第5章2 チャン・リーフェン
第5章 チャン・リーフェン
リーフェンは、先ほど寄った服屋で見たどの服よりも派手な服を着ていた。赤地の唐草模様に濃い緑色で描かれた竜がその身体に巻きついている。長い丈のタイトなドレスには腰ほどまであるスリットがあり、見えている紐はパンツの紐だろうか、だなんて思う。
「おい! リーフェン様を邪な目で見るな!」
ヤンファンが叫んだ。
「よ、邪な目でなんて見てないよ!」
僕が言うと、リーフェンは笑って「よいよい」と言った。
「頭を上げろ、小童共」
そう言われて、僕たちは頭を上げる。
ぞっとするほどの美人だった。髪型は、左右でお団子にしており、お団子を包む飾りからは紐が何本も垂れている。そして、ヤンファンの言った通り、胸が大きかった。
「リーフェン様は齢十九にして領主になられた立派なお方だ。リーフェン様の力になれることを光栄に思え」
ヤンファンが言う。
「なんかヤンファン、性格変わってない?」とアンネが小声で言った。
「リーフェン様。このヤンファン、リーフェン様に紹介したい女性がいます」
「ほう。その女が、ヤンファンの言っていたそやつか?」
「いいえ、違います。あの、青色の髪をした女性です。彼女は、私の好きな女性なのです。名前はミオといいます」
「ほう! 婚礼は盛大に執り行ってやるぞ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
アンネが口を挟んだ。
「ミオはあんたのことなんか好きじゃないわよ! 勝手に結婚する流れにしないでちょうだい!」
「そうか、そうか。ヤンファンの片思いじゃったか。まあ、よいよい。いずれ、そやつもヤンファンのことが好きになるじゃろうて。それよりも……」
リーフェンの目がじっと僕を見た。
「ヤンファンの言っていた子供は、その長い金髪の少年でよいのじゃな?」
「はっ。左様でございます」
「かっかっか! 魔力探知でひしひしと感じておったよ。絶大な魔力が近づいてくるのをな」
この人、魔力探知が使えるのか!?
僕が驚いていると、更にリーフェンは言った。
「ヤンファンの魔力探知もなかなかのものじゃよ。こんな逸材を連れてくるとはのう」
僕はヤンファンを見る。キリリとした顔をしているヤンファン。まさか、ヤンファンまで魔力探知が使えるだなんて……言ってくれればよかったのに。
しかし、話の繋がりがまだ見えない。ヤンファンが魔力探知が使えて、僕をこの場所へ連れてきて、リーフェンに会わせて……その狙いはなんだ?
「ルナ、折り入ってお前に頼みがある。この領土の戦力になってもらいたい」
「戦力?」
「戦争に力を貸せということじゃよ、小童。かっかっか!」
そうか、話が繋がったぞ。
ヤンファンは、魔力探知で僕という強大な魔力を持つ者を見つけて、僕を戦争に利用してやろうっていう魂胆だったんだ!
「人を殺せという話なら、僕は断らざるをえないよ」
そう言ったとき、ふと頭にミリアの顔が過った。僕はミリアに復讐するつもりでいる。どうやって? 決まってるじゃないか。殺すんだ。僕はいずれ、ミリアという女を殺すんだ。
でも、ミリアとはまったく関係のない人まで殺す理由はない。
「ならば、仕方あるまい。兵士よ!」
リーフェンが叫ぶ。すると、兵士たちはロデカに槍の切っ先を向けた。僕たちは驚いて、一瞬声も出せなかった。
「る、ルナお兄ちゃぁん……!」
泣きそうな声で言うロデカ。僕はカッとなって、リーフェンへ向けて叫んだ。
「やめろ! ロデカに何をする!」
「そなたが妾に協力しないと言うならば、その小動物は殺す……いわば、人質じゃの」
薄笑いを浮かべながらリーフェンが言う。
人質だって? 冗談じゃない!
ロデカをそんな危険な目に晒すわけにはいかない!
「僕は戦争なんかに協力しない! ロデカを解放しろ!」
「それはできぬ相談じゃの。妾は、そなたの力を必要としとるのじゃ」
リーフェンが淡々と言う。
「この領土の人口は一万人……そのうち、魔法師は五百人じゃ。わかるか? 小僧。魔法師というのは、絶対数が少ないだけに、貴重な存在なのじゃよ。魔法師一人で、兵士十人の力はあると言ってもよい。それが、そなたの場合、魔法師一万人クラスの魔力を秘めているとヤンファンから聞いた。そなたには、妾に利用されてもらうしかないのじゃよ」
「そんなの、お前の勝手な言い分だ!」
「おい! リーフェン様に向かってお前だなんて、口の聞き方には気を付けろ!」
「うるさい! ヤンファンは黙ってろ! いいか、僕は戦争なんかには協力なんて、絶対にしないからな!」
リーフェンは余裕の笑みを崩さない。
なぜだ? 僕がここまで拒絶して、なぜ余裕でいられる?
ロデカを人質にとっているから? にしても、おかしい。
「そなたが妾の戦争に協力しないのならば、妾は必ずその小動物を殺すじゃろう。よいのか? 今魔法を使おうとしたって無駄じゃぞ。そなたが楽器を出した瞬間に、その小動物はグサリ、じゃ。かっかっか!」
ちくしょう、この女、最低な奴だ!
「る、ルナお兄ちゃん……! アンネお姉ちゃん、ミオお姉ちゃん……!」
ロデカは泣き始めていた。ガタガタ震えている。
あんな風に刃を突きつけられれば、怖いのは当然だ。なんとかして、ロデカを助けないと!
と、そのとき、アンネの手元からカチカチッと音が鳴った。その瞬間、火の玉が現れ、リーフェンへ向かっていく。
そうか、アンネの武器はカスタネット……! 手元さえ隠せば、使っているのがバレることはない!
ナイスだ、アンネ!
「ロデカを、解放しなさーい!」
ゴオオッとリーフェンへ向けて飛んでいく火の玉。
だが、ヤンファンがひらりとリーフェンの前に立つと、小太鼓を取り出してポンと叩いた。
「水竜!」
水の流れが、火の玉を消していく。
クソッ、やっぱりそうか!
魔力探知ができるほどの魔法師が、弱いはずがない!
「あ、あたしのメテオが!」
「かっかっか! 無駄じゃよ、小娘。ヤンファンは弱くない。そして、妾もじゃ。その気になれば、そこの小僧以外は全滅させられるのじゃよ」
それを聞いて、僕は最大限の皮肉を込めて言った。
「僕に勝てないってことはわかってるんだな」
リーフェンは動じることなく返してきた。
「そなたのような歩く殺戮マシーンがのうのうと闊歩しているアカデメリスはどうかしとるわい。すぐにでも王都へ連れて行って、王都のために働くか、王都の敵となる前に殺すか、どちらかの道を選ぶべきだと妾は思うんじゃがのう」
「誰が歩く殺戮マシーンだ! 失礼なことを言うな!」
「失礼なのはお前だ、ルナ! 先ほどからリーフェン様に向かって、なんという口の聞き方をするんだ!」
「よいよい、ヤンファン。そなたも落ち着け」
リーフェンは椅子に備え付けてあるクッションに身体を埋めながら言った。
「よいか、小僧。今ここで宣言するのじゃ。戦争に協力すると。さすれば、人質を解放することも考えなくはないぞ?」
「誰がそんなことを言うもんか! 僕はお前たちの戦争とは何も関係ない!」
「じゃあ、その小動物は殺す。貴様らの前で、いたぶり殺してやろうではないか」
「ひううううっ! ルナお兄ちゃぁん……!」
クソッ! ロデカは未だに刃を突きつけられている!
アンネとミオも下手には動けない!
ヤンファンがそこそこ強い魔法師だとわかった今、アンネとミオにヤンファンと戦わせるのはリスクが大きい!
どうすればいいんだ!?
「宣言せよ、小僧。さすれば、人質は……」
「解放してから言えよ! そうでなきゃ、嘘でも協力するだなんて言ってやらないからな!」
「そうよ! ルナ、あんな女ぶっ飛ばして、ロデカを助けるわよ!」
「僕もそれに賛成だ! こんな汚い手を使うなんて、人のやることじゃない!」
リーフェンは楽しげに笑った。
「戦争において、人間らしさなどいらんのじゃよ。わかるか? 小娘」
「あたしたちの戦争があるとしたら、今この瞬間だわ!」
「なんとしてでも、ロデカを返してもらうぞ!」
アンネとミオがリーフェンに向かっていく。
だが、その前に立ちはだかるヤンファンが、小太鼓を片手に持って待っている。
「食らえっ! ウォーネレスフレア!」
「行け、メテオ!」
二人の魔法がヤンファンに襲いかかる。だが……。
「弱い。弱いんだよ、お嬢さんたち。アンネちゃんもミオちゃんも、弱すぎるんだ。そんなんじゃ、俺には勝てない」
ヤンファンが小太鼓を叩いた。
「炎竜!」
ごおっと炎の壁が現れ、二人の魔法を弾いた。
「チッ! どうすりゃいいのよ!」
「アンネ、諦めないで! 攻撃し続ければ、きっと隙が生まれる!」
頭ではわかっていた。ここで僕が出れば、リーフェンもヤンファンも同時に消炭にできると。
でも、こんな最低な奴らでも、ミリアじゃない。僕はミリア以外の人間を殺したくはない。
だが、魔法のコントロールがきかない僕では、きっと勢い余って殺してしまうに違いないだろう。
ロデカのほうを見ると、涙を流しながら縋るような目で僕を見ていた。
「かっかっか! これではラチがあかんのう」
「お前がロデカを解放すればいい話だろ!」
「それはできぬ。妾には、どうあってもそなたの力が必要なのじゃ。それに……このままでは、人質が増えるだけじゃぞ?」
「人質が増える、だって? 何言って……」
そのときだった。
アンネとミオの身体が傾いたかと思うと、二人が床に倒れた。
「アンネ! ミオ!」
ロデカのほうを見ると、ロデカも気絶している。
なんだ、これは。どうなってる!?
「悪いな、ルナ。さっきの茶屋で薬を盛らせてもらった。三人はしばらく目覚めねえよ」
「ぐっ……! 汚いぞ、ヤンファン! 僕は、お前を信じてたのに!」
ヤンファンがその瞬間、複雑そうな顔をした。
「信じてた、か……。ここまで重い言葉もないぜ。だが、俺はリーフェン様の側近として、リーフェン様のご意志により動いただけだ。お前を裏切ったつもりはない」
「こんなの、裏切りも同然だろ!」
「騒ぐな、小僧。それで、お主は誓えるのか? 誓えんのか?」
人質を三人とられている。
誰も死なせたくはない。
「大丈夫じゃ、人質は丁重に扱う。安心せい。さあ、誓うがよい!」
「クソッ……僕は、お前たちに、協力するよ……っ」
「言ったな? 必ず、じゃぞ。よいな?」
「その代わり、アンネとミオとロデカを解放しろ!」
「そこの魔法を使ってきた小娘たちは解放しよう。じゃが、小動物のほうは、人質として預からせてもらう。保険は必要じゃからのう……かっかっか!」
「この、外道め……っ!」
「なんとでも言うがよい。兵士よ! その小動物を連れてゆけ!」
ロデカが兵士に抱えられて、連れて行かれるのを、僕は見ていることしかできなかった。
僕は非力だ。力だけ持っていて、でもそれを行使できない弱い人間だ……。
「さて、そなたにも部屋に移動してもらおうかのう。大丈夫じゃ、上等な客室を用意してある。戦争が起こるまでゆっくり過ごすがよい」
兵士たちが僕の周囲を囲む。背中を押されて、僕は歩き出した。
振り返って見たリーフェンの微笑みは、悍しいほど美しかった。