第六十六話 実在の証明
俺の問いかけに、アエカは目を伏せて幽霊ちゃんの頭を撫でる。
その仕草は実態がないから空を切るに等しいけど、自分を落ち着かせるためか、揺れる長いまつ毛の隙間からはいまにも涙がこぼれ落ちそうだ。
「おじさまは、先日のことをどこまで覚えていますか?」
「イベントの時のことなら、痛みですべてを覚えてるわけではないけど……印象に残ってるのは、『Psycheが剥離しかけている……』とか」
「迂闊でした。そんな呟きまで聞こえていたんですね」
「ああ、苦しかっただけで意識ははっきりしてたから」
それに、あとになって単語の意味を調べた結果、“Psyche”とは古代ギリシアの言葉で、意味は“心”や“魂”、総じて“生きること”と知った。
つまり単純に解釈をするなら、“魂が剥離しかけている”と取れる。
もしここがゲームの世界なら、同様の事態に“接続が切れかけている”と表現するほうが正しいだろう。
真に迫るほどリアルなこの≪World Reincarnation≫で、アエカの言い回しは答えを告げているのと同義。たとえ生配信向けの台本があったとしても、あれほどの動揺が演技だとはとても思えない。
「はぁ……。おじさまに隠し事をするのは苦手です……」
アエカは視線を上げ、困り眉ながらもやわらかく微笑んだ。
俺も同様の表情を彼女に返し、ふたり揃ってどうしようもなく笑う。
「おじさまが勘づいていることは、早い段階から私も気づいていました」
「オレたちはそれなりに長い時間を共に過ごしてきたから、お互いさまだな。アエカがオレに嘘をつきたくないのも知ってるし、だから気づかれないのならそれでいいと、いつだって自分ひとりで抱え込もうとするんだ」
「ふふっ……。だから私は、そんなおじさまを……」
アエカは、それ以上を口にしなかった。
俺を見つめたまま、その表情は悲しげに歪む。
……嫌な予感がする。
彼女の隠し事は聞くべきでないと、心の奥底で警鐘が鳴っている。
「それでも……」
「おじさま?」
「聞かせてほしい。この世界は、いったいなんなんだ?」
「現状ですべてをお話できませんが、それでもよろしいですか?」
「ああ、いま話せることだけでいい」
「はい」
アエカは小さく頷くと室内に視線を巡らせたけど、実際にはどこかを見ているわけでなく、何を話せばいいか迷っているときの癖だ。
俺は辛抱強く見守り、彼女が再び口を開くのをただ待つ。
「そうですね……。お察しのとおり、この≪World Reincarnation≫は、一般的に想像される普通のVRMMOではありません」
「――っ!」
「現状で開示できる情報の内で説明をするのは難しいのですが、“ゲーム的なシステムを組み込んだひとつの世界”とでも考えてもらえれば」
「それは、どういう……?」
「質問になりますが、幽霊ちゃんにとってのこの世界は現実ですか?」
アエカはそんなことを尋ねながら幽霊ちゃんの頭を撫でる。
「仮に、オレたちの世界を外から観測する存在がいるとしたら、オレたちの現実こそが仮想ともなりうる。つまり、オレたちにとっての仮想世界でも、ここに暮らす人々からしてみたら現実世界にほかならない」
「そうです。“現実”だとか、“仮想”だとか、そんなものにいっさいの差はなく、私たちの認識するすべてが“現実”そのものなんです」
「よ、要するに……」
「この≪星霊樹の世界≫は本当に存在しますよ」
「……」
ずるいことに、アエカはどこに存在するとは言わない。
同じ宇宙に実在する別の惑星とも、次元を隔てた異世界とも、すべてが懸念でしかなく、やはりデジタルに創られた仮想世界だとも。
そのすべてが、“現実”であり、また“仮想”であり、個の認識ひとつでどちらにもなりうると、結局は答えになっていなかった。
現状では話せない。
まあそういうことなんだろうけど、ここまで遠回しに“存在します”とする理由こそが、ほかでもない≪星霊樹の世界≫の存在証明なんだ。
俺の察しに、アエカも困ったような微笑で応える。
「上手く誤魔化された感じだけど、いまはそれでよしとしよう」
「ありがとうございます」
「終わりじゃないぞ? オレの状態はどうなってる? あの時、敵を目の前にして、なんでオレは理由もなく倒れたんだ?」
「それは、ごめんなさい。接続が不安定になってしまったんです」
「それだと、“魂が”とまでは表現しないだろう?」
「意味を調べたんですね。おじさまは抜け目がありません」
「ああ。で、どうなんだ?」
「大丈夫ですよ、いまは安定していますから」
「あくまで押し通す気か……」
「ごめんなさい……。まだすべてをお話できなくとも、私がおじさまをなにより大切に想い、決して失うつもりもないことだけは信じてほしいのです」
「それは、“運命の強制力”とやらから守っていると……」
「はい」
アエカは本当にずるいな……。
言葉少なく、核心には触れず肯定だけをする……。
“運命の強制力”、つまりは“死する運命”だと考えるけど、これだって普通は人の手で介入できるようなものではないんだ。
彼女は昔から、はじめから優秀だけど、本当に人なのか……?
それこそ、彼女こそが“神理を超えし者”だと言われても……。
いや、いまはこれ以上の深掘りをやめよう……。
「オレは、アエカを信頼してるよ」
「おじさま……」
「やはり、共に過ごした日々がどうしようもなく証明なんだ」
「あっ、ありがとうございますっ!」
この時になって、アエカはようやく朗らかに笑った。
その笑顔こそが、なにより裏切りようのない信頼の証。
「完全に納得はできてないけど、時が来れば話してくれるんだよな?」
「はい。それでなくとも、おじさまは察しがいいので勘づかれるかもしれませんが、そうだとしても必ずお話をすると約束します」
「頼む。それと、ひとりで抱え込まないように、無理だけはしないように」
「……はい。だからいつか、ホツマさんに頼らせてください」
アエカは微笑みながら、それでもどこか憂いを抱えてそう告げた。




