第百三十六話 とりあえず退避ーっ!
「ニオさまぁっ!!」
海中での機動力は相手のほうが上で、退避するといってもどうするのかを考えた時、背後から近づく声が聞こえてきた。
振り返ると、ヒワとツキウミが小型船に乗って海上を疾走してくる。
それも粗末な釣り船で、動力なんて手漕ぎくらいだろうに、現代のモーターボートかのように勢いよく航行……というよりも水流に押されているようだ。
おそらくは、“水”系スキルによる水流操作。
「ツキウミ! ヒワうわっぷっ!?」
小型船は弧を描くような軌道で、その折り返し地点にいる俺たちは、ヒワの手を掴むと同時に大量の海水をかぶってしまった。
だけど、エンシェントクラーケンを前にして止まってはいられない。俺たちは小型船に引きずられて何度か海面に叩きつけられはしたものの、すぐに引き上げられて事なきをえる。
「ニオさまっ、お怪我は!?」
「げはっ! げふっ! いっぱい海水飲んだ……」
同時に引き上げられたアエカが心配をしてくれるものの、彼女のほうこそひどいありさまで、むき出しの肌にはアザまでできてしまっている。
「アエカこそ痛いであろうに、すまぬ……」
「私は構いま……」
「おふたりとも、しっかり掴まって!」
「んっ、ふぎゅっ!?」
互いの安否を確認していたところ、俺は突然の横からの衝撃にアエカの胸に顔から突っ込んでしまった。柔らか……いやそんな場合ではない。
「なにが……!?」
「なにがってぇ、そりゃクラーケンに追撃されてますよぉっ! ツキちゃんが上手く避けてくれてますけどぉ、しっかり掴まっててくださいねぇっ!」
「≪風爆≫!!」
「ふわぁんっ!?!!?」
ヒワの忠告を受けるやいなや、小型船の側面で空気が炸裂した。
すると小型船は急激に進路を変え、数瞬前にいた場所にエンシェントクラーケンの腕が叩きつけられる。
まるで水蒸気爆発でも起こったかのように海面まで炸裂し、俺たちの乗った小型船はその煽りを受けてさらに勢いを増す。
「も~、ニオさまはそんなにおっぱいが好きなんですかぁ? こんな時まで仕方ないですねぇ、少しだけですよぉ?」
「うぇっ!? ちちっ、違うっ、急激に進路を変えるからっ!!」
煽りを受けたのは乗る人も同様に、今度はヒワに突っ込んでしまう。
べ、別に狙ってやっているわけでは……!
「と、というかどうやって進路を……」
「≪風爆≫!!」
「ひゃっ!? むぎゅぅっ!!」
またしても、今度は逆側に衝撃を受け、再び転がった俺はツキウミの背に抱きつく形となってしまった。
「はぅっ!? ニオさまっ、集中してるのでふざけないでくださいぃっ!」
「そうは言ったところで、こうまで揺れる……と……」
最後まで答える猶予もなく、高々と持ち上げられるタコ腕が視界に入った。
「≪風爆≫ぅっ!!」
「んやぁぁっ!!」
「ニオさまっ、私にお掴まりください!」
「うくっ……。あ、ありがと……」
そうか、水流操作は砂浜のプレイヤーたちが、急激な方向転換はツキウミが空気を炸裂させる≪風爆≫で無理やり行っているんだ。
俺は何度となく船上を転がり、最終的にアエカが抱きとめてくれたことで安定はしたものの、水着では掴まるところがなくて手が泳いでしまう。
エンシェントクラーケンの追撃は続く。そのたびに小型船は左右へと急激に進路を変え、なんとか避けてはいるものの、叩きつけによる衝撃と≪風爆≫によっても船体にダメージが入ってしまっているようだ。
ただもう砂浜が近い。たどり着けさえすれば、あとは……。
「にゃっ!? 挟まれたどっちにぃっ!?」
「チッ!! 真後ろだっ、速度を増せぇっ!!」
「≪風爆≫ぅっ!!!!!」
タコ腕が二本、小型船を挟むように高く高く持ち上げられる。
ツキウミは≪風爆≫を真後ろで炸裂させるも、叩きつけも同じタイミングで行われ間一髪で避けはしたものの、空中へと吹き飛ばされてしまった。
「わああああああああああああああああああああっ!?!!?」
俺たちは噴き上がる大量の海水に弄ばれ大回転状態。
耐久限界を超えた小型船はバラバラの木片となり、肌を裂く。
グルグルと回る視界は完全に前後左右を見失った。
それでも俺を包み込む柔らかさは、決して離れないまま。
なら俺も、彼女を守るために、できるだけ抱きしめたままでいるしか。
……。
…………。
………………。
しばらくの浮遊感と衝撃のあと、ほどなくして視界が安定した。
「ニオさま、もう大丈夫ですよ」
優しい声音に顔を上げると、視界に入るのは当然アエカ。
しがみついていた体を離して周囲を確認すると、辺りはすでに砂浜の上で、俺は彼女にお姫さま抱っこをされている状態だ。
砂浜には足でブレーキをかけた跡が長く残り、着地の衝撃を殺すためだろう、砂には肌が擦り切れてにじみ出た血が混じってしまっている。
「ニ、ニオさま……!?」
俺は再び、自分の意思で彼女を抱きしめる。
「……無理をさせた。……ごめん」
「……いえ。あなたを守れるのなら、私はこの身を挺してでもあらゆる困難に立ち向かいます。このくらいはなんともありませんよ」
アエカはなんでもないことかのように、頬を寄せて返してくれる。
いい加減に自覚しないと……。自分の無配慮な行動が周りを巻き込んでしまうと……。このままでは、いつか彼女を……。
深い思慮のなかで、だけど周囲から聞こえるのはけたたましい喧騒。
「とりあえず手当てをせねば……」
「はい、まずはニオさま……」
「そなたからだ、足裏から出血しておるだろう? 打ち身もひどい」
「それは……」
「ツキウミとヒワは無事か?」
「はいは~い、ヒワたちはなんとか無事ですよぉ」
「ぺっぺっ、砂を飲んじゃいましたぁ……」
「取り急ぎアエカに≪光癒≫をかけてやってくれ」
「ニオさまはぁ?」
「余は、エンシェントクラーケンに対処する」