第十話 泥んこおじさま、入浴を強いられる。(1)
「わうぅっ!? ニオさま泥んこなのだぁっ!」
「あは……は……。ちょっとな……」
ゴブリンを討伐し、それ以上の索敵は後回しにしてギルドまで帰ってきた。
俺の姿は泥まみれの唾液まみれで、人前に立てないほどひどい。
気持ち悪いのもあるけど、体液を介した伝染病の危険もあるとのことで、アエカに入浴を強くすすめられたのも帰還の理由だったりする。
「ムーシカ、ゴブリン九体を討伐してきたから、精算してもらえるか?」
「わかったのだ! これをこうしてこうして、えいっと!」
ムーシカがカウンターの裏でなにやらゴソゴソすると、目の前にクエスト精算ウィンドウが開き、「はい」を押して報酬を確認し、これで完了だ。
――470ユグドウェル青銅貨 を手に入れた。
内訳の金銭はクエスト報酬が200、ゴブリン討伐一体につき30……。
妥当だけど、ひどい目に遭った報酬としては割に合わない……。
「それではニオさま、速やかに入浴をしていただきます!」
「えっ、これからすぐに!?」
「有無を言っている暇はありませんから!」
「入浴施設なんてどこに……」
「この場所に建築します!」
「ここぉっ!?」
すでに普段の調子を取り戻しているアエカが詰め寄ってくる。
建築といっても、短縮と簡略化がされていて現実ほど時間はかからないものの、それでも増築ですら数日かかるのはシステム上の制約だ。
それをまるで一瞬でできるような……。
「ニオさまは当然のこと、ムーシカさんも汚れたままにはしておけないので、今回ばかりは管理権限で入浴施設を増築してしまおうかと思います!」
「まさかの職権乱用!」
「この世界からゴブリンを消し去らないだけマシだと思ってください!」
「う……わ、わかった……」
「わぅ? わぅぅ?」
ムーシカは俺とアエカの間で視線を行ったり来たりさせている。
たしかに、汚れを落とすには入浴してもらったほうが気持ちいいだろう。
早いところ元の姿を取り戻してもらったほうが、生みの親としても嬉しい。
「では! ムーシカさん、裏庭を接収します!」
「わうぅぅぅぅっ!?」
慌てふためくのは当然だろうけど、ああなったら止められない……。
アエカは裏の扉から出ていき、なんか外が光ったと思ったら戻ってきた。
「できました」
「一瞬で!?」
「わうぅっ!?」
本当に一瞬とは、さすがにこれは管理者の横暴と言わざるをえない……。
アエカは満足げな表情で、楚々とした様はどこかに消えてしまっている。
「さあおふたりとも、汚れと疲れを思う存分に落としてくださいな」
いや、女神かのような微笑みだ。こんな時ばかり……。
「しかたない……。ムーシカ、入らせてもらおう」
「わうぅっ!? ボクもいいのだぁっ!?」
「ああ、きれいになっておいで」
そうして奥の扉を通ると、もうひとつ建物が併設されてあるようで、廊下の先にもいくつかの扉があった。
もともとがどうなっていたかは知らないけど、先ほど“裏庭”と言っていたので、本来は外に出るだけの扉だったんだろう。
「えーと、男湯は……」
「え?」
「……え?」
「ニオさまは女湯ですよ? 何をおっしゃるのですか?」
「そんなバカな!?」
「そんなバカなはニオさまです! 当たり前のことでしょう!」
「そうなのだ! ニオさま、ボクと一緒に入るのだぁっ!」
「そっ、それはまずいのでは!?」
「従者に身の回りの世話をさせるのは、姫としてのたしなみですよ」
「た、たしなみ……?」
俺はふたりに両腕を拘束され逃げ場を失った。
***
……。
…………。
………………。
……いちおう抵抗は試みたんだ。
だがしかし、管理権限を持つ相手に対し、システムの子飼いにされているような俺では手も足も出ない。
それでもなんとか、ムーシカを洗ってもらうのをアエカに押しつけ、俺は目をつむったままでニオの体を洗うことに徹した。
ああ、ものすごい柔らかかったさ……違う、そうじゃない。
「わうぅぅ……あったかいのだぁ……」
「そうだな、あたたかくて……気持ちいいな……」
いや、待て、くつろいでいる場合でもない。
幸い、体を洗ったあとは湯着を着用して湯に浸かったので、セーフ。
心は紳士的に、無防備な女性の肢体をむやみやたらと見てはいない。
いくらいまの自分が少女の姿でも、年齢差を考えれば犯罪だから。
俺はいたって冷静。大丈夫だ、問題ない。
「はぁ、はぁ……ふたりの美少女汁が溶け込む湯……至高です……。いえ、余計な私まで入ったら台無しではないですか……。くっ、ちっくしょうです!」
俺以上にやばい奴がすぐ隣にいた! 汁とか言うな!
肩が触れ合うほどぴっちりと隣に詰められているけど、明らかな不審者はぶつぶつとつぶやきながら、湯をすくっては残念そうに顔をしかめている。
たぶん、我に返るまでは一緒に入りたかっただけだったんだろう……。
「ここって、町の慰労施設になるんじゃないか?」
そう判断するのも当然で、どうやら誰かさんに都合よく地下に源泉があったらしく、見事に岩盤をぶち抜いて温泉が湧き出してしまっているんだ。
内部は大きな湯舟がひとつなものの、洗い場を完備したモダンな檜風呂のような贅沢な雰囲気で、ちょっとしたリゾート施設の様相。
温泉と新しい木の香りも心地よく、正直に言うならここに住みたいくらい。
「え、あっはい……。やりすぎました……えへ」
「かわいく取り繕っても、これがバレたら上に怒られるよな」
「私には≪World Reincarnation≫の裁量権がありますから、役員でさえ最終的には口を挟めませんよ?」
「それが職権乱用なんだけど……。やってしまったものはしかたないから、あとでこの町に合うよう規模を抑えて作り直してもらえるか?」
「おじさまは、私を慮っていつだって最良の落としどころを見つけてくれます。私は、その優しさに救われてばかりです」
「うっ!?」
アエカがこちらに体を向けたことで、俺は咄嗟に顔を逸らした。
本当に女神かのような、しとやかな微笑を浮かべていたのはいいとして、湯着の隙間から大きくあらわになった胸元が見えてしまったから。
俺としては、頭ごなしに怒ったりしないというだけなんだけど……。
「でも、わかりました。茶目っ気がすぎたので、探索者用に改修します」
「わかってくれたのならいいんだ……」
茶目っ気で済むか、と思ったけど口には出さない。
久しぶりにゆったりと湯に浸かれたことは、感謝している。