第三話 おじさま、女の子になる。(3)
俺はゴブリンを警戒しながら、周囲の様子にも注意を向ける。
この場所は、崩れた天井から陽光が差し込む石造りの廃墟で、これまで座っていた玉座がひとつあるだけの広間だ。
周囲に武器になるようなものは瓦礫くらいしかなく、ゴブリンは一体だけだけど、もしも広間の外に追加がいるのならまずいかもしれない。
「イギィ……アヴェンナビギィエェ……」
「お、怒った……?」
言葉はわからないものの、こちらを睨むゴブリンは訊くまでもなく怒っている。
俺だって、理不尽な貞操の危機にただ黙ってやられるのはごめんだ。
「武器さえあれば……」
『レリックです!』
「はいっ!?」
もう瓦礫で殴りつけるしかないと考えた時、この状況に介入してくる声があった。と同時にチャットツールウィンドウが開き、よく見知った顔が、それも慌てた様子で姿を映す。
『レリックがあります! インベントリに入っているので、すぐに装備を!』
「アエカ! いまどこに!?」
『いまは社のシステムコントロールから……いえ、そんなことよりも! 少しの間、私がログインするまで凌いでください!』
やはり、ここは≪World Reincarnation≫の中なんだ。
相変わらず状況はわからないけど、それならビビることはない。
俺は言われたとおりに、先ほどと同じ要領でインベントリを開く。
======
≪星宿の炉皇≫
形状:特大剣
属性:光焔
物理攻撃力:150
属性攻撃力:30
重さ:8
シードクリスタル スロット数:1/2
≪生命の杯≫:レベル1 スキル:≪創世の灰≫ 光焔属性:30
思い描くことで任意の現象を創造する。
======
そこにひとつだけ入っていたアイテムは、要するに武器だ。
≪World Reincarnation≫では総称して≪遺物≫と呼ばれ、ステータスや付与スキル、形状まで自由にカスタマイズできる、プレイヤーごとの固有武装。
装備するには、インベントリ内の該当オブジェクトを掴んで取り出すだけ。
「これでどうだ!」
ニオの専用レリック――≪星宿の炉皇≫
形状は特大剣。全長は147cmのニオの身長を優に超え、身幅は20cm。小柄な身で振るうには大きいけど、少女が巨大な武器を振り回すロマンのためだけにステータスを設定したから、現状でも十分に扱えるはず……。
黄金に光り輝く粒子をきらめかせ、少女の手に純白の特大剣が具現化する。
「ギキィッ!? アヴェンナビッ、ギガディエンゴッ!!」
こちらが武器を抜いたことで、ゴブリンは慌てたように威嚇をはじめた。
ただ、体格差のない相手に対して巨大な武器でのインファイトは不向き。
俺は特大剣を上段に振り上げて構え、あくまで迎撃する体勢を取る。
「ウギョッ、ギィィ……ギキャアアァァァァッ!!」
「ゴブリンごときに負けるかっ!!」
ゴブリンは逃げることもなく跳びかかってきた。
だけど、その行動はこちらにとっても好機。俺はゴブリンの定まった落下軌道に合わせ、一歩を踏み込みながら特大剣を相手の胴めがけて叩きこむ。
そうして、ゴブリンは地につくこともなく空中で袈裟斬りにされ、最終的に黒い霧状の粒子を散らして跡形もなくなった。
「は……はふぅ……。VRアクションやっててよかった……」
結果は、特に気を張る必要もなく状況に上手く対応できたようだ。
緊張を鎮めようと思わず触れてしまった胸が柔らかい。心臓は速鳴り、吐き出した息は熱く、ここが≪World Reincarnation≫の中だと認識したいまでもなお、触れる感覚のすべてはまるで本物の世界にいるかのよう。
冷や汗までかいて……これが、新世代VRMMOの感触……。
「おじさま! 無事ですか!?」
少しすると、ログインを示す光柱のエフェクトからアエカが姿を現した。
その姿は、現実の彼女とさほど変わりない。
黒髪黒眼の俺とは違い、ひとつに結われた金髪と美形に収まる碧眼の外見は、誰が見てもこれで純日本人とは思わないだろう。
身にまとう瀟洒なメイド服がやけに似合っていて、むしろファンタジー世界の住人にも見えるけど、実際の中身は少々手のかかる変わり者。
そんな、歳が離れた彼女との関係性は、端的に説明できない程度には複雑だ。
「おじさまー---っ!!」
「え、おわっ!? ふぐぬっ!?」
無事を告げようとすると、駆け寄るアエカに無理やり抱きしめられた。
元の姿ならともかく、いまの身長差は俺のほうが低いので、頭部がちょうど彼女の胸の位置で柔らかな圧迫に絞めつけられる。
「おじさまっ、本当に無事でよかったっ! 目覚められて本当にっ!」
「ぐっ、むぐぐっ、むぐ……ふがぐぐー---っ!?!!?」
「体はなんともありませんか!? どこか違和感は!? 痛いところは!?」
「ふぐっ! ふぐぬっむぐぅっ! んぐー---っ!!」
心配してくれるのはありがたい。
でも力いっぱいに頭を抱え込まれ、背や腰やら尻やらを妙に優しい手つきでさわさわと触れられるのは、苦しい以上に変な気分にされてしまう。
「ん、んんぅ……ふはっ! やっ、やめろ苦しい! オレは大丈夫だから!」
「あっ、あ……。ご、ごめんなさい、腕力補正があるのを忘れていました……」
「い、いや、問題ない。次から気をつけてくれれば……」
謝っているわりに、アエカの表情は口元がだらしなく緩んでいる。
その表情の意味こそが彼女を変わり者とする所以で、俺に懐いてくれているのはいいけど、かわいい少年少女が大好きという少し困った一面まであるんだ。
つまり、懐いている“おじさま”が、大好物の“美少女”になっているこの状況……ひょっとして、まだ貞操の危機は去っていないのでは……。
とりあえず……。
「それよりも、何がどうなって……」
「はい、説明をさせてください」
彼女は神妙に頷き、その表情を哀しげに歪めた。