第5話 婚約破棄いたしますわ!
「やはり、まずは筋肉ですわ! 筋肉は、全てを解決いたしますわ!」
翌日の朝、私は1人で運動場を訪れていた。
今日は、休日である。全寮制のこの魔法学園の生徒たちにとって、休日は自由な外出を許された唯一の時間である。もちろん門限はあるが。したがって、ほとんどの生徒たちは街に遊びに出ていた。
運動場には、私1人しかいない。それは、むしろ好都合である。
「よし! まずは腕立て伏せですわ! 腕の筋肉を鍛えますわよ!」
私は、昨日のフローラ戦で自分の非力さを痛感していた。
精神的には、悪役プロレスラー『ザ・グレート夜叉』の記憶が蘇ったことで強くなっている。しかし、肉体的には貴族の令嬢ジェシカとして生きてきた非力なお嬢様のままなのだ。
まずは、トレーニングで体を鍛えなければならない。そして、フローラに再度勝負を挑むのだ。リヴェンジ・マッチをするのだ。
さっそく腕立て伏せの体勢に入るが……
「ぐ、ぐぐぐぐ…… ダ、ダメですわ……」
腕立ては1回もできなかった。予想以上に非力な体である。私は、少し考え込む。
「うーん。筋肉より先に、基礎体力をつけなければなりませんわね」
筋肉をつける以前の問題であった。そこで、私は運動場を軽くジョギングすることから始めることにする。
しかし、10分後――――
「はぁはぁはぁ…… もうダメですわ…… ギブアップですわ」
まだ1キロも走らないうちにバテてしまった。とことん体力の無さを痛感させられる。
「……これは、先が思いやられますわね」
筋肉は1日にしてならず。もちろん、1日の訓練でどうにかなるとは思っていなかったが。さすがに、ここまで体力が無い体だとも思っていなかった。
仕方ないので、少し休憩にしようと思った…… その時であった。
「こんな所にいたのか? ジェシカ! 探したぞ。せっかくの休日だというのに、こんな所でいったい何をしているんだ?」
声のする方を振り返ると、長身の青年が立っていた。
この男のことは、知っている。名前は、クローディス・クロード。18歳。生徒会長のキースほどの美形ではないが、かなりのイケメンである。少したれ目な優男なのが特徴だ。
そして、この男クローディスは私の婚約者なのである。
「あら? クローディス。ごきげんよう。あなたこそ、こんな所で何をしていらっしゃるの? 他の女の子たちとデートの用事でもあるのではなくて?」
私は、嫌味を込めた返事を返す。
私は、婚約者であるこのクローディスのことが好きではなかった。見た目通り軽薄な男である。私という婚約者がいるにも関わらず、平気で他の女子生徒とデートしたりするような。
まあ、好き合っていないのはお互い様であろう。所詮は、親同士が勝手に決めた婚約である。貴族の家同士の政略結婚だ。本人たちの気持ちなど関係ないのだ。
クローディスは腕組みをしながら私に近づいて来る。
「聞いたよ。ジェシカ。……フローラとかいう庶民の娘に殴られたそうだな」
「それが、どうかいたしまして? クローディス。あなたには関係のないことですわ」
私は、プイっとそっぽを向いて答えた。しかし、軽薄なクローディスにしてはめずらしく引き下がる気配はない。
「それが本当なら由々しき事態だ。俺の婚約者を殴ったということは、俺を侮辱しているのと同じだ。到底、許される行為ではない。然るべき報復をしなければならない……」
「ふッ…… 俺を侮辱ね……」
私は、鼻で笑った。この男は、やはり変わらない。私のことを心配しているのではなく、気にしているのは自分の面子だけである。
私は、そっぽを向くのをやめてクローディスを真っすぐに見た。そして。
「シャーッ! ンナロォーッ! ですわ!(訳:馬鹿野郎ッ! ですわ!)」
クローディスの頬を思い切りビンタした。手首のスナップを効かせて。パッシィーン!と音が響く。
「な、何をするんだッ!? ジェシカ!」
クローディスは、頬を押さえながら驚いた顔で私を見る。私は、落ち着いた声で返した。
「フローラとの問題は、わたくし個人の問題ですわ! あなたは余計な真似をなさらないでくださる? クローディス」
「そういう訳にはいかんだろう! 俺にも立場というものが……」
「お黙りなさいッ! あなたが大事なのは、わたくしではなく。ご自分の面子だけではなくて? フローラに対しての復讐は、わたくしの大事な目標ですの。口を挟まないでいただけるかしら?」
私は、強い視線でクローディスを睨み返した。
「クローディス。もし、あなたが余計なことをすれば…… わたくし。あなたとの婚約を破棄いたしますわ!」
「婚約を破棄だって? 無茶を言うな! 親同士が決めた婚約だぞ!?」
「関係ありませんわ! 女同士の喧嘩に首を突っ込むような下衆な婚約者は、こっちから願い下げですわ! たとえ親がどう言おうと、わたくしは許しませんわ!」
婚約破棄という言葉に、クローディスは激しく動揺していた。肝っ玉の小さい男だ。
「では、ごきげんよう。クローディス。良い休日を…… くれぐれもフローラに余計なことはなさらないよう。忠告いたしますわ。では!」
私は、ポカーンと口を開けているクローディスをその場に残して立ち去った。