名を離さない
「ムイの落ち込みようったら……可哀想で見てられないよ」
マリアが心配そうに、ムイの様子を見ている。
「何があったのか、俺が訊いてみるよ」
中庭にはベンチがいくつも置いてあり、ムイはいつもその一つに腰掛ける。テーブルに並べた押し花を前に、ムイは葉っぱをくるりくるりと回しながら、ぼんやりしていた。
「ムイ、どうしたんだ? 元気がないな」
シノとキノをマリアに預けて、カイトがムイの隣に座り、声を掛けた。
「カイトさん、こんにちは」
無理にも笑顔を浮かべるが、すぐにその視線は落ちる。
「そんなことはありません。大丈夫です」
「ムイ先生の元気がないと、シノとキノが心配するぞ」
「ふふ、そうですね」
「俺も……俺も心配だよ」
ムイが顔を上げる。カイトが覗き込むようにして見ていた視線と重なり合った。
「あ、ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですから」
ムイが下を向く。カイトが手を伸ばして、ムイの髪に触れた。その骨太の指に髪が絡まる。
「か、カイトさん」
腰を引こうと、ムイが中腰になった時。
「ムイ」
地を這うような低い声がした。
振り返ると、リューンが中庭の入り口に立っている。ムイが、慌てて立ち上がる。けれど、それを待たずに、リューンは言った。
「ムイ、こっちに来い」
温度を持たない冷たい声。ムイが初めてリンデンバウムの城にやってきた時に聞いた、リューンがバラに向かって枯れろと命令し言い放った、その声そのものだった。
ムイがその声に縛られたかのように、動けないでいると、隣でカイトが立ち上がり、ムイの腕を掴んだ。
「……あんたが領主さまか」
カイトが慎重に言葉を選ぶ。それを無視して、リューンは言った。
「ムイ、こっちに来いと言っている」
ムイが一歩、足を出そうとしても、カイトは掴んでいた腕を離さなかった。
「ムイ、行かなくていい」
ぐいっと腕を引かれ、身体を傾ける。ムイは、それでもリューンの元へ行かねばならないという気持ちが心を占め、カイトの腕を取ってそっと離した。
それを見たリューンが、痺れを切らして声を上げた。
「ムイっ、聞こえないのかっ」
その声でビクッと身体を跳ね上げると、ムイは走り出した。よろよろとリューンの元へと駆け寄る。
その身体を抱いて、リューンはカイトを睨みつけたが、そのカイトも負けじと、睨みをきかせる。
「……そうやって、あんたは名を握るんだな」
「…………」
リューンはムイを抱きながら振り返ると、中庭を出ようとした。その後ろ姿に、カイトが言葉を飛ばす。
「ムイが可哀想だっ。ムイを放してやれっ」
リューンはその声を無視して、さっさと歩き出した。ムイは引きずられるように、リューンに連れられていく。
「ムイに名前を返してやれ、ムイはあんたの奴隷じゃないぞっ」
いつまでも、響いていた。




