国王の許可
お似合いだと、思いたくなかった。
(思わされたくなかったのに……いつも私は間が悪い)
ムイは力なく笑った。
部屋のソファに置いてあった押し花のファイル。新しく出来たものを丁寧に詰めて、そしてそれを忘れてしまった。
部屋に戻ると、窓からバラ園の中のユウリを見つけた。
隣にリューンがいないことに、ほっと胸を撫で下ろした時。
ドキッと胸が鳴った。
ユウリが上を見上げて、手を振っている。
視線を辿れば、それが誰に向けられているのかは一目瞭然だ。
(リューン様のお部屋の……)
認めたくはなかったが、認めざるを得なかった。それは、自分もこのバラ園から、自室のバルコニーに立つリューンに、何度も何度も手を振ったからだった。
そして、振った手を下ろした途端の、ユウリの笑顔。
嬉しそうに、そして幸せそうに笑っている。
(リューン様が、手を振り返されたのだ……)
ムイは、手に持っていたファイルを抱きしめると、踵を返して部屋を出た。
今、裏口から出れば、ユウリにもリューンにも会わないはずだ。
廊下を駆けた。必死になって、走った。
振りほどきたいものは、ただ走るだけでは、振りほどけない。
息が上がってくる。足も震えて、思うように進まない。けれど、実際は足は進んで裏庭を駆けていくし、マリアの家に着くまで、それは動き続けた。
せり上がってくるものは、ただ恐怖。
リューンを失うことに、まだ覚悟がついていないゆえの恐怖。
はあはあ、と上がる息を鎮めようと大きく息を吸った。
(リューン様の幸せを一番に考えなければならない)
そして、息を細く吐く。
ファイルを抱える腕を見ると、点々と雫がついていて、これは何だろうと、ムイは不思議に思った。
流れる涙に気づかないほど、ムイの心は深い泥の中へと沈んでいた。
✳︎✳︎✳︎
「収穫祭は本当に楽しみですこと」
「……そうだな」
「わたくし、お祭りは大好きなのです」
「そうか。それは良かった」
ちらと、リューンはムイの席を見た。昼食の用意はされていない。席にいないからだ。
(またあの男と、……いや、それはない。ローウェンが、木こりは今日は森だと言っていた)
「ムイ様が、」
その声に頭が跳ね上がる。
「なんだ?」
ユウリは口元を歪ませると、言い放った。
「ムイ様は収穫祭で花を使って何かをやられるそうですね」
「あ、ああ。押し花を作っているんだ。それを使って絵を描いたり、首飾りを作ったりして、い、る……」
リューンの脳裏に、アネモネの花びらで作ったシガレットケースが浮かんだ。
ついに。
リューンはそれを受け取れなかった。
そしてそれを考えるだけで、リューンの胸は痛みを宿す。
(きっと、心を込めて作ったのだろうに。あの子はそういう子だ。俺が受け取らなかったことで、きっと傷つけた。いや、傷つけたに決まっている)
今になって後悔が津波のように襲ってくる。
「あの、客間の……」
ユウリの声に再度、顔を上げた。
「あの花の絵は素晴らしい出来ですわ」
「そうだろう、あれは本当に良い作品だ。デザインも品があるし、ムイは才能があって、」
リューンの言葉を遮って、ユウリは言った。
「歌が歌えなくても、この押し花の才能なら、陛下もご満足ですね」
「なに、」
ユウリが何を言おうとしているのか、わからなかった。
リューンは眉をひそめ、怪訝な顔を浮かべると、ユウリに問うた。
「それはどういう意味かな? なぜ陛下が関係してくるのだ?」
ユウリは、フォークに刺してあった魚を行儀よく口の中に入れ、ワインをちびりと飲むと、「ムイ様が陛下の元へ帰られるというお話です」
リューンはますます眉をひそめた。
「何を言っている。ムイは国王の元へなぞ、戻らん」
持っていたワイングラスを、カチンと音を立てて置いた。葡萄色の液体がゆらゆらと揺れている。
「陛下はご所望でございます。ムイ様をいたくお気に召しておりまして、手元に置きたいと、ずっと心の内でお思いになっておりました」
「だが、ムイは俺と結婚するのだぞ。許可状も……」
少しの沈黙の後、リューンが立ち上がった。その拍子に、グラスがカタンと倒れた。真っ白なテーブルクロスに、ワインレッドの染みが広がっていく。
「許可状は偽物か」
「偽物扱いとは、酷いですわ」
「どういうことだ」
「許可状は本物です。ただ、」
リューンは、テーブルについている両手を握り込んだ。
「サインが入っていない、ということです」
「どうして、そんなっ。許してもらえたのではないのかっ?」
今度は、ユウリが立ち上がった。
「そのような、みなさまに祝福されないようなご結婚で、幸せになれますでしょうか?」
「みなに祝福などされなくともっ‼︎」
「ムイ様はどうお思いでしょうか」
ローウェンが隣の給仕室から飛び込んできた。
「リューン様、落ち着いてくださいっ」
「ムイは、……ムイだって、幸せになれる。俺が、幸せにしてみせるっ」
ガタ、とイスが音を立てた。リューンが睨みをきかせて、ユウリに強く言葉を放った。
「ユウリ殿、今すぐ戻ってサインをもらってくるんだ‼︎」
「リューン様‼︎」
ローウェンの声がぴしゃっと落ちた。
「お部屋にお戻りください‼︎」
ローウェンがイスを引いて、ガタンと倒した。リューンの背中と腕を掴み、強引に動かそうとする。
リューンは怒りで我を忘れて何も考えられなくなった頭をもたげながら、ローウェンのそれに促されて、部屋から出た。




