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2 恋敵は人妻のようです

 正式に婚約を結んだ数日後、レナルド様が初めて我が家を訪れた。

 学園帰りということで制服姿だったが、やはり素敵だ。


「これを」


 そう言って彼が差し出したのは、鉢植えのポピーだった。バルニエ家のお庭で、私が好きだと言った花。

 あんな言葉、聞き流されたかと思っていたのに。


「覚えていらっしゃったのですか?」


「ああ」


「ありがとうございます。嬉しいです」


「そうか」


 レナルド様を応接間に案内し、向かい合って紅茶を飲み、クッキーを食べた。

 部屋の中にはふたりだけだが扉は大きく開かれたままで、外に人のいる気配もあった。

 彼はやはり自分から口を開こうとせず、私の顔を見ることもなかった。

 でも、私が学園生活について尋ねれば短い言葉を返してくれた。

 それに、私がレナルド様の美しいお顔を穴の開くほど見つめていても彼は気づきにそうにないのだから、俯いてなどいられなかった。


「また来る」


 お帰りになるレナルド様を玄関先までお見送りすると、彼はそう言ってくれた。


「お待ちしております」


 きっと社交辞令だろう。

 侯爵家の嫡男であり王太子殿下の側近候補であるレナルド様は忙しいはず。

 それに、レナルド様が本当に会いたいのは婚約者の私ではなく、心から想う別の女性なのだ。




 ところが、レナルド様はわずか3日後に我が家を再訪した。今度はゼラニウムの鉢植えを手にして。


「これも好きそうだと思って」


「はい、好きです。ありがとうございます」


 私は笑顔で受け取った。


 この日も私たちは応接間で向かい合って紅茶を飲み、フィナンシェを食べた。

 1度だけレナルド様と目が合って、すぐに逸らされた。


 それから、レナルド様は週に2日は鉢植えの花を持って私に会いに来てくださった。

 私が友人たちから聞いていた話などから思うに、レナルド様はずいぶんマメな婚約者のようだ。




 私の部屋の出窓に鉢植えがずらりと並んだ頃、レナルド様は花ではなく苺タルトを持って現れた。

 正直、私はこれまでで1番ときめいてしまった。


「学園で美味しいと聞いて、これも好きではないかと」


「大好きです。ありがとうございます」


 私は美味しいものを食べることが好きだ。

 花が好きなのも嘘ではないが、お菓子か花かと訊かれれば、迷わずお菓子を選ぶ。


 その日はふたりで紅茶を飲みながら、苺タルトを食べた。

 タルトは本当に美味しくて、しばらくは幸せな気分に浸れた。


 その後、レナルド様の手土産はお菓子になった。

 目の合う回数が少しずつ増えてきて、応接間で向かい合っている間絶えず美しいお顔を見つめていることは難しくなった。




 私は徐々に申し訳ない気持ちになっていった。

 私に「大切にする」なんて言ってしまったからといって、こんなに気を遣ってくださらなくてもいいのに。

 あのお顔に加えてこれでは、例え一目惚れしていなかったとしてもレナルド様を好きになっていたに違いない。

 レナルド様は愚かな婚約者が自分を好きになる可能性を考えていないのだろうか。

 もっと自分の魅力を自覚してくださいと説教したい気分。もちろんできないけど。


 それにしても、レナルド様が想う相手というのはどんな方なのだろう。

 あの時、話を遮ったりせずに最後まで聞いていれば、どこのどなたなのか教えてくれたのだろうか。


 レナルド様は侯爵家の嫡男なのだから、本来ならもっと早くに婚約者が決められていたはずで、それが今になるまで引き延ばされていたのは、きっと彼が抵抗していたからだろう。

 そのせいでレナルド様が折れて別の相手と婚約することを受け入れた時には家柄の釣り合う令嬢が見つからず、私にお鉢が回ってくることになった。


 レナルド様がどんなに望んでもバルニエ侯爵が婚約を認めなかったということは、彼の想う人は私以上に身分差があるのか、家同士が不仲なのか。

 あるいは、レナルド様の完全なる片想いなのかもしれないが、彼に求められて落ちない人がいるとは思えない。


 もしや、既婚者だろうか。それならレナルド様もおいそれとは会いに行けなくて、代わりに仕方なく婚約者に時間を割いてくれるのだと納得できる。

 歳上の美しい人妻に愛を請うレナルド様。ものすごく絵になりそうだけど、私は泣いてしまいそうだ。




 レナルド様と婚約して4か月、私も同じ学園に入学した。

 学年が2年違えば顔を合わせる機会はほとんどなく、昼休みの食堂で遠くから姿を見つけるか、教室移動の時などに廊下でたまたますれ違うくらいだった。


 レナルド様は学園ではたいてい王太子殿下と行動をともにしていた。

 王太子殿下も端正なお顔をなさっていて、おふたりは学園内でかなり注目を浴びていた。


 だから、いくら婚約者とはいえ私から学園内でレナルド様に近づくことは遠慮した。

 食堂で近くの席に座っていた上級生の令嬢たちがレナルド様の婚約者が入学してきたらしいと噂しているのを耳にしてからは、さらに距離を取るよう意識した。


 しかし、レナルド様も私に気づいた場合には、彼のほうから私に近づいてきた。

 そのため、王太子殿下にも私の存在が認識されてしまった。


 ある時など、珍しくおひとりでいらっしゃった王太子殿下と食堂でお会いして、声をかけられた。


「私ひとりの時にフィヨン嬢に会ってしまうとは、レナルドに恨まれるな」


「まさか、バルニエ侯爵子息はそのような方ではありませんわ」


「だといいが。ああ、来たようだ」


 王太子殿下の視線の先を振り返ると、こちらに歩いてくるレナルド様が見えた。私に気づくと、レナルド様の眉が微かに寄った。


「殿下、私の婚約者に何かご用でも?」


「少し話をするくらい構わないだろ」


「構います。リリアーヌに無闇に近づかないでください」


 私は息を呑んだ。

 レナルド様が王太子殿下に対して強い口調になったこともだが、レナルド様に名前を呼ばれたのはこれが初めてだったのだ。しかも、いきなりの呼び捨て。

 嫌ではないどころかすごく嬉しいのだけれど、喜びに浸ってはいられなかった。


「どの口が私にそんなことを言うのだ?」


 王太子殿下の言葉で、レナルド様の眉がさらに寄った。

 私のせいでふたりの間の空気が剣呑なものになってしまったようで身が竦む。

 が、やがてレナルド様が「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。


「フィヨン嬢に免じて許してやる」


 そう仰ると、王太子殿下はその場を去って行かれた。


「ご一緒にいらっしゃらなくてよろしいのですか?」


 レナルド様に尋ねると、彼の視線が王太子殿下の背中から私の顔に移った。

 眉は元に戻っているが、平静な表情の裏で私に対して怒っているのかもしれない。

 近づいて話しかけてきたのはあちらからだとしても、ただの子爵令嬢が王太子殿下と直接お話してしまったのだから当然だ。


「そんなことよりも、放課後の予定は?」


 王太子殿下をそんなことで片付けていいのか、とは思ったが口には出さなかった。


「特にありません」


「それなら屋敷まで送る。授業が終わったら教室で待っていろ」


「はい」


 レナルド様は以前は週に2日ほど我が家を訪れていたが、私の入学後は同じくらいの頻度で私をバルニエ家の馬車で屋敷まで送ってくれるようになった。

 もちろんレナルド様は我が家に寄って、私と一緒に紅茶を飲む。美味しいお菓子をレナルド様が用意してくださるのも相変わらずだ。


 改めてお説教されるのではないかという私の予想は外れ、放課後のレナルド様はいつもどおり無口だった。

 次にレナルド様と王太子殿下が一緒にいらっしゃるのに遭遇した時も、特に変わった様子はなかった。




 そんな感じだったので、私がレナルド様の婚約者だということはいつの間にか学園内に知れ渡り、女子生徒たちからは嫉妬や羨望の眼差しを向けられるようになった。


「本当にあれがバルニエ侯爵子息の婚約者なのですか?」


「想像とまったく違いますわね」


 そんな風に言われているのを耳にするたび、私は隠蓑ですからと心の中で思った。


 レナルド様に真に想う相手がいることは、王太子殿下も含めて学園内の誰も知らないようだった。

 ということは、おそらく相手はこの学園にはいらっしゃらないのだろう。

 私の中で人妻説がさらに有力になった。

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