がり、狂気を宿したような表情で虚空を見つめて何かを考えはじめた。
俺の言葉は届いているようで届いていなく、これでは話もできない。
「ニオたんは、EPEXってFPSゲーム知ってる?」
「し、知ってる……」
プレイヤー三人でチームを組み、試合ごとにチャンピオンを目指すというバトルロワイヤル形式の対人シューターだ。
それも、2000年代初頭に流行ったものを、さらにフルダイブVR化して本物さながらの戦場を楽しめるという触れ込みでリメイクされたもの。
「それで僕、一度はEPEXの世界チャンピオンにまで上り詰めて、プレイヤースキルなら誰にも負けないくらい最強なんだ! えへへっ!」
「へ、へえ……。がんばったのだな……」
「がんばった……? がんばる必要なんてない……あいつらが弱いだけで……あいつらクソ弱いくせに……ぼっ、ぼぼぼっ、僕を追放しやがってっ!! 最強の僕をっ!! クソがあっ!! 腹が立つううううううううっ!!」
ひいいいっ!? いきなり地雷を踏んだ!?
つ、つまり、こいつは相当な腕前のFPSプレイヤーで、だけど人格に少々の……いや、かなりの問題があったから追放されたと……。
べつに彼に限らずよく聞く話ではあるけど、だいたいのあとの対応は、自覚して謝罪する者と開き直って逆恨みする者の両者に分かれる。
こいつに関しては後者、おそらくはチームどころか界隈からも追放され、新天地を求めてやって来たのが≪World Reincarnation≫。
そして皮肉なことに、ゲームセンスだけは本物だったんだろう……。
プロトンは短剣型のレリックを手に持ち、何やら不思議な動きでくるくると回していて、それだけを見るとたしかにこなれている。
「“プロトン”……だったな」
「――っ!? ぼ、僕の名前……そういえば、まだニオたんに名乗ってないけども……名前、なんで……。えへっ、やっぱり、僕とニオたんは通じて、ひと目でビビッときた時から、運命の出逢いだと思ったんだ……!」
「うむ、そうだな……。余とそなたは間違いなく出会う運命だったのだ」
「ニオたん……僕のニオたん……」
「よい。そなたなら、余は抱擁を許そう」
俺は両腕を広げ、彼を迎え入れる体勢を取る。
「ニオたん、ニオたん、僕の運命の女性、最高の伴侶ぉおおっ!」
だけど、忖度するつもりも、情けをかけるつもりも、彼の行いを許すつもりもなく、俺の領土で民を傷つけた報いはその身をもって返してもらう。
「あびゃっ!? あびゃああああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!!?」
抱擁を許すとは言ったけど、ハラスメント対策を切るとは言っていない。
そうして、誘いに乗って俺の体に触れたプロトンはスタンショックを受け、よほどの衝撃だったのか大部屋の反対まで吹き飛んで壁に激突した。
正直な気持ち抱擁すら嫌だったけど、この危険な手合いを迅速に鎮圧するのなら、その想いとシステムですら利用してしまうよりない。
「驚いたな、何をした?」
案の定、ディーは主が吹き飛ばされても動かずただ疑問を口にする。
「説明をしたところで理解はできまいよ。ところで、そなたは用心棒なのであろう? 雇い主が吹き飛ばされて動かぬのか?」
「奴に従うのは、その利に与かる者か弱みを握られた者だけだ」
「そなたは後者と……。なに、娘御は草の根を分けてでも捜し出そう
「姫さん……いえ、陛下、ご存じでしたか」
「楽に呼んでよいぞ。ユグドウェルはまだ小さな町にすぎぬ」
「では姫さん、これから……」
「……嘘だ」
「――っ!?」
すっかり終わったと、ディーと共に締めにかかっていると、壁に激突した状態のまま意識を失っていたはずのプロトンが声を上げた。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だっ……!! ニオたんが、僕を騙すはずが……僕を、この僕を、この最強の僕をっ、騙すはずがっ!!!」
「まずい……!!」
「あああっ!! 僕ををををっ、おまえもこの僕をををををををっ、世界に選ばれた僕を否定するのかああああああああああああああっ!!!」
そうして、プロトンの体から黒い瘴気が噴き出した。
どういう……ことだ……!?
一介のプレイヤーにすぎない彼が、いったいどうして≪冥い根の領域≫に吹き溜まる“枯れ地の瘴気”を身に纏うのか……!
彼の闇色の怒りが、山塞跡を冥く冥く染めていく……!




