第22話 悪役プロレスラー令嬢 VS 仮面の女暗殺者
「そのダサい仮面を取ったらどうでして? それとも、よほどお顔に自信が無いのかしら?」
「ふん! そんな安い挑発に乗ると思っているのか?」
私の挑発を鼻で笑って返す。相手は殺し屋なのだろうが、しかし丸腰だ。ナイフも何も持っていない。私は、訝しげな目で仮面の女暗殺者を見る。
「わたくしを殺す気のようでいらっしゃるけど。武器はどうしたのかしら? まさか、丸腰で戦う気でして?」
「そのまさかだよ。貴様など素手で充分だ。ジェシカ・ジェルロード!」
「……見くびられたものですわね」
相手は素手で戦う気のようだ。プロレスラーとしては、望むところなのだが。不気味な感じは否めない。
女暗殺者は、手をボクシングのようにかまえてファイティングポーズをとる。そして、右足を少し前に出して浮かせた。ゆらゆらとリズムをとっている。
(キックボクシングのかまえ……? いや、これはムエタイに近いですわね)
私は、女暗殺者のファイティングポーズから本能的に読み取った。ムエタイ使いとは一度戦ったことがある。その時のことを思い出した。
それは、ジェシカ・ジェルロードに転生する前の『ザ・グレート夜叉』のリングネームでプロレスラーをしていた頃の話だ。
武者修行として海外をあちこち回っていた。その時に、タイのバンコクを訪れている。
最初に見たムエタイは、観光客に向けた試合場だった。
ムエタイの特徴は、もちろんキック中心の打撃技にあるが。それより恐ろしいのは、肘と膝を多用した攻撃である。人体の一番硬い部分を容赦なくぶつけてくるのだ。
しかし、ムエタイ選手もお互い生活がかかっている。怪我をすればリングに上がれなくなり、たちまち生活に困ってしまう。
だから、基本的にムエタイ選手が本気で戦うことはない。相手を倒すより、判定でどれだけポイントを取って勝つか。そんな競技になり果てていた。
最初に観戦したムエタイの試合は、お察しのとおりひどく退屈なものだった。
だが、私の目的は本気のムエタイ選手と戦うことにあった。その日の夜に訪れたのは、地下闘技場である。
普通のムエタイの試合もお金を賭けて行われるが、地下闘技場で賭けられる金額は比べものにならない。客も財界の大物たちである。
ファイトマネーも高いが、その分リスクも高い。地下闘技場では、選手が死んでも事故として済まされる。命がけで戦う舞台なのである。
そこで対戦したムエタイ選手は、本気で殺す気で私に向かって来たのだ……
そして、今目の前にいる白い仮面の女暗殺者も同様の殺気を放っている。
私は、少し腰を落として身がまえた。レスリングの基本となるかまえだ。相手が、前回戦ったギュスターヴ家のメイド、マリアくらいの相手なら、蹴り脚を掴んでドラゴンスクリューで反撃できるが。
「……シュッ!」
女暗殺者が右のハイキックを繰り出す。そのスピードは、マリアの比ではない。速い。
「くッ…… ですわ!」
咄嗟に上体を後ろに逸らして避ける。こういう時、プロレスラーの本能は相手の技を受けてしまうものだが。今は観客もいないし、試合ではなく殺し合いだ。
それに、今の鋭いハイキック。正確に私の顎を狙っていた。喰らえば一撃でダウンもあり得る。
「……シュッ!」
相手は、すぐに左のミドルキックを繰り出してきた。これは避けられない。
パシィーンッ!!
ムチのようにしなる左足が、私の脇腹にめり込んだ。
「ぐッ……!? ごほッ! ですわ!」
私は、たまらず後ろに下がって距離を取る。呼吸が一瞬困難になるほど苦しかった。脇腹にジンジンと痛みが残る。
相手は女暗殺者。細い体だが、キックの威力は凄まじい。何より本気で殺す気なのが伝わってくる。
「どうした? そんなものか? ジェシカ・ジェルロード!」
女暗殺者は、勝ち誇ったような声を上げた。
「まだまだ、これからが本番でしてよ!」
私は、すぐにかまえて応じる。理事長室の広い部屋の中とはいえ、背後はもう壁だ。逃げることはできない。
こっちはプロレスラーだ。相手が打撃技なら、掴んで投げ技や関節技を決めればいい…… と言いたいところだが。そんなに甘いものではない。
ムエタイには、首相撲と呼ばれる掴み技が存在するのだ。それに蹴りだけでなく、肘や膝を使った攻撃もある。
何より、こっちが勝手にムエタイと分析しているが。相手はプロの暗殺者だ。向こうも関節技などを使ってくる可能性もあるのだ。
「久々に、しびれる勝負ですわ……」
私は、死の危険を感じながらも勝負を楽しんでいた。命のやり取りは初めてではない。
私は「ふぅーッ」と深く息を吸って吐いた。そして、覚悟を決める。
「何だと……ッ!?」
女暗殺者から初めて動揺の声が漏れた。私のとったファイティングポーズを見て驚きを隠せなかったようだ。
「おほほほッ! 立ち技は、あなただけの専売特許ではなくてよ! わたくしにもできますわ!」
そう、私がとったかまえは相手と同じ。腕をボクシングのようにかまえつつ、右足を少し前に出して浮かせる。ムエタイのファイティングポーズだったのだ。奇しくも相手と同じかまえである。
「ふん! 苦し紛れの猿真似か…… 面白い! どっちが上か分からせてやろう!」
女暗殺者の声に、少し怒気がこもっている。私は、ニヤリと笑って見せた。何の勝算もなく、このかまえをとっている訳ではないのだ。