第百三十五話 探し人はペンギン
「ところで、なんで顔を近づけてくる……?」
「人工呼吸ですが、なにか?」
「じっ!? 意識あるから! 必要ないから!」
「何かあっては困ります! いますぐに人工呼吸を! ちゅぅ~」
「やっ、やめろぉっ!!」
アエカは俺を捕らえたことで安心したのか、いつもの本気か冗談かわからないおふざけをはじめた。
攣ったふくらはぎにはまだ痛みがあり、自力では姿勢を維持することができないため、結果として彼女と密着しているのもまずい。
俺の体はしっかりと抱え込まれ、水気を帯びた肌がまるで吸いつくように絡まり、柔らかさも相まってこちらまで煩悩が刺激されてしまう。
アエカの美貌には慣れているといっても、普段の生活のなかで肌と肌を合わせるほどに密着することはまずないんだ。
「そっ、それよりも!」
俺は手でアエカの頭をグイと遠のける。
「オレ……余を助けてくれた者がおったであろう? その者は?」
「その方でしたら、すぐそこ……に……」
指し示すためにアエカの視線が向いたのは、俺の右斜めうしろ。
だけど、視線を向けるとともに触れる彼女の体が明らかに硬直した。
「どうし……た……」
俺もアエカに倣って肩越しに背後を見る。
間違いない、ペンギンままの姿を持つ種族――“皇人種”。
彼らは西方大陸で小さな国を築いていたものの、この世界の人々にとっても珍しい“飛べない鳥人”という分類は、好事家による奴隷狩りの対象となってしまったという薄幸の種族だ。
人大で、人語を喋り、先ほど見たとおり海中では空を飛ぶように高速で泳ぐけど、ペンギンままの体格のせいで陸上では非常にとろい。
だから奴隷船に乗せられ、遠く離れたここ中央大陸にまで連れてこられたわけで……そう、彼こそが俺が探している少年“名無しのネム”だ。
……というか、非常にまずい状態なのではないか。
「ア、アエカ……」
「は、はい……」
「刺激しないように、とりあえず陸へと向かえるか……?」
「は、はい、すぐに戻りましょう……」
アエカは俺の脇から胸を抱え込むように片腕を回し、こちらをじっと見ているだけのネムから遠ざかるように泳ぎはじめた。
砂浜は彼を挟んだ向こう側。声をかけるでもなく、最短で横を通り抜けるでもなく、わざわざ遠回りをして背後に回るような進路を取る。
俺は脱力したまま身を任せ、爪先を引っ張ってふくらはぎを伸ばしつつも、視線だけはネムに向けたままできるだけ目を離さない。
なぜ彼はあの状態になっているのか……。
なぜ俺たちがこうまで警戒してまず退避を選択したのか……。
それは“名無しのネム”が、“冥白化現象”による仮面を被っていたから。
その様は、白いシルクハットを被ったペンギン。言葉上はコミカルな印象を受けるものの、その実は“混沌の眷属化”といってもいい現象だ。
なぜ……も何も、奴隷狩りに遭い、友人や家族とも引き離され遠く離れた地に連れてこられた挙句に船は難破し、流れ着いた地で十二歳の少年がその日暮らしをするに精一杯という状況は、そりゃ鬱憤も溜まるはず……。
つまり、冥白化する条件はまだわかっていないけど、強い精神的情動が引き金となってしまうのなら、彼には充分にその理由がある。
だから、見つけ次第すぐに保護したかったんだ。
「ニオ……さま……!?」
「どうした……!?」
「私たちの真下に……海中に、何か……!」
「なん……だっ!? ひぅっ!?!!?」
見ると同時に、足裏にぬめりとした何かが触れた。
だけど、真下にいるにもかかわらずその姿を形容することもできない。
それはなぜか、あまりにも大きすぎて視界に収まりきらないから。
モンスターなのは間違いない。
この海域で、これだけの巨大水棲モンスターなんて……。
「クアァッ、ピギーーーーっ!!」
「――っ!?」
「きゃっ!? きゃああああああああっ!?!!?」
「うおああああああああああああっ!?!!?」
そして、ネムが鳴き声を上げると同時に、俺とアエカはやはり巨大な触手……いや、腕に空高く巻き上げられてしまった。
「くっ、こいつ……! キング、いや“エンシェントクラーケン”か……!!」
大きい、というだけで予想はできていた。
“エンシェントクラーケン”――ただでさえ、中型船くらいなら海に引きずり込むほどに大きいクラーケンの中でも、特に規格外のユニーク個体だ。
本来は基本的に茶褐色の体皮が、星霊力を長年受けたことにより青色の美しいグラデーションとなって神秘性を増し、大きさも通常個体の三倍。海の中にあって全体は把握できないけど、頭だけでも三十メートルはあるだろうか。
俺とアエカは、エンシェントクラーケンの八本ある腕の内の一本に捕らえられ、海面までの高さはちょっとしたマンションの全高ほど。もしも、このまま叩きつけられでもすれば即死は免れない。
それなら、まだ自分から飛び込んだほうが……。
「アエカ……!」
「はっ、はいっ! やってください、大丈夫です!」
普通なら、両腕を拘束されてしまえば何もできないけど、俺たちプレイヤーに関していえば思考入力でもUIを操作できる。
つまり、体ごと両腕まで巻かれていようと、レリックを装備してしまえばエンシェントクラーケンの腕の中で特大剣が具象するということ。
「行くぞ……! あちっ、くぅっ……おああああああああああああっ!!」
そうして、特大剣は出現と同時に相手の皮膚に食い込み、いかな柔軟性も光焔で焼いてしまえば硬くなってあとは斬り裂くのみ。
自分自身の光焔が少し熱かったけど、かくして俺たちは空中へと放り出され、ニオの体を抱え込んだままのアエカと共に水面へと落下した。
「がぼぉ……う、ぐ……ぐぐ……ぷはぁっ!!」
「はあぁっ! はぁ、はぁ、はぁ……」
着水面積を最小限にしたものの、やはり痛いものは痛い。
それでもなんとか再浮上して酸素を吸い、再び相手を見上げる。
「いくらなんでも……無理だろ……」
「同感です。皆のもとへと退避しましょう」
「そうしよう……」