気乗りしない飲み会(イタリアンな納豆フリッター)
詩織は緊張していた。
港区麻布、歩いているのは、高級そうなスーツを着こなす男性や、香織のように華やかな女性ばかり。
「場違いだ...」
また、コンペで1位をとれなかったことによる退職処分が、いつ言い渡されるのかにも怯えていた。さらに言えば、絶対に盛り上がらないであろう鬼部長との食事にも困惑していた。
「詩織、酒だけは飲まんようにしとき、頼むから、な。」
「大丈夫だって、粗相はしないから」
自宅でヤケ酒した翌朝、詩織にはすっかり記憶がなかった。納豆親父が小さい身体で詩織の散らかしたものを何とか片付け、朝日を呆然と眺めていたところに、スッキリした顔で「どうしたの?」と聞いてきたのだった。
「待たせた。」
部長がやってきた。
並んでみると、部長の身長が高く感じた。詩織が155cmしかないので、身長差は30cm近くあるようだ。
スラっとしているが細すぎず、ネイビーのスーツをスマートに着こなして、顔つきもキリッとしている部長は、港区女子も時折振り返る程度にはキマっていた。
まぁ、顔つきについては、後輩への厳しさが表れているだけかもしれないが。
「井草、その格好...」
一方の詩織は、毛玉のついたカーディガンに、プリーツがとれかかったスカート、ヒールのないペタンコ靴...
詩織は、気乗りしない飲み会とはいえ、服装を間違えたな、と悟った。
「あれ、部長、お店そっちじゃないです」
「まずお前の服を買いに行く」
「え"!いやいや構わないでください!庶民派なんで!ちょっと!部長!待って!い"ーや"ー!」
部長に引きずられて辿り着いたのは、いかにも高級そうなセレクトショップ。
「試着してみろ」
部長は、レース生地でできたモスグリーンのワンピースと、黒いエナメルのヒール靴を持ってきて言った。
「こ〜ちらへどうぞ〜♪」
有無を言わさず、店員が詩織を試着室へ連れて行く。
こんな高そうな服、似合うわけない...詩織はしぶしぶ服を着替えて、試着室のカーテンを開いた。
「......」
「......ぶ、部長、何か言ってくださいよ!」
「あ、いや、すまない。」
「お客さま、と〜ってもお似合いですよ〜♪」
「カードで頼む」
「え!いや!私が払います!」
「いいから。コンペの景品だと思え。」
「??」
買ったばかりの服を着て、今度こそレストランに到着した。
小さなイタリアンのレストランで、日本で1、2位を争う天才シェフがほぼ1人でやっているらしい。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
部長は1杯目だけグラスでシャンパンを、と言うと、詩織に向き合った。
ついにクビ宣告か、と思い詩織はビクリとする。
「床に手をつくほど俺と飲みに行くのが嫌だったようだが、この店の味は一流だから、食事だけでも楽しんでいくといい」
「床に手...あぁ、いえ違うんです。まぁ確かに部長と飲みに行くのは嫌でしたけど...」
「正直だな」
「でもあれは、コンペで1位をとれなかったのでクビにされると思って...うなだれてました...」
「...はは、そうだったのか」
詩織は初めて部長が笑っているのを見て、さらにビクリとした。
「コンペの結果は結果だが、井草、コンペのあとにSNSは見たのか?」
「見てないですけど...」
「確認してみろ」
詩織がスマホで見てみると、香織のフォロワーは1万5000人、詩織のアカウントのフォロワーは...2万人!?
「直前にサーバーがダウンしていたのは知っていた。今回は運が悪かったようだが、努力は認めようと思う。クビにするつもりもない。よく頑張ったな」
「!!!」
ちょうどその時、飲み物と料理が運ばれてきた。
まずは冷菜。タコや鯛など数種のカルパッチョ、彩りよく並べて固められた野菜のジュレ、桃と生ハムのサラダ...
部長の言う通り、料理は抜群だ。
「あの...最近納豆を使ったレシピを考えてまして、試食していただけないでしょうか?」
そう言ってシェフが持ってきたのは、納豆とモッツァレラチーズのフリッター。
見た目は天ぷらに似ているが、生地にベーキングパウダーを入れてフワッとさせ、食感を軽くしてある。
濃厚なトマトソースをつけて食べると絶品だ。
「まさか、納豆がイタリア料理に応用できるなんて...」
「シャンパンにも合うな」
その後、ウニのパスタ、あわびのグリル、仔牛のカツレツと続き、部長と詩織は丁寧に味わっていった。
料理は美味しい。料理は。
問題は、会話が盛り上がらないこと。
部長は仕事として割り切っているようだし、詩織はやっぱりまだ部長が怖くて、何を話したらいいか見当がつかないのだった。
その結果。
沈黙を誤魔化そうとグラスを何度も口に運び...詩織はやってしまったのだった。