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透明の雪  作者: 中井田知久
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ついでの女じゃない

君から手紙が届いた。表面。宛先。私の住所。私の名前。裏面。差出人。君の名前。住所は無し。

「これを読んでいる君は、何をしている頃か当てようか? うすしお味のポテトチップスを食べながら、ベッドで寝ころんで、僕の事を思っているのだと思う。傲慢な考えかもしれないけれど、本当にそう思っている」

私はうすしお味のポテトチップスを食べながら、ベッドに寝ころんで、君の事を考えていた。

心臓辺りがどくっと音がする。

「君に言ってなかった事があるんだ。僕はもうすぐ『消える』。これは象徴でもメタファーでもなく、伝説でもなく、神話でもなくて、ただ『消える』んだ。君の目の前から。『消える』 ていう言い方はよくないかな。存在が消えるんじゃなくて、ただ『見えない』んだ。僕には触れられる。でも、君には見えないし、誰の目にも見えない」

私は綴られているその言葉の意味が分からない。難しいのかもしれないし、根本的に意味が分からないのかもしれない。

「そうだね。意味が分からないのも当然な事だと思う。母の家系かな? 母のおじいさんが同じ病気だった。突然、母たちの目の前から消えていって、触れられるのに、目に映らない。そんな病気。昔の医学の発達していない時だって、そうだったんだけど、現在でも分からないんだ。こんなに世の中には便利なものがあるのにね」

私は一息置いて、ベッドから天井を眺める。天上が回っていた。

「僕の曽祖父が同じ病気だったんで、母は嘆いた。でも、仕方ないんだ。遺伝だってさ。僕はもうすぐ『消える』。皆の前から。君の前から。君にだけは言っておきたかったんだ。だから、僕を忘れないで」

最後の君の綺麗な字が歪んでいた。私はぎゅっとその手紙を胸におしつけ、くちゃくちゃにした。そんなこと信じられるはずがなかった。でも、君の言うことは信じていた。君は嘘を言ったことないんだもの。


君は軽く笑った。でも、自分の病気を告白した君の顔は強張っていた。君の声はオクターブが一つ上がっている。

「書いた通りだよ」

公園にいた僕等の近くのブランコが揺らいでいた。夏の終わりだった。台風で折れた木の枝。微かな君の匂い。

「僕は……僕は……」

君は両手で顔を覆った。

「泣かないでよ」

と、私は俯いて言った。風が一陣吹いて、ざわざわと深い緑色の木々が揺れる。

「死ぬわけじゃないんだし」

君は顔を上げる。君は泣いていた。涙がつつと右目から落ちる。男の涙を初めて見た。

「消えても、一緒にいられるんでしょ。それが何だっていうの? 太った人、背の高い人、色々いるじゃない。それと同じだよ」

「同じかな?」

君は泣きながらくすりと笑う。君の輪郭は溶け始めていた。君が透けてきて、君の背後の揺らめくブランコが映っていく。

「私は貴方の事、君の事を感じ続ける」

「ありがとう、ついでに」

「ついでに?」

「キスしたい」

「ついでなんて言わないでよ」

と言って、君の透き通っていく唇に私の唇を重ねた。君の色の薄い唇を感じる。私は両手を腰に回して、消えていく君を抱き締めた。

「私は『ついで』の女じゃない」

「ごめん」

「だから、私はいつでも、君が見えなくても、君を感じる」

君は俯いた。俯いた君は大気に混じっていく。その表現が正しかったら。君は完全に『見えなくなった』。君の雰囲気と一緒で。君は、私から見えなくなっても、ぎゅっと私の手を握った。

「ほら。君の手を感じる」と私が言うと、

君はくすりと笑う。笑い声が乾いて消えた。いつものシの音だった。

「ありがとう」君はぎゅっと私の手を握る。

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