第5章4 反抗
第5章 反抗
寝覚めは最悪だった。寝汗をびっしょりとかいていた僕は、浴室でシャワーを浴びた。
シャワーを浴び終えて、濡れた髪の毛のまま部屋へ戻ると、召使さんが朝食を運んできていた。当然だが、口にする気にはなれない。僕はほかほかと湯気を立てているスープを見て腹をぐうと鳴らした。その腹を叩いて、僕は備え付けてある本棚へと向かった。
本棚には、斉国の言葉で書かれた本ばかりが入っていた。何か読めそうな本はないかと探していると、ふと目に入ったのは、古びた一冊の本だった。その本を手に取って、ページをめくってみる。
「これは……古代アカデメリス語……?」
文字は読めなかったが、絵が描かれていた。
七人の人間と、その中心に描かれている太陽。
――七人の賢者……――
――最後の一人……――
――神が残せし最後の……――
「…………っ!」
僕は思わず本を取り落としていた。あれは夢だったはずだ。
でも、こんな偶然の符号がありえるだろうか?
そのとき、扉が開いて、召使さんが入ってきた。今日も手をつけられていない食事を見て、召使さんは少し悲しげな顔をすると、お盆を持って去って行った。
アンネやミオ、ロデカは無事だろうか。心配すぎてどうにかなりそうだ。もしあの三人に何かあったら、僕は今度こそヤンファンとリーフェンを殺しかねない。どうか、無事でいてくれ、と願うことしかできなかった。
ヤンファンは、アンネとミオは無事だと言ったが、あんな奴の言うことなんか信用できない。それに、ロデカについては何も教えてもらってない。全員が無事だとわからないとなると、僕は気が気じゃないのだ。
僕は昼ごはんにも手をつけなかった。お盆を下げにきた召使さんが、僕のほうを見た。
「食べ、ないと、力、出ない、よ?」
たどたどしい言葉でそう言う召使さん。
「いいよ、ほっといてくれよ。さっさと出て行って」
「でも……」
「出て行けってば!」
召使さんがびくりとした。彼女はまた泣きそうな顔をしたあと、お盆を持っていなくなった。
あーあ、八つ当たりなんかして、僕って最低だ。わかってるんだ。
でも、何かに当たり散らして発散しないと、頭がおかしくなりそうなんだ。
僕はもう一度古書を手に取り、ページをめくり始めた。
七人の人間が、楽器の前に立っている絵があった。その中に、バイオリンがあった。
「七人の賢者、か……」
あれは夢だと思ってたはずだったのに、今になってあれは現実だったのだと思い始めている僕がいた。
いや、でも斉国なんかに、なぜこんな本が?
僕は本棚に本をしまうと、ベッドに横になった。
何も食べていない上に、何も飲んでないせいで喉がからからだ。僕は洗面台で水道水を飲む(さすがに水道水にまで薬は盛らないだろう)と、またベッドに横になる。
寝ることしかやることがなくて、僕は眠った。見た夢は、昨晩と同じ夢だった。
だが、ミリアの顔からヤンファンの顔に変わったとき、嬉々として刃を振り下ろしている僕がいた。
そうだ、僕はヤンファンが憎いんだ。
そして、顔はリーフェンに変わった。またしても刃を振り下ろす僕。
殺してやる……そのときの僕の頭の中には、それしかなかった。
夜ご飯にも、僕は手をつけなかった。召使さんが悲しそうな顔をしている。
なかなか去らない彼女に、僕は「何?」と聞いた。
「食べ、ないと、身体、壊すよ?」
「いいんだよ、ほっといて」
「私、心配、だよ?」
心配。そんな言葉を、この状況下で、斉国の人間から聞けるなんて。
なんという皮肉だろう。
「心配なんかいらないよ。斉国の人間からの心配なんていらない」
僕が言うと、彼女は泣き始めた。少なからずおろおろする僕。
「どうして君が泣くのさ」
「私、誰も、死んでほしく、ないよ」
リーフェン側の人間のくせして、何を言い出すんだ、この召使さんは。
「ちょっと食べないくらいじゃ、人間は死なないよ」
「でも、心配、だよ。私たち、一生懸命、作ってる」
「そう。無駄な努力をご苦労様。さっさと消えてくれるかな」
僕が言うと、彼女は泣きながらお盆を下げていった。
なんだか悪いことをしてしまったような気がして、もやもやする。
リーフェン側の人間に対して、こんなことを思う必要なんてないっていうのに。
「悪者側の善人って、タチが悪いよなあ……」
そう呟いて、僕はベッドへ向かった。
ベッドで丸くなっていると、トントンと扉が叩かれた。またヤンファンか、と思い、僕は、
「帰れ! お前と話すことなんて何もない!」
と叫んだ。
だが、聞こえてきた声は違う声だった。
「これはこれは……随分な挨拶じゃのう」
「っ! リーフェン……!」
リーフェンは扉の向こうで笑っている。
「何をしにきた!」
「そなたに言いたいことがあってな」
「さっさと言えよ!」
リーフェンはくすくすと笑いながら言った。
「そなた、ご飯を食べてないようじゃな」
「当たり前だろ! お前たちが出す料理なんか、食べられるか!」
「それは残念じゃ。味には自信があるんじゃがのう……」
そんな呑気な会話をしにきたわけじゃないだろうに、この女は焦らすようなことをしてくれる。
「みんなは無事なのか!? アンネは!? ミオは!? ロデカは!?」
リーフェンは余裕たっぷりに答えた。
「みんな無事じゃよ。人質のほうにも、そなたたちと同じような部屋を用意させた。快適に過ごしてもらっとるはずじゃ。それだけは信じてもらってよいぞ」
それより、とリーフェンが言う。
「そなた、ちゃんと食事をとれ。そうでないと、いざ戦地へ赴いた際に、力が出せんぞ」
「だから、食べないって言ってるだろ!」
「かっかっか! みんな、やることが一緒じゃのう」
やることが一緒……?
まさか、アンネやミオ、ロデカも食事に手をつけてないのか!?
「信用されないというのは悲しいことじゃな」
「どの口で言ってんだ、この年増!」
「妾はまだ十九歳じゃぞ。そなたとそう変わらんじゃろう」
「四歳も差があったらもうおばあさんなんでね……!」
「まあ、よい。そなたには、伝えることがあって来た」
ようやく本題に入るってことか。
前置き長いわ!
「明日の敵襲で、あの小娘二人を戦地に行かせる」
「なっ……!」
僕は驚いて一瞬声が出なかった。
「アンネとミオが行くなら、僕だって行く!」
「わがままを言うでない、小僧。そなたは妾の切り札じゃ。もっと大規模な侵攻があったときに、利用させてもらうとするかのう。かっかっか!」
僕は扉をドンと叩いた。何もできない自分が恥ずかしかった。
「伝えたかったことはそれだけじゃ。よく眠ることじゃな」
そう言って、リーフェンは去って行った。
クソッ、アンネとミオが戦場に……!
なぜ二人がピンチのときに、僕はそばにいられないんだ!
二人は明日、人殺しを余儀なくされる。
間違いなく、心の傷になるだろう。
そんな目には合わせたくないのに。
つらい思いをしなきゃいけないなら、それは僕だけでいいのに……。
やっぱり、こんな部屋で大人しくしているよりも、ここから抜け出す方法を考えるべきだ。
この部屋を、明日アンネたちがいないだろう時間を見計らって爆破するか、それとも誰かを――たとえば、あの召使さんを殺して、こっちが本気だとリーフェンたちに思わせるか……。
まあ、選ぶとしたら前者だよなあ。
あの召使さんを殺したほうが、僕の本気度合いがわかりやすそうな気もするけど。
僕は布団に入ると、決意を固めた。
明日、僕はここから脱出する。この部屋を爆破する。
ロデカはきっとここから遠い部屋にいるはずだ。メテオくらいなら、ロデカを巻き込む心配はないだろう。
と、そのとき、召使さんが部屋に入ってきて、何かいい香りのする瓶をテーブルに置いて出て行った。
アロマでも焚いてよく寝ろってか。子供扱いしやがって!
だが、その香りを嗅いでいるうちに、どんどん眠くなってきて。
気がつけば、僕は眠っていた。
目を覚ました僕は、相変わらず食事には手をつけなかった。召使さんは悲しげな顔をしている。彼女は何も言わずにお盆を下げていった。
それからしばらくすると、トントンと扉が叩かれた。
「誰だ」
「俺だよ」
ヤンファンか……!
今度は何を言いにきた!?
「なんの用だ」
「お前、飯食べろよ。もう五日も何も食べてないんだぜ?」
五日……五日!?
僕の体感時間では、まだこの部屋に閉じ込められてから三日くらいのはずだ。
五日って、どういうことだ!?
「お前、僕に何をした!?」
「あのお香、よく眠れただろ」
僕は振り返って、お香の瓶を見る。
そういうことか……あのお香は、僕を強制的に眠らせるためのお香だったんだ!
「やりやがったな、この野郎!」
「おっと、怒るなよ。お前に伝えたいことがあって来たんだよ、俺は」
ヤンファンが言う。
「アンネちゃんとミオちゃんは無事だ。怪我もない」
「嘘じゃないだろうな!?」
「俺はそんな悪趣味な嘘はつかない」
それを聞いて、少しほっとした僕。
「だが、戦場ではまったく役に立たなかったな。誰も殺さないんだからよ」
そうか……アンネもミオも、誰も殺していないのか……!
あの二人は、人を殺すような人間じゃなかったんだ!
信じてたぞ、僕は!
「まあ、その分お前に働いてもらうぜ。俺が言いたかったのはそれと……あとは、まあ、飯を食えってことくらいだな」
「お前たちは信用できない。お前たちの出したご飯なんか、食べられるわけがない……!」
「弱った身体で戦場へ行って、下手をしたら死ぬのはお前だぜ? 死にたくないなら飯を食え。じゃあな」
ヤンファンはそう言うと去って行った。
僕はテーブルに向かうと、お香の瓶を引っ掴んで、思い切り床に叩きつけた。
ガシャーン! と派手な音が鳴る。
それを聞いたのか、召使さんが部屋に飛び込んできた。
そして、僕と割れた瓶を見ると、僕に駆け寄って来て、僕の手を取ってじろじろ見始めた。
「だい、じょう、ぶ? 怪我、ない?」
彼女の瞳には僕を心配する気持ちがありありと込められていた。
「ないよ、大丈夫」
「よか、った」
彼女はそう言うと、ささっと床を片付けて、部屋を出て行った。
……僕は一瞬でも、彼女を殺そうと考えたのか。
この孤独の中で、唯一僕を心配してくれる彼女を。
「僕って、最悪だな……」
そう呟いて。
僕はベッドへ向かった。