第2章1 海の街ミオフィオール
第2章 海の街ミオフィオール
ガタンガタンと揺れる馬車の中、僕とアンネは向かい合って座っていた。先程から黙々とマキさんにいただいたアップルパイを食べているアンネ。それ、もらったの僕なんだけどな……と思い、一切れつまみ上げようとしたら、手を叩き落とされた。
「何するのさ」
「あんた、もう十分食べたでしょ!? これは全部あたしのアップルパイよ!」
「横暴だなあ! 僕、まだ半分も食べてないんだけど!?」
「ルナのくせに生意気ね! あたしのったらあたしのなの!」
箱を抱えて離さないアンネ。僕はため息をついて、背もたれにもたれた。
ミオフィオール街へはまだ遠い。位置はサーシャが教えてくれるけど、はたしてこっちの方角で本当にあってるのかと不安になる。
でも、マキさんのアップルパイのおかげで、なんだか力が湧いてきた。マキさんのおまじないは効果テキメンだったようだ。
「ねえ、アンネ」
「何よ!」
口いっぱいにものを詰め込んだアンネが答える。
「アンネはさ、魔法のコントロールってできる?」
僕の問いに、彼女は愚問だとでもいうような顔をして「はあ!?」と言った。
「できるに決まってるじゃない! それがどうかした!?」
「いや、僕さ、どうにも魔法のコントロールができなくて。いつも周囲を巻き込んでばかりでさ。僕もコントロールできるようになりたいんだ」
食べ終えたらしいアンネが、口元を舐める。しかし、まだ右の口端に食べカスがついていた。あえて指摘はしないでおこう。
「あたしに教えを乞うつもりね!?」
「いや、その言い方されるとちょっとなあって思うんだけど……」
「教えを乞うつもりねっ!?」
「あーもう、そうだよ! どうやったらできるようになる?」
アンネはふふんと笑うと、「経験よ!」と言った。
「経験というか、いつの間にかできるようになっていた感じね! 特に意識して何か修行をしたわけじゃないわ!」
…………。
役に立たない……。
アンネに聞いた僕が馬鹿だったのかもしれない。
「何よ、教えてあげたのに、お礼の一つもないわけ!?」
「はいはい、ありがとうね」
「誠意がこもってない! やり直し!」
「あーりーがーとーうーごーざーいーまーすー!」
「ふん、それでいいのよ!」
アンネがまたぺちゃくちゃと喋り始める。だが、僕の耳にアンネの言葉は入っていなかった。
僕は思い出していたのだ。あの日、豊作村であったことを。
あのとき、ミリアと対峙して、僕は初めて楽器を使って魔法を行使した。そのときは、周囲のものは巻き込まず、ミリアにだけ攻撃が当たった。
なぜ、あのときにはできて、今の僕にはできないのだろう。あのときの僕は追い詰められていた。追い詰められた極限状態でしか僕は魔法のコントロールができないのか?
思考に耽っていると、急に馬車が停止した。アンネが勢い余って椅子から落ちた。
「ちょっと! 御者! なんなのよ、急に止まったりして!」
「ひぃぃっ! 魔物が!」
魔物! これは退治せねば!
僕とアンネはひらりと馬車から降りると、魔物の群れの前に立った。
「食らえ! ウォータネルフレム!」
カチカチッとカスタネットを鳴らし、モルド町で僕に見せた複合魔法を放つアンネ。
「燃え散れ、メテオ!」
僕は巨大な火の玉を出して敵へ向かって放った。「ギイイイイイイイイ!」という敵の叫びがこだまする。
これで安心。と言いたいところだったが……。
僕のメテオは、木々を燃やし、草むらを燃やし、そこは散々な有様だった。
「あんたってば、ほんとに魔法が下手くそね! 辺り一面黒焦げじゃない!」
アンネの言葉に、項垂れる僕。
「まあ、魔法師としてひよっ子のルナだから、仕方ないっちゃ仕方ないのかもしれないけど!」
これは、アンネなりのフォローのつもりだったのだろうか。……いや、こいつはそんな殊勝な奴じゃないな……。
「さあ、馬車に戻って……って、いないじゃない、馬車!」
そこに馬車はなかった。どうやら、魔物に恐れをなした御者が逃げて行ってしまったらしい。
でも、もう目前にミオフィオール街は見えている。
「仕方ないよ。歩いていこう」
「まったく、根性なしね! 最近の御者は!」
ぶつくさ文句を垂れながら歩くアンネに苦笑して、僕たちは歩き出した。
「ねえ、アンネ。あそこにあるのって、海ってやつ?」
僕は向こうを指差して言った。そこには、青く光る広大な水が広がっていた。
「ええ、そうよ! 海よ! あんた、海も見たことないの!?」
「し、仕方ないだろ。僕、田舎育ちだし……」
「あっそ! じゃあ、ミオフィオール街の散策が終わったら、行きましょ、海!」
「うん、そうだね!」
まずは街に入ることが優先だ。僕とアンネは街の前に立つ。
その街は、幾つもの層になっていた。一番上には宮殿が見える。
「わあ、すごい……!」
僕たちがいる下層は、ちょっとしたスラム街のような様相を呈していたが、それでも平和だってことがわかる。市場は賑わっており、歩いてみると、僕が食べたことのないような食材がたくさん並んでいた。
特に僕の目を引いたのは、魚が多いということだった。魚という生き物がいることは知ってたけど、食材として売られているのを見るのは初めてだ。もちろん、食べたこともない。
「ねえ、アンネ。僕、魚食べてみたいかも」
「はあ!? あんた、もしかして魚も食べたことがないの!? 今まで何食べて生きてきたのよ!」
「え? ええっと、じゃがいもでしょ、さつまいもでしょ、それからかぼちゃでしょ……」
「穀物ばっかりじゃない! だからそんなに痩せっぽっちなのよ! 女みたいになよなよしちゃって! 髪の毛だって長いし!」
「いいだろ、別に! 穀物ばかり食べてても! それしかなかったんだから! それに、僕は立派な男だ! 髪の毛が長いのは僕なりのファッションだ!」
そうこう言いながら市を抜けると、住人が暮らしている場に出た。粗末な家に、笑顔の家族たち。僕はその光景を見て、昔、豊作村にいたときのことを懐かしんだ。
と、そこでそろそろと近寄ってくる誰かがいた。
「ヘイ! 君たち、旅人さんかい?」
色黒で、彫りの深い顔立ちをしたお兄さんだった。僕たちはそうだと答えると、彼は少し思案顔をして言った。
「よかったら、僕が君たちを案内するよ。この街は複雑だからね。初心者には向かないんだ」
彼はアルマと名乗った。僕たちも名乗って、「よろしく、ルナ、アンネ!」と快活な笑顔で言われた。黒い肌に真っ白の歯が目立つ。
アルマさんは、この下層にいる人たちよりも、上等な服を着ていた。上層部にいる人なのだろうか。
「まずは、ここ。市場だ! 下層に住んでいる人たちは、この街では身分の低い人でね。でも、この賑わいはすごいだろう? みんな、いい人ばかりだよ!」
次に案内されたのは、先程の居住区だった。
「ここが、下層の人たちが住んでいる場所だね。粗末な家しかないけど、みんな助け合いながら質素に生きてるよ! 質素倹約、まさに理想の生き方だね!」
前を歩くアルマさんについていく僕たち。少し階段を上がると、大きな門の前に出た。アルマさんが、門の脇にある謎の機械にカードのようなものをかざすと、門が開いた。
「ここからは上層さ。上層には、基本的にはこのカードがないと入れないんだ。今時身分社会だなんて、時代錯誤な気もするけど、上が決めたことなんだし仕方ないね」
「そんな身分社会で、下層民はクーデターを企てたりはしないのかしら!?」
「過去に何度かあったよ。でも、兵隊たちによって皆殺しさ。この街は綺麗なようでいて、実は血みどろの歴史を辿ってきたんだ」
アルマさんが歩き出す。
「まあ、僕は上の意見には基本反対派なんだけどね」
「そうなんですか?」
「だって、武力でなんでも解決しようとするなんて、おかしいだろう? もっと穏便に済ます方法なんて、いくらでもあるっていうのにさ」
アルマさん、きっと心優しい人なんだろうな。
初めて声をかけてくれたのが、諍いを嫌う善良な男性でよかった。
心底安心する僕だった。
「ところで、君たちは魔法師さんかい?」
出し抜けにアルマさんが言った。
「まあ、一応……」
「あたしは魔法師! こいつは魔法師の卵ってところね!」
「そうかい! この街の上層に入るには、まずは貴族であること、そして魔法師であることが最低条件なんだ。君たちが魔法師なら、僕も安心して案内できるってもんだよ」
貴族と、そして魔法師しか入れない? なんかおかしなルールだな……。
「魔法師さんなら、さっきの機械に手をかざすだけで門が開くからね」
なるほど。あの機械は魔法師を識別できるのか。
うーん、科学の発展はめざましい。僕が豊作村で、それこそ何年前の話だよと言いたくなるような生活をしている間に、こんなにも発展している街があったんだな。僕は、豊作村の生活、嫌いじゃなかったというか、好きだったけど。
「この街は魔法師によって支えられていてね」
と、アルマさん。魔法師によって支えられている……それはすなわち、僕に助言をくれる魔法師がいっぱいいるってことか!?
「アルマさん、僕、魔法師に会いたいです!」
僕が言うと、アルマさんは「そういう意味じゃないんだ」と言った。
「この街には、魔法師がいる。そりゃ何人かはいるけど、その中でも一番強い方がいらっしゃるんだ。その方が、生贄となって、この街に魔力を漲らせ、街を守っている。まあ、軍事施設が充実してきた今、そんなことをする必要があるのかは謎なんだけど……」
生贄……。物騒な単語だな……。
「その、生贄の魔法師に会うことはできないんですか?」
「まず無理だね。生贄のあの方は、あの宮殿にいらっしゃる。君たち旅人がおいそれと会える相手じゃないんだ」
「何よ、それ! つまんない!」
「はは、仕方ないよ。そういう仕組みになってるんだから。宮殿には厳重な警備がなされてるし、君たちが行っても門前払いだね。……おっと、仕事に戻る時間がきたみたいだ」
アルマさんはそう言うと、手のひらを僕たちに差し出してきた。
「案内したお駄賃、くれたっていいだろ?」
白い歯を剥き出しにしてにかっと笑うアルマさん。
「嫌だわ! 金に汚い男って!」
「まあまあ、そう言わずに。お気持ち程度でいいんだ」
僕たちは渋々いくらか支払うと、アルマさんは「じゃあね! また会うことがあったらよろしく!」と言って去って行った。
「……これからどうする?」
僕が聞くと、アンネはにたりと笑った。
「行くのよ、その宮殿へ!」
「ええっ! でも、宮殿には入れないはずじゃ……」
「あんたってほんとバカ! なんのために魔法があると思ってんのよ!」
「いや、でもさ。いくら僕たちが貴族と同じ扱いを受けられるとはわかっても、さすがに宮殿は無理なんじゃ……」
「だーかーらー! そのための魔法でしょ!? あんたは、ほかに魔法の使い道があるとでも思ってんの!?」
「いくらでもあるだろ! 魔法を犯罪に使うな!」
アンネは頬をぷうっと膨らませて、不機嫌を露にしている。「行きたいのに、見てみたいのに……」とぶつくさ呟くアンネに、僕が「アンネってちょっと高級なものが見てみたいだけなんじゃない?」と言うと、アンネからビンタを食らった。
「何するんだよ!」
「女の子が美しいものに憧れることの何がいけないわけ!? あたしはあの宮殿の中見たいし、なんなら招かれたいって思ってんのよ! おいしいお菓子をたんとお食べって言われたいのよ!」
「馬車の中で、僕がもらったマキさんのアップルパイほとんど食べちゃった奴がよく言うよ!」
だんだん言い争うのにも疲れてきて、僕はため息をついた。
「じゃあ、行くわよ! ええと、入り口はどこかしら?」
言い出したら聞かないアンネのことだ。僕は「仕方ないなあ」と言って、前を歩くアンネについていった。
「アンネ、くれぐれも一般人に魔法は使わないようにね。僕、こんな街でお尋ね者にはなりたくないから」
「わかってるわよ! 平和にやればいいんでしょ!?」
「やるなって言ってるんだよ! 本当に君は人の話を聞かないなあ!」
言い争いをしているからか、周囲からの視線が痛い。僕は口を閉ざすと、「もういいよ、好きにすれば」と言った。
「何言ってるのよ、あんたも行くのよ!」
「やだ。僕は犯罪者にはなりたくない」
「あたしがうまくやるから大丈夫よ!」
ここまで信用できない言葉を聞いたのは生まれて初めてだった。
道中、美しいドレス姿の女性に、宮殿の入り口の場所を聞いた。彼女は訝しんでいたが、自分たちは旅人で、物珍しいから是非近くで見てみたいのだ、と言うと、すんなり教えてくれた(この嘘は僕が考えた。僕もアンネも共犯だ)。
かくして、僕たちは宮殿へと向かうことになった。