9 気持ちを言葉にしてください
医務官の診察の結果、私の体にはもちろん何の問題もなかった。
それなのにレナルド様がまた抱き上げようとするのをきっぱり断って、私は自分の足で歩いて王太子殿下のサロンまで戻った。
ちょっと手水に行っただけのはずが、ずいぶん時間がかかったものだ。
サロンのメイドはまた別の人に代わっていた。
レナルド様によると、最初に給仕をしてくれたメイドは取り調べを受けているということだった。
彼女はおそらく巻き込まれただけだろうと思い、申し訳ない気持ちになった。
「リリアーヌが気にする必要はない」
レナルド様はそう言って私を慰めてくれたけれど、ずっと想っていたはずの人をいざとなったらスッパリ切り捨ててしまえるなんて、意外と冷たい方なのだろうか。
メイドは紅茶ではなく心を落ち着ける効果があるというハーブティーを淹れてくれた。
それをいただいていると、王太子殿下も戻ってこられた。
「待たせたな」
「いえ。殿下を煩わせて申し訳ございません」
「レナルドならともかく、フィヨン嬢が謝ることではない」
「それで、あのメイドはなぜリリアーヌにあんなことを?」
そんなこと訊かなくてもレナルド様はわかっているはずではないかと少し腹立たしくなった。
王太子殿下は淡々とした様子で話しはじめた。
「あのメイドはラヴィス男爵家のアニエス。歳は16。実家に経済的余裕がないため数年前からある公爵家でメイドとして働いていた。そこでの仕事ぶりが認められて推薦状をもらい、半年前に王宮に採用された」
私と同じ歳で家のためにもう何年も働いているなんて、苦労してきたのだろう。
「だが、どうやら王宮に入ってすぐ偶然見かけたレナルドに一目惚れし、直後に婚約者がいると知って失恋したらしい」
私は心の中で首を傾げた。半年前に一目惚れ?
私がレナルド様と婚約したのは1年前だから、私のほうが早い。
「しかし、ラヴィス嬢はそれを受け入れられず、レナルドが本当に愛しているのは自分だと思い込むようになった。周囲にも恋人がいるとは仄かしていたが、相手については一切口を割らなかったようだ。一方、仕事ぶりは真面目で、同僚たちから信頼を得ていた。そして今日、初めてレナルドの婚約者を目の当たりにして咄嗟に犯行に及んだ、というわけだ」
「つまり、完全な思い込みによる逆恨みですか。それなら、私のところに来ればいいものを」
「レナルド、ラヴィス嬢の顔に見覚えはなかったか?」
「ありません」
「ラヴィス嬢は、レナルドが王宮に来るたび顔を合わせていたと言っているが」
「まったく記憶にありません」
「だろうと思ったから、ラヴィス嬢にもそう言っておいた。だが、ラヴィス嬢は何度会ってもおまえが拒絶を示さなかったことで、さらに思い込みを強くしたんだ。今後はまったく無関心な相手のことも少しくらいは気に留めておけ。フィヨン嬢のためにな」
「……はい」
「そういうわけで、フィヨン嬢には怖い思いをさせてすまなかった。無自覚すぎるこいつの代わりに学園では気を配っていたのだが、まさか王宮メイドの中にいたとは」
王太子殿下に頭を下げられて恐縮した。
レナルド様が色々と無自覚なのは私も何となく理解していたが、殿下が気にしてくださっていたなんて。
「いえ、そんな、とんでもございません」
「リリアーヌ、本当にすまなかった。これからは私ももっと気をつける」
「はい、私もそういたします。ところで、ラヴィス嬢はどうなるのですか?」
「まだ取り調べが終わっていないから確実なことは言えないが、せいぜいラヴィス家から籍を抜かれて、都から追い払われるくらいか」
「軽すぎます」
「おまえのおかげて未遂に終わったからだ」
「早く新しい居場所と仕事を得て、平穏な生活を送ってほしいです」
「リリアーヌがそんなことを気にする必要はない」
「ですが、レナルド様に一目惚れしてすぐ失恋したなんて、とても他人事とは思えなくて」
少し間が空いた。
何だかレナルド様も王太子殿下も怪訝そうなお顔になっている。
「それはどういう意味だ?」
レナルド様に問われて自分が何を口にしてしまったかに気づいたが、遅すぎた。
「そのままの意味なら、フィヨン嬢もレナルドに一目惚れしてすぐに失恋したということだな」
「リリアーヌが私に一目惚れ?」
王太子殿下にはっきり正解を言われ、さらにレナルド様に繰り返されて、羞恥で頬が熱くなった。
どうしよう。もう誤魔化せそうにない。
「レナルド、とりあえず問題にすべきは後のほうだと思うぞ」
王太子殿下の言葉で、緩んでいたレナルド様の口元が締まり、眉が寄った。
あら、どうしてレナルド様の口元が緩んでいたのかしら。
「リリアーヌ、私に失恋したとはどういうことだ?」
「どういうことと言われましても、初めての顔合わせの時にレナルド様が私に仰ったのではありませんか。ずっと想い続けている方がいる、と」
「それは、確かに言ったが」
「先ほどはラヴィス嬢がその方なのかと思いましたが、違ったようでホッとしました。どんな理由があれ、レナルド様の想う方が人を傷つけるような方だったら哀しいですから」
レナルド様がますます眉を寄せた。
やはり、ラヴィス嬢だと勘違いしたことは黙っているべきだったかもしれない。
ふいに、王太子殿下が大きな溜息を吐いた。
「やはりおまえの気持ちはフィヨン嬢に少しも伝わっていないではないか。1年もの間、いったい何をしていたのだ?」
レナルド様の気持ちはちゃんとわかっているつもりだったけれど、何か勘違いしていることがあるのだろうか。
レナルド様が口を開こうとするのを王太子殿下が遮った。
「私に言い訳する暇があるなら、さっさとフィヨン嬢に話せ。おまえはただでさえ言葉が足りないんだ」
王太子殿下がそう仰ると、レナルド様は私を見つめた。
「リリアーヌ、私の想う人は、今、目の前にいる」
私は思わず目を見開き、それから王太子殿下をそっと窺った。
どうして私はその可能性に思い至らなかったのだろう。
でもそうなると、レナルド様の片想いなのでは。それとも、まさか二股を……?
私の視線の先で、王太子殿下がみるみるうちにお顔を顰められた。
「フィヨン嬢の考えていることは間違っていると思うぞ」
「そうなのですか?」
私が目を瞬くと、殿下は再び溜息を吐いた。
「おまえたち、もう帰れ。だが、いいな、レナルド。今日中にフィヨン嬢にすべて打ち明けろ。決して言葉を惜しむなよ」
王太子殿下に追い払われるようにして、レナルド様と私はサロンを出た。
「私のせいで王太子殿下のご機嫌を損ねてしまったようで、申し訳ありません」
「いや、殿下は私たちのことを心配してくださっているだけだと思う」
レナルド様は大階段があるのとは逆方向へと廊下を歩き出した。
おそらく、私の気持ちを慮って、大階段を使わずに帰ってくれるのだろう。
先ほどの件があってから、歩く時のレナルド様と私の間の距離が近くなった。
レナルド様がわざわざ振り返らなくても私の姿を確認できる位置、だろうか。
やはりレナルド様は優しい方だ。勘違いから冷たいと思ってしまったことは、心の中で謝罪しよう。
踊り場のある階段で1階に下り、しばらく廊下を進むと、庭園に面した回廊に出た。
3年前のお茶会が開かれた薔薇園は、どちらの方向にあるのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えて庭園を眺めながら歩いていると、ふいに手を取られた。
驚いて隣を見上げると、レナルド様と目が合った。
「寄り道していこう」
レナルド様は私の手を握ったまま、回廊を外れて庭園に出た。
「どちらに?」
「すぐそこだ」
レナルド様と一緒なのだからどこでもいいかと思い、それ以上は尋ねずに従うと、回廊からすぐそこと言える場所にあの薔薇園があった。
今もちょうど時季なので、様々な種類の薔薇が静かに咲き誇っていた。
でも、レナルド様は薔薇園を素通りして、さらに進んでいった。
そうして、やがて見えてきたのは、見覚えのあるベンチだった。お茶会をこっそり抜け出した私が焼菓子を味わった場所。
レナルド様はそこが目的地だったかのように迷う様子もなく足を止めてベンチに私を座らせると、自分は私の足元に跪いた。
戸惑って立ち上がろうとした私を留めるように、膝の上で重ねていた両手にレナルド様の両手が重ねられた。
その手が、私を真っ直ぐに見上げる瞳が、心なしか熱い。
「レナルド様、なぜこちらに寄り道を?」
私は今までになく胸が高鳴っているのを感じながら、レナルド様の答えを待った。
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