外伝 id Software
――≪World Reincarnation≫、開発室。
いま外部より帰って来たのは、てっちゃんこと“飯間 哲士”。
「あ、てっちゃん! お帰り、どうだった?」
廊下を足早に歩く彼に、キャラクターデザインチームのリーダー“高屋 ミミ”が声をかけるも、その表情はどこか浮かない。
それというのも、度重なるトラブルに業務外の対応を強いられた“寿崎 一真”が、連日の激務のせいで秀真に続き倒れてしまったからだ。
「みなさんお揃いで、ちわっす。とりあえず大丈夫っすね」
「いま寿崎Pに抜けられると困るんだが、具体的にはどうなんだ?」
高屋と一緒にいた数人の内のひとり、モンスターデザインチームのリーダー“矢田 剣吾”が、とりあえずと言うてっちゃんに対して問い返した。
寿崎が倒れたのは午前中。すぐに病院へと運ばれ、付き添いのてっちゃんが帰ってきたのは十六時過ぎ。
彼らがいない間も開発室では通常業務が行われていたものの、やはり誰もが安否を気にして一日を落ち着かなく過ごしたようだ。
高屋と矢田以外に、ほかの開発メンバーにも「どうなんだ? 大丈夫なのか?」と詰め寄られ、てっちゃんは少しばかり困惑している様子。
「そ、そっすね。過労ではあるんすけど、勇波さんほどひどいことにはならなかったんで、点滴を打ってひと晩入院して、明日には退院の予定っす」
「ってことは、大丈夫だったってことだね?」
「そう言ったっす。週末は休んで来週にはまた出社するっすよ」
「秀真の件もある、一週間くらい休ませたほうがいいんじゃないか?」
「自分も言ったんすけど、休むにしても引き継ぎが必要ってことで、一度顔を出してそん時にスケジュールを決めるみたいっす」
秀真が倒れた件もあり皆も神経質になっているようで、必要以上に休息を大事にする社風が少しの間に醸成されてはいるものの、業務改善の過渡期におけるしわ寄せが寿崎に集中してしまったのは否めない。
今回は特に、WoRのシンボルキャラクターである“ニオ”に対する、一部プレイヤーの異常な執着、言動が明るみとなり、対処のために東奔西走する羽目になったのがもっともな負担となってしまっていた。
やはり事の原因はスキル≪皇姫への敬愛≫によるものと、このスキルの存在理由がわからない以上は、なんにせよ解決することはないだろう。
なにより、“印象を増幅させる”仕様は彼らでさえ知るところではない。
「それならいいんだが……なんでこんなに問題ばかり出るんだろうな?」
矢田がいかつい顔をさらにいかつくして低い声で唸った。
「ゲーム外のことに関しては自分らじゃどうしようもないんで、運が悪かったとしか言えないっすね」
「でも、だいたいニオ絡みでなんか起きてるから、やっぱ一度ニオというか先輩に話を訊いたほうがいいんじゃないかな?」
秀真を“先輩”と呼ぶのは高屋のみだが、彼女は“エスティリア レ ルメディア アーカナ”の中の人でもあるため、次にWoR内でニオと接触するのは場を設けずとも彼女ということになる。
ニオの動向はいちおう最低限モニターされているため、その件については言わずもがな周知の事実ではあるだろう。
「話を訊くといっても、秀真が何かしてるわけじゃないのはわかるだろう?」
秀真は、高屋にとっての“先輩”、矢田にとっての“親友”、WoRの運営をかき乱すような人物でないことは身近な者ほどよくわかっていた。
「それは、ね。先輩なら普通にゲームを楽しむだけだろうし……」
「やっぱ、話を訊くべきは三条さんなんすよね」
「ただな、先日の詰問の場を設けるって話も社長の待ったがかかった以上は、三条に直接問いただすしかない」
「だよね。社内じゃあまり姿を見かけないから、いついるの? って感じなんだけど、いまはどこにいるか誰か知ってる?」
高屋の問いかけに、この場にいる誰もが一様に首を振る。
アエカを見かけるとしたら、基本は立ち入りを制限されたサーバールームかその移動経路だが、実は幽霊なんていう社内伝説まであるくらいだ。
「ううぅん、困った……」
「困ったな……」
「困ったっすね。あとは社長に直談判するくらいしか」
「それだって、寿崎さんがすでにしたって」
「……まじ打つ手なしっすか」
「こうなってくると、三条さんが疫病神って噂……」
「サーバールームの幽霊とかも……」
「だからトラブル続きと言われれば、そうかもと……」
「でも僕、三条さんが普通に歩いてるのを見ましたよ、昨日」
「その時になぜ声をかけなかった……!?」
「だってあの人、美人すぎて話しかけづらいというか……」
「それはわかるけど……」
ざわざわと、開発メンバーが“三条 アエカ”の噂を口々にするも、そんな噂が流れるのも彼女との接点があまりないため。
中心人物であることは間違いないのだが、ほとんどの案件において社長の“世良 アーヴィン”が間に入るため、ある種の神格化までされていたりする。
いい噂も悪い噂も半々に、アエカの扱いとはそんなところだ。
「いや待て、三条はニオと行動してるから、ウォルダーナを訪れた時に声をかければいいんじゃないか?」
「あ、そっか。じゃあ私が、一度話し合おうって伝えてみる」
「OKをもらえたらすぐ自分に連絡くださいっす。会議室押さえるっすから」
「おっけー。ウォルダーナで待機しとく」
彼らは、システムにアクセスするすべての権限を持つアエカに負担が一極集中し、結果としてトラブルが噴出していると考えているようだが、たとえ運営チームの権限を増やしたところで解決するものは何もないだろう。
事の原因はそもそもがアエカの、ひいては彼女に協力する数少ない人々によって企てられた、ある目的がこれまでの事態を引き起こしているため。
スキル≪皇姫への敬愛≫ですらも、すべてはこの目的に集約するのだから。
“三条 アエカ”、結局は彼女がすべてを明かすよりない――。
――この世界の秘密は誰ぞ知る。
――見上げる輝きが崩界の雷だとしても、人々は遊戯を行う。
――自らが、揺籃の中で育まれていることも知らずに。
――今日もまた、≪星霊樹の世界≫は星海のきらめきに満ちていた。