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8 危機は突然やって来ました

 楽しい時間は瞬く間に過ぎ、次のご予定があるエリーズ様とはお別れした。

 エリーズ様は「また近いうちに会いましょう」と仰ってくださった。私もまたお会いできることを願う。


 エリーズ様が出て行かれたすぐ後、侍従らしき人がサロンを訪れた。

 どうやら王太子殿下に急用ができたようだった。


「レナルドも一緒に来い」


「ですが」


 眉を寄せてこちらを見たレナルド様に、私は笑顔を返した。


「私のことはお気になさらず、どうか行ってください」


「悪いな、フィヨン嬢。すぐに片付くと思うから、ここで待っていてくれ。菓子も茶も好きなだけ楽しむといい」


「ありがとうございます」


「すまない。すぐに戻る」


 レナルド様は渋々といった様子で立ち上がり、王太子殿下に続いてサロンを出て行った。

 室内には私と給仕役のメイドが残された。


「紅茶を淹れ替えましょうか?」


「その前に手水をお借りしたいのですけど」


「では、ご案内いたします」




 手水はサロンから離れた場所にあった。メイドに案内してもらわなかったら迷っていたに違いない。


 おふたりが先にサロンに戻っていないといいのだけどと思いながら手水を出ると、そこで待っていたのはここまで案内してくれた人とは別のメイドだった。

 サロンにいたメイドは20代半ばくらいで私より背が高かった。こちらは私と同年代で小柄だ。


「先ほどの方はどうされたのですか?」


「先にサロンに戻って新しい紅茶を用意しております」


「そうですか」


 有難いけど、そこまでしてくれなくてもいいのに。


「参りましょう」


「ええ、お願いします」


 私はメイドとともに歩き出した。


 しばらくして、ふと思った。確かにサロンから手水まで近くはなかったけれど、こんなに歩いたかしら。

 周りの景色には見覚えがない。でも、来る時も案内してくれたメイドについて歩くばかりだったから、先ほどと違う場所にいると確信もできなかった。

 そもそも王宮は広いのだから、手水からサロンまでの行き方が1通りだけとは限らない。


 さらに歩くと廊下から開けた場所に出て、目の前に大階段が現れた。

 ここは見覚えがあった。レナルド様と上がった階段だ。

 でも、手水に向かう時には踊り場のある別の階段を使ったから、やはり違うところを通ってきたのだ。

 どちらにしても、この階段からサロンまではすぐだったから、もうひとりでも迷わず戻れるはずだと安心して、メイドの後から階段を上がった。


 だが、階段を上りきったところでふいにメイドがこちらを振り返った。

 自然と私は2階まであと1段のところで足を止めることになった。


「どうかしましたか?」


「あなたがリリアーヌ・フィヨン子爵令嬢ですね?」


 メイドの声は、手水の前で言葉を交わした時と少し違って聞こえた。私を見下ろす瞳が昏く見える。


「そうですが、私に何かご用でしょうか?」


 尋ねながら、嫌な予感がして体に緊張が走った。


「レナルド様を私に返してください」


 思わず息を呑んだ。

 このメイドがレナルド様の想い人だったのか。


 私が想像していた美しい人妻と目の前にいるメイドはまったく違っていた。彼女はどちらかといえば可愛い感じだ。

 ああ、レナルド様が想い人に会う場所は王宮だったのだ。だから、私を連れて来たくなかったのだろう。


「レナルド様は私のもの。あの方が愛しているのは私だけです」


 胸がズキリと痛んだ。

 わかっている。私はレナルド様があなたと幸せになれるよう協力しているだけ。時が来れば、レナルド様はあなたにお返しする。

 彼女にそう言ってあげるべきなのに、今になってそれを拒む自分がいた。


「あなたの仰ることが事実だとしても、王宮に認められたレナルド様の正当な婚約者は私です」


 気づけば、そう口にしていた。

 私が彼女にこんなことを言ったなんて知ったら、レナルド様はどう思うのだろう。


 メイドは眦を上げ、声を荒げた。


「私が貧乏男爵の娘だからと馬鹿にしているの?」


「あなたがどこのどなたかなんて、私は存じ上げません。名乗りもせずいきなりあんな失礼なことを仰るのですもの」


「失礼なのはどっちよ。とにかく、あなたは邪魔なの。今すぐレナルド様の前から消えて。そうしないと、後悔するから」


 そう言うと、メイドは私との距離を近づけてきた。

 階段上にいる私は下手に動くことができない。


 突如、友人に借りて読んだ恋愛小説の一場面が思い出された。

 ヒロインがわざと階段から落ちて怪我をし、ヒーローの婚約者に突き落とされたと偽証する。


 まさか、彼女はそれと同じことをするつもりなのだろうか。

 止めなければ。彼女が怪我をしたら、きっとレナルド様が哀しむから。


「少し冷静になってください。お話の続きは場所を変えてしましょう」


 私は最後の1段を上ろうとしたが、彼女がそれを妨げた。


「もう話は終わりよ」


 彼女に腕を掴まれて、背筋がゾッとした。

 ここに至ってようやく、彼女が突き落とそうとしているのが彼女自身ではなく私なのだと気がついたのだ。


 だけど、大人しく落ちてあげるわけにはいかない。彼女が私に怪我をさせることを、レナルド様が望むはずない。

 レナルド様は本当にこんなことをする人を愛しているの?


「あなたが罪を犯して、傷つくのはレナルド様よ」


「あなたがわかっているような口を聞かないで」


 階下が騒がしくなったようだけど、彼女から目を離せなくてはっきりとは確認できなかった。

 誰かが私たちに気づいてくれたのだろうか。助けが来るとして、それは間に合うのだろうか。


 いくつかの声が何かを叫んでいる中で、私の名を呼ぶ大好きな人の声だけがやけに鮮明に耳に届いた。

 階段を駆け上ってくる数人の足音。

 私の体を押した彼女の虚ろな笑顔。

 私は自分の体が傾くのを感じ、衝撃に備えてギュッと目を閉じた。


 だけどその直後、下から来た強い力によって私の体は押し戻され、2階の床に倒れ込んだ。衝撃はほとんどなかった。

 私を階段の上に押し上げてくれた人が、そのまま私を庇ってくれたからだ。


 そっと目を開けると、私は床に尻餅をついたレナルド様に抱きつくような形になっていた。


「申し訳ありません。決してわざとでは……」


 慌てて離れようとしたけれど、逆にレナルド様の両腕が私の背中に回って彼の胸に抱き寄せられた。


「よかった」


 そう呟いたレナルド様の声が震えていて、胸の鼓動も早くて、改めて自分がどんなに危険な状況に置かれていたかに気づいた。


「レナルド様、助けてくださってありがとうございました」


 思わずレナルド様の服を両手で掴むと、レナルド様が私を安心させるように背中を撫でてくれた。


「おい、気持ちはわかるがいい加減にしろ。人目があるんだぞ」


 頭上から聞こえた声に、肩が跳ねた。同時にレナルド様の腕の力も緩んだ。


「すみません」


「フィヨン嬢ではなくレナルドに言ったんだ」


 声のほうを振り向くとやはり王太子殿下がいらっしゃった。

 その背後では、放心した様子のあのメイドが騎士たちに拘束されていた。


 レナルド様はあちらへ行かなくていいのかしら。

 あくまでレナルド様の婚約者は私で、立場を考えればここであの方との関係を公にすべきではないのかもしれない。

 でも、彼女が罪を犯そうとしたのもレナルド様への愛のためだったのだし、何か一言かけるくらいしてあげても。


 そんなことを考えていると、ふいに体が浮いた。レナルド様に抱き上げられたのだ。


「え、レナルド様、何を……?」


「医務官の部屋まで運ぶ」


「医務官なんて、怪我もしていないのに」


「念のためだ」


「私のことよりも、レナルド様はあの方のほうを」


「向こうは殿下に任せておけばいい」


「ですが」


 階段からどんどん遠ざかっていくレナルド様の肩越しに、あのメイドが騎士たちによってどこか別のほうへと連れられていくのが見えた。

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