第五十五話 ―修羅の時間・倉庫にて3―
第五十五話目です。
アーシスが殴り飛ばされた後。
ブラッド視点→ただいまアーシス視点の二視点でお送りします。
薬を打ち込んで急に力を付けた男が"般若"を殴り飛ばしやがった。
その直前に"白蛇"をこっちに投げてきやがって……まぁ、あの勢いで殴り飛ばされたら"般若"はともかく、"白蛇"は無傷じゃいられねぇだろうしな。
「ちょ、ちょっと大丈夫なの!?」
殴り飛ばされる前に"般若"が投げてきた"白蛇"をキャッチして、いつもあいつがしているように首に巻くと、当の"白蛇"は心配するように声を荒げた。
「あいつなら大丈夫だぞ」
「だ、大丈夫って……凄い音したわよ!?」
男に近すぎたのと、予想以上のスピードで避けることこそできてなかったが、"般若"はあれでしっかり防いでいた。まぁ、吹っ飛んだけどな。
拳自体は腕で防いでいたし、衝撃を和らげるために拳が当たる寸前で軽く後ろに飛び退いていた。
それに壁にぶつかる時にも壁を蹴って勢いを殺してたしな――あの凄ぇ音はその時に出たものだ。
それを"白蛇"に説明すると――
「あの一瞬でそんな事してたあの子もおかしいけど、それが見えてたアナタもおかしいわよ……」
「まぁ、それは今は良い」
と、俺が男に再度目を移すと、その男は苦しむように身体中を掻きむしっていた。
あ、やべぇ"般若"に薬についての情報伝えんの忘れてたわ……。
あとで姉御にぶっとばされんなこれ、半殺しで済めばいいんだがなぁ……。
「イタ˝イ˝……イタ˝イ˝イ˝タ˝イ˝イ˝タ˝イ˝ィ˝ィ˝ィ˝ィ˝!!」
って、今はそんな事考えてる場合じゃなかったな。
予め情報は渡されていたが、それとはちょっと違うみてぇだな。
情報じゃここまで苦しむことも、筋肉が隆起することもねぇはずだが……。
「――ナンダゴレバ――ハナ、ジガ……ヂガヴゾォ……!!!
――ア゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!!!!!!」
その男はとても人間の物とは思えない、魔物の咆哮に近い声を上げたその男の姿は、筋肉が更に膨張し、髪は抜け落ち、皮膚は所々爛れ落ち、辛うじて人の形をしているが既に人間とは言えない姿になっていた。
もはや人の形をした筋肉の塊だな、こりゃ……
「――ガァァ!!!」
と、人型筋肉になり果てた男はひと吠えしたと思ったら、今度は俺に殴りかかってきた。
"般若"を殴り飛ばした時よりも早いが……まぁ、問題はねぇな。
俺は向かってくる人型筋肉と化した男を、迎え撃つ。
●
男の拳を避けられずに殴り飛ばされたけど、何とか衝撃を和らげたおかげで目立った怪我はない。
いやまぁ、流石に拳を受け止めた腕と、倉庫の壁を蹴りつけた脚は少し痛いけど、ちょっとした打ち身程度――訓練中のおっちゃんに殴り飛ばされるのと比べると全然大したことはない。
「粉塵でなんも見えない……"白蛇"大丈夫かな……。
っていうか"羅刹"も薬の事知ってたんなら先に教えて欲しかったんだけど……!」
壁にぶつかった――もとい、壁を蹴り壊したせいであたしの周囲は粉塵が舞い見えなくなっていた。
咄嗟に"羅刹"に"白蛇"を任せたから大丈夫だとは思うけど、やっぱりちょっと心配だ。
すると――
――ア゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!!!!!!
そんな、とても人間の物とは思えない魔物の咆哮のような声が聞こえた。
この倉庫には魔物はおらず、盗賊しかいなかった――つまりこの声はあたしを殴り飛ばした男のものか。
とそんなことを考えていると、ようやく周囲に舞っていた粉塵が落ち着いて、周りが見えるようになってきた。
「何、あれ……?」
真っ先に目に入ったのは、醜悪な人型をした筋肉が"羅刹"に殴りかかろうとしている姿だった。
恐らくあたしを殴り飛ばした男度と思うんだけど、あたしを殴り飛ばした後も身体の変化は続いて、今の姿になったってところだと思う。
――ガァァァァァ!
――フンッ!
――ガァッ……!?
人型筋肉はあたしを殴った時よりも早い動きで、しかし本能のままに"羅刹"に殴りかかったのだが、当の"羅刹"は危なげなく正面から殴り飛ばしていた。
「うわぁ……」
――ッガシャァンッ――音を立てて人型筋肉は倉庫の壁に激突し、詰まれた木箱や壁を破壊していた。
初めにやりすぎるなって言ったのに――いや、壁を蹴り壊したあたしが言えた事じゃないんだけど……。
倉庫を囲んでいるあたしの結界が壊れてないだけマシか、いや多分"羅刹"が手加減したんだろうな。おっちゃんが全力だったらあたしの結界破られる以前にあの男の首が飛んでると思う……。
――ガァァアァァァアァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!
しかし、"羅刹"によって殴り飛ばされた人型筋肉は、咆哮を上げながら立ち上がった。
今の一撃で終わったと思ったんだけど、人型筋肉は思いのほか丈夫らしく、再度"羅刹"に殴りかかろうとした――
「――!?」
――ところで、凄まじい殺気を感じた。
その殺気の発生源は"羅刹"だった。あたしに向けられたものではなくただそこに立って睨みつけているだけなのに、鳥肌が立った。
訓練では感じたことがない本気の殺気――あたしは動けなくなる程ではないが、最早本能で動いている人型筋肉はその殺気に中てられてその身を固めた。
"羅刹"は背中に挿した二本の剣の内の片方を抜くと――
――オラァ!
あたしがギリギリ目で負えるくらいの速度で――"羅刹"わざとあたしの目で追えるようにしたな――一瞬で盗賊の一人だった人型筋肉に肉薄した。
"羅刹"が男を斬った動きはあたしの目では追えず、気づいた時には男の首が重力に従って落下し、その身体も糸が切れたように倒れていった。
「おう"般若"やっぱ無事だったな」
そう言いながら笑いかけてきた"羅刹"からは既に殺気は感じられなかった。
先程までの威圧感が嘘のようで――でも、未だ消えない鳥肌が現実だと思い知らせてくる。
「ちょっと、本当に吃驚したのよ!?」
「うっ、ごめん……」
「ワタシのことを考えてくれたのは嬉しいけど、あまり心配させないで!!」
考え事をしていると、あたしの首元に帰ってきた"白蛇"がそう声を上げる。
そりゃ避けられなくて咄嗟に投げたのは悪いとは思うけど、ちゃんと防いだし特に怪我もないんだけど――"白蛇"に心配をかけちゃった事には変わりないもんなぁ……。
またお説教かな……。
とあたしはふと、首がなく力なく倒れている人型筋肉と化した男を見た。
あたしが殺したわけじゃないし、あたしが"羅刹"の立場でも同じように男を殺していたと思う。
人を殺す覚悟はできている、それは変わらない――それでも人の死を目の当たりにするのはあまり良い気分ではなかった。
この光景を見てもあたしの覚悟は変わらない。
でもせめて、彼が人間だったことはあたしが覚えておこう。
盗賊だろうが犯罪者だろうが、今や人間とは言えない姿になっていようが、ひとつの命だということには変わらないんだから。
「ちょっと、聞いてるの!?」
「あ、うん、ごめんなさい……」
考え事をしていたのがバレたようで、"白蛇"の説教は更に激しくなりそうだ。
そんなあたしと"白蛇"をよそに"羅刹"は、連絡役である
"狐筆頭"にここであったことを報告し、盗賊を引き渡すために騎士に連絡していた。
結局あたしは、"羅刹"に薬のことを聞く暇もなく、騎士達が来るまで延々と"白蛇"に説教され続けるのだった。
アーシスはちゃんと防いで、更には衝撃を和らげていたみたいです。偉い!
腕と脚が少し痛いけど、おっちゃんの訓練よりマシ!ってなかなか意味の分からん事言ってます。
おっちゃんが男を仕留めましたが、アーシスはアーシスでまだ思うところがあるみたいです。
吹っ切れば楽とは言いますが、それが難しいのが人の心と言うものですね。
★次話は01/01投稿予定です。




