第百五十二話 信仰の芽生え?
――ユグドウェル城塞、浴室。
「ふぅ……。やっぱりこの時間が一番心休まる……」
“華麗☆なる”との夕食を終え、今日のところは城塞に泊まる彼らが就寝する頃合いを見計らって、俺は浴室にやって来た。
最初こそ、ニオの裸身を見ても触れてもいけないと服を脱ぐのもいやだったけど、それなりの時間を過ごしてさすがに慣れたせいか、いまはむしろこのひとりになれる時間こそが一日の中でもっともくつろげる機会だ。
誰も、何もいなければひどい目にも遭わず、唯一の懸念であるアエカも最近は忙しくしていて割と早い時間にログアウトする。
ムーシカもイースラも幽霊ちゃんにしても、よく来るとはいっても毎日ではないから、今日だって鉢合わせにさえ気をつければこうしてひとり。
「すっかり少女の身にも慣れたもんだけど……親心ゆえか、どうしたって体を洗うのだけは抵抗があるんだよな……」
とはいえすでに体は洗い終え、いまは肩まで浸かって湯を眺めている。
旅の間は満足に入浴もできずにいたから、こうして身を清め湯に浸かっていたほうが、現代人としては生きている実感があるかもしれない。
昔ながらの旅も悪くなかったとはいえ、やはり極限までの不便に身を置くと、より便利な現実世界のありがたみがよくよくわかる。
俺が、現実の“勇波 秀真”が目を覚ます目途は立っていない。
本人が、こうして意識があるのに目が覚めないというのはおかしいけど、ニオでいることに違和感がなくなっていくことが、ひょっとしたら目覚めを阻害している原因なんではないだろうかとも思う。
「いつまでこのままなのか」……そんな不安ですらも、最近では「これはこれで悪くない」という真逆の思いが薄れさせていく……。
「……ん? 誰……だ……こんな時間に……?」
湯舟でひとり物思いにふけっていると、唐突に部屋を仕切られている洗い場から人の気配がした。
時刻は、誰かが来るとは思えない深夜も近い頃合い。
大自然に囲まれた外は真っ暗、浴室内にはランタンしか光源がなく、変なことを考えなければやわらかな暖色に居心地はいいけど、何者かの存在を感じ取ってしまえば気分は途端にホラーとなる。
それも湯着しか着ていない少女の身では、どうにも心細い。
そうして俺は、湯の中でできるだけ音を立てずに身を縮こませるも、ほどなくして姿を見せた人の姿を見てよくわからない安堵の溜め息を吐いた。
「は……はぁ……。なんだそなたか……」
実際には、特に親しくもない女性だったから安堵というわけにもいかない。
「皇姫殿下、おくつろぎのところを申し訳ございません。少しの間、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
神妙な素振りで姿を現したのは、たしか名前を……。
「“セラフィーナ”だったか……。外にメイドがいたはずだが……」
「通していただきました。私も“聖女”という肩書を持つ身ではありますから、追い払うこともできなかったのでしょう。咎めるのであれば、私を……」
「いや、この程度で咎めるつもりはない」
「ありがとうございます」
まあ、信頼の置けない相手を主の前に通したとなれば罪に問われもするだろうけど、“聖女”というのもこの世界では相当な肩書だ。
宗教における聖像の役割というわけではなく、NPCのなかで唯一“枯れ地の瘴気”を浄化できる存在だから、特別という意味ではニオにも比肩する。
ヴァローレンが彼女を紹介した時は驚いたもんだけど、やはりあの変な英雄殿は、変がゆえに一般人にはない何かがあるのかもしれない。
「まずは湯に浸かるがよい、湯冷めされても困る」
「皇姫殿下はお優しいのですね……」
「人として最低限の礼よ。それに、裸となってしまえば肩書なぞなんの意味も持たぬ、ここでは余のことを名で呼ぶがよい」
「では失礼をして、“ニオ姫さま”と……」
そうして、セラフィーナは静々と俺の隣に腰を下ろしてきた。
彼女の手前、平静を装ってはいるけど、一言で言うとボンキュッボンな女性が無防備な湯着姿でそばにいるのは、男心になんとも響く。
濡れそぼったピンクブロンドの髪に、ニオを遠慮なく見つめてくる紫眼はアメジストのようで、気なんてなくとも上せてしまうような美貌の持ち主だ。
「し、して、このような場まで何用か……?」
「はい、恐れ多くもニオ姫さまに申し上げてもよろしいでしょうか」
「ここまで来て遠慮せずともよい、申せ」
「では……。ニオ姫さまと、ヴァローレンさまは……恋仲なのでしょうか?」
「ぶふぅっ!? がぼぉっ!?!!?」
入浴中に来てまで言うセラフィーナの言葉に、俺は盛大に噴き出して湯の中に突っ込んでしまった。
「ニオ姫さま!?」
「げほーっ!? げほっ、ごほっ……なっ、何を突然……オレ……余が、あの男と恋仲になぞなるわけがなかろう……!?」
「そうなのですか……?」
「まさかとは思うが……そなた、あのヴァローレンを慕っておるのか……?」
「はい……。ヴァローレンさまは、闇域の冥主シルモアに捕らえられていた私を救い出してくださったお方……。お慕いしております……」
はぁ、へぇ……ふぅん……そういうことか……。
「ですが、ヴァローレンさまがお心を向けておられるのは、ほかでもないニオ姫さまであられます……」
「えっ……。そそっ、それは気のせいでは……」
「ニオ姫さまに向けられるヴァローレンさまの眼差しには、ほかの者とは明らかに異なる熱情が込められております……」
「そんな……バカな……」
「それが愛情かどうかは私には判別しかねますが……ニオ姫さまに対し特別な感情を抱いていることはたしか……。その様はまるで……創世神話に出てくる混沌の神々から女神を守る騎士かのような……」
セラフィーナが、ヴァローレンから何を感じ取っているのかはわからないけど、ニオはあくまでWoRのNPCにすぎないからそれは絶対にありえない。
仮にあったとしても、あの男の様子からそういうロールプレイをしているだけで、真に心を向けるということは常識からすればやはりありえない。
いや、二次元の存在にしか興味がない類の人という可能性はあるけど、ヴァローレンはほかの女性プレイヤーにも皆あの調子なんだよな……。
彼女は、いったいなぜそう思い込んでいるのか……。
「私……諦めたくありません……」
「ちょっ……近……」
セラフィーナが、悲壮な覚悟をしたような表情でグイと詰め寄ってくる。
「私は……ヴァローレンさまを……誰にも……たとえニオ姫さまにであろうと……お渡ししたくありません……」
すでに鼻先は触れ合い、胸と胸同士も押し合ってやわらかく形を変え、それでもさらにグイグイと押し込んでくる彼女に俺はついに湯舟の角にまで追いやられ、壁ドンならぬ縁ドンをされる状態となってしまっていた。
湯のせいもあるのか、セラフィーナの体からは熱いほどの熱が伝わってくるし、お互いにこうまでやわらかいと俺の意識こそたやすく崩されてしまいそう。
「お、落ち着くのだ……。よ、余はヴァローレンに興味がないゆえ、そ、そなたがあの者を求めることに邪魔だてはせぬ……だ、だから、落ち……」
「なぜですか……。ヴァローレンさまに興味がないとは、ニオ姫さまといえども聞き捨てなりません……」
「えっ!? そ、そのほうがそなたには都合がよいであろう……!?」
「いいえ、ヴァローレンさまの尊さを世情へとあまねく伝え知らしめるべく、人の上に立つお方の認識がそれでは困るのです……」
セラフィーナは俺の両頬を手で包み込み、濁りがないにもかかわらず、まったくハイライトのない瞳に視線を固定した。
「さあ、復唱してください……。ヴァローレンさまはいと尊きお方……」
「な、なぜ……そのようなことを……」
「復唱してください……。ヴァローレンさまはいと尊きお方……」
「ヴァ、ヴァローレンさまは……いやいやっ!?」
長湯になってしまったがゆえに体は上せ、さらにはセラフィーナのやわらかな肢体にも包み込まれ、なんか気持ちよくさえなってきてしまっているけど、強いられる感情がヴァローレンに対してなのはいやだ!
「さあ、ご遠慮なさらずに! 共にヴァローレンさまを崇めましょう!」
それも、最初こそヴァローレンを取り巻く三角関係にでも巻き込まれたのかと思ったけど、明らかに純粋な情愛からではないなこれ……!?
まさかの、“ヴァローレン崇拝”……!?
最終章は一話の文字数を増やして隔日更新となります。
最後までご覧いただけたら幸いです。