第1章2 アンネ
第1章 アンネ
翌朝、起きてからアリソンさんの作った朝ごはんを食べて、僕は町の外へ出た。
「食らえっ! メテオ!」
バイオリンを鳴らす。魔物に向かって、巨大な火が降り注ぐ。ギャアッ! と悲鳴を上げて、魔物は消し飛んだ。
ふう……なかなか魔法の使い方がわかってきた気がするぞ。まず、大事なのはイメージすること。このイメージで、魔法が発動できる。要するに、イメージ通りの魔法が使えるってわけだ。
なるほど、なるほど。なんだかコツを掴んできた気がするぞ。これなら、王都に行って、ミリアに復讐することもできるかもしれない。……って、まだ気が早いか。もうちょっと経験を積まないと、ミリアには勝てそうにない。いくら両眼を潰したと言っても、もしかしたら魔法で治癒されてるかもしれないし。でも、一度失った視力を回復させる魔法なんてあるのか? いや、でも、王都にはミリア以外にも魔法師はいるはずで……。きっと彼らは優秀な魔法師に違いないから、ミリアの傷なんて、今頃治ってしまっているのかもしれない。でも、だとすると、ミリアがすぐに僕を攻めてこないことはきっとないはずだ。やっぱり、ミリアはまだ動けない状態なのかもしれない。
そんなことを考えてると、草むらの陰からひょっこりと顔を出した少女がいた。アリスちゃんだった。
「アリスちゃん! もう町の外には出ないって、ピエールさんと約束したじゃないか!」
僕は駆け寄ってアリスちゃんに言う。アリスちゃんは罰の悪そうな顔をして、しゅんとして言った。
「ごめんなさい。でも、アリス、ルナお兄ちゃんのこと、みんなに自慢したくて」
アリスちゃんが言うやいなや、陰からひょこひょこと少年少女たちの顔が出てきた。みんな、目をキラキラさせて僕を見ている。
「すっげえや、お兄ちゃん! あんなでっかいゴブリンを、一瞬で殺せるんだから!」
「私、感動しちゃった! 帰ったらママとパパに自慢する!」
僕は苦笑いを浮かべた。
「俺のママも魔法師なんだ! でも、こんなに強くはないぜ! ママに言ったらびっくりするだろうなあ!」
それを聞いて、この町にも魔法師はいるのかと僕は思った。
「君のお母さんは魔法師なの?」
「ああ、そうだぜ! サックスを使って戦うんだ! 村に魔物が攻めてきたときなんかは、先陣に立って戦ってるんだ!」
その少年はミナミと名乗った。
ミナミくんのお母さんは魔法師……もしかしたら、僕に何か教えてくれるかもしれない。思えば、僕は単に自分が魔法師であるということだけしか知らないのだ。この不思議なバイオリン……それについて、何も知らないのだ。
「ミナミくん、僕、ミナミくんのお母さんに会ってみたいな」
「もちろんいいぜ! あっ、でも、俺が町の外に出てたってことは、内緒にしてくれよな」
声を潜めて言うミナミくんに、僕は苦笑した。
町の中へ戻って、アリスちゃんや他の子供たちと別れて、僕はミナミくんについていく。
辿り着いたのは、窓に花が飾ってある綺麗な家だった。
ミナミくんが扉を開けて、僕に中へ入るよう促す。「お邪魔します」と言って、僕は室内へ足を踏み入れる。
すると、向こうからガウンを羽織った茶髪のボブカットの女性が出てきた。この人が、ミナミくんのお母さんなのだろうか。
「はじめまして、魔法師さん。私はマキというの。どうぞ、よろしくね」
「はじめまして、マキさん。僕はルナといいます」
マキと名乗った女性は、一目で僕を魔法師だと見抜いた。この人が、魔法師であるという何よりの証拠だ。
「話があるんでしょう? ミナミは自分の部屋にいってらっしゃい」
「えー! 俺も話聞きてえよ!」
「言うことを聞かないと、パパにまたミナミが町の外に出てたって言いつけちゃうんだから」
「うっ……バレてたか……。わかったよ、行くよ。じゃあな、ルナお兄ちゃん」
ミナミくんが階段を上がっていったのを見送ったあと、マキさんは僕に向かって微笑んで「こっちよ」と言った。僕は大人しくついていく。
広い室内に通されて、ソファーに座るよう勧められた。ふかふかのソファーは気持ちよかった。マキさんは僕の前に座り、傍のティーポッドから紅茶を注いで僕の前にカップを置いた。
「砂糖とミルクは?」
「あ、いただけますか? 砂糖は多めに、ミルクも少し」
「ふふ。どんなに凶悪な魔法師さんかと思えば、甘いものが好きなあたり、まだまだ子供ね」
僕は少し恥ずかしくなった。
角砂糖を二つとミルクを入れた熱い紅茶を一口飲んで、改めて僕はマキさんに向き直る。
「それで、私に用があってきたんでしょう?」
「あ、はい。僕、まだ魔法師というものについてよく知らなくて。このバイオリンについても、よくわからないんです」
僕はバイオリンを出すと、テーブルの上に置いた。マキさんは、それをじっと見下ろしている。
「これは……また、珍しいものを持っているのね」
「珍しいんですか? これ」
「ええ。このバイオリンからは、とてつもない力を感じるわ。こんなものを、王都が放っておくかしら」
どきっとした。あのとき、豊作村にやってきたミリアたちの目的は僕の殺害だったけど、本当はこのバイオリンも目的だったのではないか?
ここは、マキさんに事の成り行きを話すべきかもしれない。
僕はマキさんに、豊作村であったことを話した。正直つらかったけど、これも前に進むためだ。痛みに負けていてはいけない。
マキさんは話を聞き終えると、神妙な顔をして言った。
「王立騎士団の目的は、まず第一にあなたの殺害、そして、そのバイオリンを奪取することだと考えてよさそうね。にしても、あのミリアの両眼を潰した挙句、身体をバキバキにへし折るなんて……末恐ろしい子供だわ」
「マキさんはミリアをご存知なんですか?」
「魔法師だったら、知らない人間はいないわ。あの女は厄介よ。私も、あの女と同じように魔力探知ができるの。あいつよりも精度は下がるけど……だから、この町に強大な力を持つ魔法師がやってきたことには気づいていたわ。まさか、こんな子供だったなんて、思いもしなかったけど」
そうか、ミリアはそんなに有名人なのか。有名人というか、悪名高いというか。
そして、マキさん。この人は、ミリアと同じことができるんだ。
「でも、どうして騎士団……そしてミリアは、僕がバイオリンを手にした瞬間、僕に気づいたんでしょう?」
「それは、強い魔力を持つ人間が魔力の込められた楽器を持つと、魔法師を知覚できる人間に知覚されるからよ。魔法師として認識できるようになるの。私があなたを知覚したようにね」
僕がバイオリンを手にしたから、僕の存在がミリアにバレたってことか……。
なんというか、たまたま裏庭で拾ったものがこんなものだったなんて、ついてないにもほどがあるよなあ。
に、してもだ。
「マキさん、なぜミリアは僕を殺すための刺客を送ってこないんでしょうか。僕が負わせた傷なんて、魔法師の力で治癒できていそうなものですが」
「それが、普通の魔法師に負わされた傷だったらの話ね。でも、相手はルナくんだった。おそらく、ミリアが光を見ることは一生ないでしょうし、身体もそう簡単には治らないでしょうね。目が見えなくなったことで、魔力探知の力も落ちてしまっているでしょうし……。今のミリアにわかるのは、せいぜいルナくんのいる方角と大雑把な位置くらいなんじゃないかしら」
僕が相手だと、傷が治癒しない? どういうことだ……?
「ルナくん、あなたは特別なのよ」
マキさんが静かに言った。
「そのバイオリン。きっと私には触ることすらできないわ。見てて」
マキさんが、テーブルに置かれたバイオリンに手を伸ばす。すると、バチンッと電流が走って、マキさんの手は弾かれた。
「ね? 私の言った通りでしょう?」
「でも、一体なぜ?」
マキさんが紅茶を飲みながら言う。
「おそらく、そのバイオリンは持ち主を選ぶのよ。時々あるのよ、強い力を秘めた楽器が、持ち主を自分で定めることって。だから、騎士団としても賭けだったんでしょう。仮にあなたを殺しても、ミリアや他の騎士団員がバイオリンが触れなければ、回収は不可能だったでしょうから」
僕は、このバイオリンに選ばれたってことか……。
裏庭から見つけられたこと、そんなに嬉しかったのかな。
いや、そんな単純な話じゃないとは思うけど。
「ルナくん、あなたは強大な魔力を秘めているわ。そして、そのバイオリン……王都に従うならば、英雄でしょうし、王都に仇をなすなら、悪魔でしょう。あなたは、どちらの道を行くつもりなの?」
「もちろん、後者です。僕は、王都が憎いんです。この手でミリアに痛い目合わせるためなら、なんだってやります」
「そう……茨の道を行くのね」
おもむろにマキさんが立ち上がった。窓際まで行って、カーテンを開く。差し込んでくる昼の日差しが暖かい。
「あなたがどんな道を行くとしても、私は反対はしないわ。でも、これだけは言わせて。たとえ、どんなことがあっても……どんなにつらいことがあっても、前に進むのを諦めないで。あなたの目標が達成されたあとに、どんな人生が待っているかはわからないけれど、私はそれが少しでも安らかなものであることを願ってるわ」
振り返ったマキさんの顔は、まるで聖母のようだった。柔らかく、優しい微笑み。
僕はお礼を言ってマキさんの家を出ると、また外に行って魔物相手に練習でもしようかなあと思い始めた。
しかし、その瞬間、ごちんと後頭部に痛みが走って、僕は顔を顰めて振り返った。また飛んでくる石をパチンと手で受け止めて、見ると、そこに一人の少女が立っていた。
年齢は、僕とそう変わらないくらい。茶髪のふわふわした巻き髪を、ハーフツインテールに結っている。ミニスカートから覗く白い生足が眩しい。健康そうな少女、それが第一印象だった。
「いったいなあ! 一体何をするのさ!」
僕が言うと、彼女はふんと鼻を鳴らして僕を見た。
「あんたが噂の、流浪の魔法師ね?」
いやに高圧的な態度。間違いない、この女はモテない。
「ちょっとあんた! 今失礼なこと考えたでしょ!?」
「そんなことはどうでもいいよ! 人に石ぶつけるなんて、危ないじゃないか!」
「魔法で弾かなかったあんたが悪いのよ!」
彼女はそう言うと、僕に近寄ってきて、僕の顔をじろじろ見た。しばらくじーっと見つめられて、居心地の悪い思いをする。
そして彼女は、突然地団駄を踏み始めたかと思うと、喚き出した。
「きーっ! ムカつく! 顔よし、魔法師としての才能もあるらしいし! アリスちゃんから聞いたのよ! あんた、巨大なゴブリンを一瞬で消炭にしたんですって!? でも、調子に乗らないでちょうだい! そんなの、あたしにだってできるんだから!」
あたしにだって……ということは、この子は魔法師なのか? この、いかにも短絡的で頭の悪そうなこの少女が?
と、思ったところで、いきなりビンタを食らった。
「いったー! 何するのさ!」
「何か失礼なことを思われた気がしたのよ! どうせあたしのこと、頭が悪そうな女だとでも思ったんでしょ!?」
「すごいね、君、エスパー?」
「否定しなさいよ、この大馬鹿男ー!」
二発目のビンタを食らい、僕は気分を害してその場から立ち去ろうとした。だが、腕を掴まれて、それは阻まれた。
「もう、一体なんなのさ!」
「あんた、あたしみたいな超~美少女の名前も聞かずに帰る気!? それでも男なの!?」
「君、いちいち声が大きいんだよ! そんな大声出さなくても聞こえてるから! あと、僕は君には興味ない!」
「言ったわね~! 許さないんだから! こうなったら、決闘よ! あんた、ルナとかいったわね! あたしと勝負なさい!」
なんか面倒な方向に話が進んできたぞ……。
無視して帰れるかなあ。帰れないだろうなあ!
「今からあたしの名前を言うから、よーく聞きなさい! あたしはアンネ! アンネ・ロワベージュよ! 脳みそに刻み込むことね!」
アンネという少女は、僕の手を引いて歩き出した。僕は引きずられるようにしてその後ろをついていく。
決闘でもなんでもいいや。傲慢かもしれないけど、この能足りんな女の子には負ける気がしない。
すぐに終わらせてやるさ……僕の、今日やっとコツを掴んだ魔法で!
僕たちは町の外へ出ると、向かい合って対峙した。
「手加減はしないわよ!」
「わかったから、声のボリュームを下げてくれない?」
「何よ!? このアンネ様の美声が聞きたくないっていうの!?」
「あーあーそうだよ! 僕の好みの女性は物静かで慎ましやかな人だからね!」
アンネの顔が真っ赤になった。アンネは手元にぽんっと何かを出した。それはカスタネットだった。
「もう許さないんだから! こうなったら先制攻撃よ! 食らえ、メテオ!」
火の玉が空に浮かぶ。でも、僕が使うメテオとは、大きさが全然違う。
僕もバイオリンを取り出して、音色を奏でる。ミリアのときに使った魔法と同じものだ。あのときよりもだいぶ力を弱めるイメージで放ったはずだった。
のだが……。
「きゃあああああああっ!」
周囲に暴風が吹き荒れる。木々がなぎ倒される。アンネの身体が宙に浮いて、ぐるんぐるんと振り回される。そして、落下したアンネは気絶していた。
あちゃ~……。やりすぎちゃったな。この魔法、派手に強力なんだった……。
気を失っているアンネを僕は見下ろす。幸い、怪我はないようで安心する。倒れているアンネのミニスカートが派手にめくれて、パンツが丸見えだ。間抜けったらありゃしない。
放っておいて帰るか、僕は悩んだ。でも、ここは町の外だ。万が一気絶したアンネに魔物が襲いかかって、アンネが死んだりしたら、僕としても後味が悪い。
僕はアンネを横抱きにして近くの木の下まで運んだ。アンネを寝かせて、僕はその隣に座った。
どれだけの時間、そうしていただろう。叩き起こしてもよかったが、なんだかそれは憚られた。だって、あんな気絶の仕方をしておいて、寝顔は安らかなのだ。アンネは、自称するだけあって、なかなかかわいい女の子だった。その顔をもう少し見ていたくて……って、僕は思春期の男子か!? いや、思春期なんだけど!
と、そのとき、町のほうからサイレンの鳴る音が聞こえてきた。一体何事かと思っていると、音声が聞こえた。
『魔物襲来! 魔物襲来! 住民は直ちに避難せよ! 方角は北!』
それを聞いて、僕はさっと青ざめた。町の北側といえば、アリスちゃんたちの家がある場所じゃないか! 急いで行かないと!
と、そこでアンネがガバリと起き上がった。
「緊急事態のようね! 魔物なんて、あたしが一掃してやるわよ! ほら、行くわよ、軟弱男!」
「その軟弱男に派手に負けたのはどこのどいつだよ! 君、いちいちムカつくなあ!」
そうは言いながらも。
僕たちは町へと走っていった。