第二十話 澱みの底に潜む者(3)
看守部屋を出て、さらに奥へと進むこと十五分。
ただひたすらに牢が連なっている巨大な監獄は、所々に拷問部屋のようなものまであり、作り物だとわかっていても気分のいい場所ではなかった。
考えてみると、総督用の正装がこんな所にあった理由も、戦禍に見舞われた古王国時代の負の遺産という設定がゆえなのかもしれない。
「十字路、≪生命探知≫を」
「……反応、あります。右方向、四つ目の牢内」
ここまで来てようやく、少なくとも生きている人間の反応を捉えた。
俺たちは急ぎ足で、それでも慎重に周囲を警戒しながら目的地を目指す。
ほんの十数歩の距離は、小さくなってしまった歩幅ではやけに遠く感じられるけど、それでもやはり水滴が滲む頬を拭う間にたどり着いた。
「イースラか?」
「ぁ……だれ……?」
その牢内には、たしかに人がひとりいる。
革製の軽装姿で、耳の先端が少しだけ尖ったその他の特徴に乏しい姿は、この世界での一般的な人類である“魔人種”の女性だ。
部屋の隅、半分ほど破砕された樽の陰に潜む姿は苦しげで、よく見ると大腿部に添え木が当てられ縛られているので、歩けないのだろう。
「余の名は“ニオ ニム キルルシュテン”、新たにこの地の領主となった者だ。ムーシカやロジェスタから話を聞き、そなたを助けに来た」
「ほんと……に……?」
「でなければ、こんな所にまで来たいとは思えないな」
「それは、言えてる……。あたしも、あいつに追われて怪我さえしなければ……こんな所からさっさと帰還したのに……」
「あいつ?」
「“ラットキング”……。ジャイアントラットより大きくて、群れを統率していたから、あたしがそう名付けた」
「ラットキング……。そいつはまさか……」
「“骸渡りのトリストロイ”、間違いなく地下水道のボスですね」
話の流れに、アエカがその正体を告げた。
そうして話す間にもイースラはこちらに這いずり寄り、檻の扉をぐるぐると巻いて固定していたロープをナイフで切る。
案の定、ロープはジャイアントラットにかじられていたけど、同時に錆びた鎖も巻きつけてあるので、牢内に侵入されることだけは防いだようだ。
狩人の知恵、というよりは生きるための足掻き……。
この、自己の意識をもって生きることを当たり前のものとして生きるという行為が、現実の人も、この世界のNPCも、そう変わらないと思った理由。
「ボスの件はあとで。アエカ、イースラの傷の具合を」
「はい。イースラさん、傷を見せてください」
とりあえず、俺たちは開いた扉から牢内に入った。
「あとは、携帯食と水だ。ここから脱出するために少しでも体力をつけてもらうぞ、イースラ。……というか、イースラか?」
状況から訊くまでもないとは思うけど、これで別人だったら大問題なので、まだ名乗られていない名を彼女の口から直接訊くことにする。
「そう、あたしがイースラ……。あ、領主さまに向かって失礼な口調……」
「いや、いまはいい。怪我に障ってはいけない、楽にしてくれ」
「領主さまは、やさしい……?」
「そうなんです。おじ……ニオさまはおやさしいのです」
いま、思わず“おじさま”って言おうとしたな……。
イースラは俺たちと話していて気がまぎれたのか、先ほどまでの苦しげな様子は少し薄れているようだ。
彼女は一人前の狩人とのことだけど、その面差しはまだ若く十代後半。
本来なら、危険が想定されるダンジョンの調査などは、もっと大規模な調査隊を組織してしかるべきで、やはり人材の数が圧倒的に足りない。
まあ、人の数は正式リリースを待つことになる……。
「それで、そのラットキングについてだが……。まず第一の目的として、イースラを連れて地下水道からの脱出をなにより優先する。問題は、その際に当該モンスターが障害となるか……。どうだ?」
「確実になります。イースラさんに怪我を負わせたのであれば、すでに獲物として認識されており、奴の執着はボスエリアを出るまで続きますから」
最初に答えたのはアエカ。
執着というよりは、ゲームシステム的な“敵対値”によるものだと思うけど、これがリセットされるまでは相手を執拗に狙うのは当然だ。
「ここから出ると、あいつは来る……。この脚だと走れないし、あたしが一緒だと、どうしたって逃げられない……」
イースラはとうの昔に覚悟をしていたのかもしれない。
「怪我の具合は?」
「右大腿部の裂傷と骨折ですね。すぐに焼いて出血を止めたおかげで、傷の程度より体力は残っているようですが、ひとりでは歩くことも無理でしょう」
「そうか……」
最初期のイベントとしては、取れる対応策が乏しく、重い。
要救助対象が脚を怪我しているというのは、要するに傷病者をひとりが支えることになり、残るひとりでボスを凌がなければならないという状況だ。
彼女を助けたいという思いに嘘偽りはない。
それでもどこか、相手がゲーム内のNPCであるなら、まずは死ねない自分自身を優先して置いていくべきだ、という邪念も生まれてしまう。
所詮はゲーム。
だけど、そう割り切ってしまえば、俺が創ろうとしている楽園は真の虚構。
俺自身にとっても、いっさいの価値がなくなる。
ならば、この必ずしもクリアできるようには作られていないイベント……クリエイターとゲーマーの矜持をもってクリアするしかないじゃないか。
「アエカ、付き合ってくれるか?」
「愚問ですね。私はニオさまのアエカとして、たとえ神仏と敵対することになろうと、どこまでも共に歩みます」
「それは大袈裟だが……ならば余も、皇姫たる姿を見せないとな」
決意が固まる。
今回のクエストは、“要救助者を連れながらの対ボス撤退戦”。
ほぼ初期ステータスで、攻撃スキルも防御スキルもない状態で、この難局を乗り越えるために力を尽くす。
イースラを無事に連れ帰ることこそが、クエストの完遂だ。




