序文
初めての小説ゆえ、不慣れなところもありますが全力で頑張らせていただきます。
三国志の楽しさ、面白さや、英雄やそうでない人々のカッコ良さを、読んでくださった方にお届けできるよう、精進します。
基本的には史実をなぞりながら、正史、演義の逸話や、様々なifも盛り込んでいけたらなと思います。
西暦218年。益州、成都城。
その一角の小さな屋敷に、二人の老人がいた。
一人は床に伏し、もう一人は、床に伏した老人の手を握りしめていた。
床にいた老人が目を覚まし、自分の手を握っているのが誰かを理解した後、ゆっくりと話し始める。
「・・・玄さん、また来てたのかい」
今、「玄さん」と呼ばれた方の老人の名は、劉備。字を玄徳という。老いた彼は、少し表情を緩めて答えた。
「当たり前だ。何年の付き合いだと思ってやがる」
「右も左も分からねえガキの頃からだったから・・・」
「50年ぐらいだな」
床の老人は、大きく息を吐いた。
「そうか、もうそんなになるんだな。俺らも歳を取るわけだよ」
劉備は、意を決したように床の老人に言った。
「憲和。やっぱり、無理か。」
「そうだな。」
今まさに死を迎えんとしているこの男の名は、簡雍。字を憲和といった。関羽・張飛と劉備が出会う前から、友として劉備の傍にあり、支え続けた男である。
「・・・酒毒だとよ。臓腑がやられちまって、もう助からねえ」
「なんで言わなかった。もっと早く言ってくれてたら、手の施しようもあったのに」
「諸葛亮殿が加わって以来、赤壁だの荊州制圧だの入蜀だのと、絶対に負けられない戦いばかりだったろ。迷惑、かけたくなくてな」
簡雍は成都の無血開城の使者となって、成都の民衆と、領主だった劉璋を救った。だが、その頃には病が彼の身体を蝕んでいたのである。
「・・・後悔はねえのかよ」
「無いね。玄さんと駆け抜けた一生。苦しいことも楽しいことも半々ってとこだが、これ以上の人生は望まないさ」
「・・・」
「でも、そうだなあ」と、簡雍は大きく息を吸った。
「玄さんの天下は、見たかったなあ・・・」
簡雍の意識は朦朧としていった。
「憲和!行くな、行かないでくれ!」
彼が最期に見たのは、涙を流す友の顔であった。
2018年、日本、横浜。
「志朗!いつまで寝てんだ、起きろ!」
「へーい・・・」
友人に叩き起こされ、少年は目を覚ました。彼の名前は「三国 志朗」。三国志好きの両親に名前をつけられた、ごく平凡な高校生である。
「修学旅行も二日目!今日の自由時間は関帝廟見に行くぞ!」
「おお、いいぜ・・・」
何の因果か、両親をはじめとして、彼の周りには三国志好きの人間が多かった。本人も嫌いではないが、一通りの流れが頭に入っているぐらいで、そこまでマニアという訳では無い。
現在、彼は修学旅行で横浜中華街に来ていた。
朝食を食べ、朝のホームルームを終えると、準備もそこそこに関帝廟へと向かった。そこには、厳かに鎮座している関羽の姿があった。
「・・・」
志朗は、この姿に妙な懐かしさを覚えた。
「ま、昔から色んな話聞かされてたしな。」
目をそらそうとしたその時、関帝廟の関羽に視線を向けられた気がした。
「えっ?」
彼の意識は、そこで途絶えている。
西暦?年、漢、楼桑村
志朗が次に意識を取り戻した時、眼前には雲一つない青空が広がっていた。
志朗は、起きたばかりの霞む目で、周囲を見渡してみた。そこには、一面に広がる平野があるばかりだった。
「どこだここは・・・何が起きたんだ?」
辺りを散策しようと歩きだそうとしたところで、彼は再び強烈な違和感に襲われた。
身体が動かない。
さっきまで聞こえていた風のせせらぎも止まっている。
半ばパニックに陥っていたところ、目の前に突然、例えるなら山伏のような荒々しい格好をした老人が現れた。
「やあ」
「こ、こんにちは」
志朗は、とりあえず挨拶を返す。
「ワシの名前は南華老仙と言う。わかりやすく言えば、仙人じゃ。お主、三国志朗で間違いないな?」
「そうです。今、何が起きたかわからずに混乱しているところです」
「驚くのも無理はない。お主は突然飛ばされたわけじゃしの。まだ落ち着かぬとは思うが、ワシの話を少し聞いてくれるか」
「・・・はい」
その姿からは想像もつかないほど柔らかな言葉遣いの老人を、志朗は不思議と信用していた。
「ここは、お主の時代から約1800年前の中国じゃ」
「1800年前の、中国・・・」
「うむ。お主らが「三国時代」もしくは「後漢末期」と呼んでおる時代じゃ。」
(つまるところ、タイムスリップしたってことか。マジかよ)
「どうして俺は、この時代に?」
「答えよう。すまないが、お主がここに来たのは、ワシが原因なんじゃ」
「南華老仙」と名乗るこの御老人の話によれば、彼の唯一の弟子である張角が、仙人を志す者でありながら悪心に囚われてしまい、民衆を騙して乱を企てた。
凄まじい力をつけた張角に一人では対抗できないと考え、南華老仙は過去や未来、平行世界から英雄の魂を呼び出し、協力を仰ごうとした。
だが、その動きを察知した張角の妨害にあって術が失敗してしまい、「南華老仙の時代を生きた人物のうち誰かの未来世」の魂が呼び出され、その時代の人物と一体化してしまった。それが現在の志朗だ、との事だった。
「どうにか魂を分離して、元の時代に帰そうとしたのじゃが・・・どういう訳か、激烈に抵抗して分離できなくてのう。二人の意識が完全に同化するまで、手をこまねいているしかなかったんじゃ。」
「それは・・・困りましたね。」
志朗は、必死で自分の置かれた状況を理解することに努めた。しきれるものではなかったが。
「お主は、簡雍、字は憲和の生まれ変わりじゃ。それで、魂が分離できぬ以上、お主には簡雍として生きてもらうしかないのじゃ」
衝撃である。
「簡雍としての生を終えたその後、ワシが必ずお主の魂を元の時代に送り返そう。それだけは約束する。」
帰れない訳では無いということを知り、志朗は安堵した。これから先何十年も簡雍として乱世を生きなければならないということに、大きな不安も覚えたが、だからと言って生きる事を放棄する訳にもいかない。
「わかりました。それしか手段が無いのなら、精一杯生きてみます」
「すまぬの・・・せめてもの詫びに、わしの力で言語は自然とわかるようにしてある。頼んだぞ」
そう言うと、南華老仙は音もなく消えていった。
それと同時に、志朗の意識は再び途絶えたのである。
「おーい、憲和。いつまで寝てるんだ?もう日が暮れちまうぞ!」
再び目を覚ました時、横浜に戻ってはいないかと少し期待したが、それは無意味だった。
そして眼前には、こちらを心配そうにのぞき込む少年の顔が飛び込んできた。
「あー・・・ごめんごめん、つい気持ちよくて、ぐっすり寝ちまったよ」
「簡雍」としての記憶は全くない彼だが、字を呼ばれたことから、彼が簡雍にとって友人であることは理解できた。
「しょうがないやつだな。ほれ、起き上がりな。母上が晩飯作って待ってるぞ」
「それは楽しみだな」
「簡雍」は立ち上がり、この少年と一緒に家路(未知の道)を帰った。
30分ほど歩くと、村落が見えた。
大きな木の下にある素朴な家が、この少年の住処らしい。
「母上!今帰りました!憲和も一緒です!」
少年が叫ぶと、家から母親と思われる女性が出てきた。身なりこそみすぼらしいものだったが、その佇まいからは気品が溢れていた。
「おかえり、玄徳。怪我はないかい?」
「玄徳!?」
この時、彼はまだ知らなかった。
この時代を生きるというのは、いかに過酷なのか。
人とは、どれほど醜く、またどれほど美しいのか。
「英雄」と呼ばれる人間の生き様が、どれほど鮮烈なのかを。
続く