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1 婚約者には想い人がいました

煮詰まってしまったので、息抜きと頭の中の整理のために書きました。あまり長くはならないと思います。

よろしくお願いします。

 学園の昼休み、食堂でいつもの席に座る婚約者の姿を見つけた私は足早にそちらに向かった。


「レナルド様」


 振り向いたレナルド様はわずかに眉を寄せ、すぐにいつもの無表情に戻った。


「お隣よろしいですか?」


「ああ」


 レナルド様はわざわざ立ち上がり、隣の椅子を引いてくれた。

 私はそこに腰を下ろすと、座り直したレナルド様に向かって小さなバスケットを掲げてみせた。


「またレナルド様のためにランチを作ってまいりましたの」


「それならこれはリリアーヌが食べろ」


 レナルド様はご自分の前にあった手つかずのトレーを私の前へと動かした。

 学食のランチはどれも美味しいと評判だが、今日のメニューは特に人気のシチューだった。


 対して、私がバスケットの中から出してレナルド様の前に置いたランチボックスの中身は、酷い見た目のサンドイッチだった。


「申し訳ありません。早起きして一生懸命作ったのに、今日もこんなものしかできなくて」


 私は肩を落としてみせた。


「謝る必要はない」


 食欲が失せたと突き返されても不思議でないサンドイッチを、レナルド様は躊躇うことなく手に取って口に運んだ。


「いかがですか?」


「美味い」


 レナルド様の短い答えに、私はまた笑顔を取り戻した。


「ありがとうございます。レナルド様のために、次はもっと頑張りますね」


「無理はするなよ」


 普段はほとんど表情を変化させないレナルド様が微かな笑みを浮かべた。


 この笑顔を見るたびに、酷い人だと思う。

 心には別の方がいらっしゃるのだから、不本意な婚約の相手など冷たく突き放せばいいのに。

 真面目なレナルド様は義務感で優しくしてくれるのだとわかっていても、愚かな私はもしかしたらという淡い期待を捨てられないではないか。






 私とレナルド様が婚約したのは1年ほど前のこと。


 お父様から婚約が決まったと告げられた私は、とうとうその時が来たのだなと思った。

 我がフィヨン家はしがない子爵家とはいえ私も貴族の娘なのだから、いつかお父様の選んだ方と結婚するのだという覚悟はできていた。


 だけど、その相手がまったく面識のなかったバルニエ侯爵家の嫡男だったのは予想外だった。

 バルニエ家は由緒ある侯爵家。しかもお父様の話によると、レナルド様は学園で常に首席を取る優秀な方で、将来は同じ歳の王太子殿下の側近になるだろうと目されているのだとか。


 我が家は数年前にお兄様が中心となって領地ではじめた新事業が当たったとかで近頃潤っているらしい。

 お父様がそれを上手に売り込んだ結果だとしても、侯爵子息と子爵令嬢では不釣り合いだ。

 いくら政略結婚であろうとも相手の方と良好な関係を築きたいのに、これだけ家格が違ってはもはや無理なのではないかと不安が強くなった。




 それからしばらくして、バルニエ家のお屋敷で顔合わせが行われた。


 せめて私が子爵令嬢だからとあからさまに馬鹿にする方ではありませんように。

 少しは私に優しくしてくださるならば、外見なんて何でも構いませんから。

 心の中で誰にともなく祈りつつ、両親とともに馬車でバルニエ家に向かった。


 そうして到着した我が家の何倍も立派なお屋敷で、婚約者となるレナルド様がご両親と一緒に私たちを迎えてくださった。

 そのお顔を見た途端、私が先ほどまで繰り返していたはずの祈りは心の中から消え失せた。

 私の前に立ったのは、中性的で整った顔立ちをした見目麗しい人だった。

 私はしばし彼に見惚れ、何だか苦しいなと感じて自分が息をすることを忘れていたのに気がついて呼吸を再開したものの、やっぱり胸が苦しかった。


 私は内心の動揺を押し隠し、どうにか淑女らしくバルニエ侯爵夫妻と子息に挨拶をした。

 応接間に通されると、両親は思いのほか和やかに侯爵夫妻と会話を交わしていた。


 私はといえば、バルニエ家の方々にはしたない娘だと思われないよう、必死だった。

 気をつけていないと、レナルド様のお顔を穴の開くほど見つめてしまいそうなのだ。


 頭の中にわずかに残っていた冷静な部分で考えれば、おかしいとわかる。

 こんなに綺麗で優秀な人が、私のように何の取り柄もない子爵家の娘の婚約者に甘んじるなんて。

 もしかしたら、性格が最悪なのかもしれない。私はこれからこの人に日々貶されて生きていかなければならないのだろうか。

 でもそれは、日々この美しい顔を見られるということだ。それならまあ仕方ないか、なんて思っている自分がいた。


 そんな調子だったので、私は侯爵夫妻の質問に答えるくらいしか言葉を発することができなかった。

 お母様が苦笑しながら言った。


「申し訳ありません。レナルド様があんまり綺麗だから緊張しているようで。普段はこんなに大人しい娘ではないのですけれど」


 そのとおりだけど、ここで言わないでほしい。


「いいえ。レナルドのほうこそリリアーヌ嬢が可愛らしくて言葉も出ないのですから困ったものですわ」


 両親同士がハハハ、ホホホと笑い合う横で、私はようやく気がついた。

 言われてみれば最初の挨拶以降、レナルド様の声を聞いていない。

 それに、私は堪えられず何度もレナルド様のお顔を見ているのに、1度も彼と目が合わない。レナルド様がまったく私のほうを見ないからだ。

 レナルド様は強張った表情のお顔をやや俯けて、口を開くことなくただ座っていらっしゃるだけだった。


 やはりレナルド様にとってこの婚約は不本意なものなのだ。

 それでもこうして顔合わせの席にいらしてくださったのだから、私は喜ぶべきだろう。


「レナルド、リリアーヌ嬢をお庭に案内したら。ふたりきりのほうが話もしやすいでしょう」


 侯爵夫人がそう提案なさると、ようやくレナルド様は視線を上げて私を見たが、すぐに視線を逸らして立ち上がった。


「こちらへ」


 レナルド様が扉へと歩き出した。

 てっきり拒否されるかと思っていた私は反応が遅れた。お母様に腕を突かれて慌てて立ち上がり、彼の後を追った。




 お庭に出てからも、レナルド様は相変わらず黙ったままだった。私は彼の数歩後ろをついて行った。


 侯爵夫人は「ふたりきり」と仰っていたが、もちろん少し離れた場所からメイドたちが私たちの様子を窺っていた。

 この距離なら私たちの声は聞こえないだろうけど、そもそもレナルド様に会話を始める様子がないのだから意味のない気遣いだった。


 ここで私のほうからレナルド様に話しかけるのはマナーに反することだ。

 でも少し悩んだ末、私は思いきって口を開いた。


「バルニエ侯爵子息」


 レナルド様は足を止め、ゆっくりこちらに振り向いた。また一瞬だけ目が合った。


「とても素敵なお庭ですね。薔薇がたくさん咲いていて」


「母が好きなので」


 レナルド様から答えがあったことに励まされて、私は続けた。


「私も好きです。でも、もっと好きなのはポピーみたいな可愛らしい花ですが」


「そうか」


 レナルド様はまた私に背を向けると歩き出した。

 せっかく会話らしい会話ができそうだったのに、どうして薔薇について尋ねなかったのかしら。

 レナルド様が私の好きな花に興味を持つはずないじゃない。


 ただでさえしがない子爵家の娘なのに、こうして会ってみれば冴えない見た目のくせに自分のことばかり話すなんて、レナルド様はさぞ不快だろう。


「申し訳ありません」


 居た堪れなくてレナルド様の背中に向かってそう口にすると、レナルド様が再び振り返った。


「何に対する謝罪だ?」


 声がさらに固くなり、眉が先ほどより寄っているように見えた。


「何の取り柄もない私がバルニエ侯爵子息のような方と婚約なんて、分不相応だということは十分承知しております」


「そんなことはない」


 レナルド様に強い調子で否定されて、私は思わず肩を竦めた。

 当たり前のことをわざわざ言われて、本格的に腹を立てたのかもしれない。

 だけど、続けて聞こえてきた声は優しかった。


「あなたがそんな風に自分を卑下する必要はない」


 束の間、レナルド様は逡巡するように視線を彷徨わせ、それから私を見つめた。初めて真っ直ぐに向けられた視線に顔が熱くなった。

 しかし、次にレナルド様の口から出た言葉は、私を谷底に突き落とした。


「実は、私にはずっと前から想い続けてきた相手がいる。私はその人を……」


「もう結構です」


 咄嗟にレナルド様の話を遮ってしまった。

 だけど、これ以上聞いてしまったら、涙が溢れそうだ。今だって胸が痛くてたまらない。

 それでも私は目を瞠っているレナルド様に向かって淑女らしく笑ってみせた。


「バルニエ侯爵子息のお気持ちはよくわかりました。本当のことを教えていただきありがとうございます」


「いや、その、こんな私だが、婚約してもらえるだろうか? もちろんあなたのことは大切にする」


 今さら爵位の低い我が家から婚約をお断りすることなどできない。

 でもそれ以上に、一目で恋に落ちた私にレナルド様の婚約者という立場を蹴ることなどできるはずがなかった。


「はい。これからどうぞよろしくお願いいたします」


 レナルド様はわずかに口元を緩ませた。




 屋敷に帰って自室でひとりになってから、私は泣いた。

 顔合わせが上手くいったと喜んでいる両親に心配をかけたくはなかったので、声を殺して。

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