第三章 四月六日:桜と田中先輩
翌日、万年床でゴロゴロしながら、また眠らないまま朝になった。
まだ五時だ。
猫にエサをやる。
いまだに体に触らしてはくれない。
古新聞を丸めて猫の前に差し出して遊ぼうとするが、「シャー!」と威嚇してくる。
猫とのまったり生活はまだ遠そうだ。
日が昇ってきた。
退屈なので、散歩に出かけることにする。上下ジャージ姿でアパートを出る。
もう金属バットはいらないだろう。
朝早く、散歩する。
新鮮な空気。春うらら、晴天、風はおだやか、街は荒廃。
途中で、犬の散歩をしている山田さんに会った。
「あら、おはようございます。佐藤さん」
「おはようございます」
「わたし、昔、犬を飼っていたので、扱いには慣れているんですよ」
「そうですか、それはよかったですね」犬はシッポを振って、俺に寄りかかってくる。本当に人懐っこい犬だな。
ゾンビが徘徊するなか近所の人と立ち話をする。
変な光景ではある。
「山田さんはもう睡眠薬とかは飲んでないんですか」
「ええ、もう必要ないと思って」
「ゾンビに襲われたりとかはしましたか」
「いいえ、まったく」
「また、なんかありましたら言ってください」と俺のアパートの場所を山田さんに教えておいた。
「それでは、また」
山田さんと別れて、散歩を再開する。
今は春だ。
春と言えば桜だ。
「花見でもするか」と俺は桜の名所に行くことにした。
荒廃した街をゾンビがウロウロするなか、近くの明日香山公園をめざす。
明寺通りを王寺方面に向かう。下りの坂道をゆっくりと歩いていく。
車は通らないし、ゾンビたちは無言で歩いているだけなので、聞こえてくるのは鳥のさえずり声くらいだ。
静寂。
ゾンビが徘徊している以外は何もかも時間が止まったような街を歩く。
交差点で都電新川線の路面電車が横倒しになっていた。
その都電をカメラで撮影しようとしているようなそぶりのゾンビがいる。鉄オタのゾンビだろうか。
公園前に来た。
交番があるが、その前になぜか高級外車がとまっている。
車には興味がないので、交番のゾンビ警官に「コンチワー!」と声をかけ、公園に入る。
明日香山公園は桜が満開だ。
公園なので、あまり破壊活動も行われなかったようだ。
桜の花が時おりひらひらと舞い落ちる。
心なしか、ゾンビも大勢いるような気がする。
ゾンビも花見に来たのだろうか。
ゾンビと一緒に桜見物。
風流だなあ。
風流なのか?
そういえば俺は花粉症で春はいつも苦労していたのだが、ゾンビになったらマスク無しで過ごせる。
ゾンビになっても少しはメリットがあるもんだ。
しばらく桜を見ながら公園にたたずんでいると、
「おい、佐藤」とスーツでネクタイ姿のゾンビが話しかけてきた。
「わあ!」さすがにびっくりする。
よく見ると高校の先輩の田中呂芽男さんだった。
身長百八十センチ、体重百キロの巨漢だ。顔は俺と同様に青白いが呆けた顔はしていない。一重まぶたの細い目も変わらず線のようだ。
どうやら田中先輩も意識があるらしい。
「久しぶりだな、お前よく生きてたな」
「いや、ゾンビなんで死んでますけど」
「けど、意識はあるんだろ」
「ええ、先輩もですか」
「おう、ばっちりだ、ばっちり意識があって、ばっちり死んでるぞ」なにがばっちりなんだと思ったが、俺は黙っていた。
我々二人が会話していても、相変わらず周りのゾンビは無反応だ。
「なんでここへ来たんですか」
「そりゃあ花見だよ、花見」と田中先輩。
ゾンビになっても考えることは同じだなと俺は思った。
「あの騒ぎの時、先輩はどうしてたんですか」
「あの時は大変だったぞ。俺はマンションの自宅の玄関で三日三晩寝ずにゾンビと格闘し続けたんだ。激闘だったぞ。ゾンビの頭を破壊して何匹も仕留めてやった。ゾンビの弱点はやはり頭だ。ジョージ・A・ロメロ監督は偉大だった。惜しい人を失くしたもんだ」
「元は人間だから数えるとき、私は『匹』ではなく『体』を使ってますが」
「お前、細かいやつだなあ。話を戻すと、途中でゾンビがすっといなくなった。それでいつの間にか寝てしまった。で、起きたらゾンビになってたよ。その後、自動車で都内をいろいろと周ってみた。そこら中、荒廃して、ゾンビだらけでひどいありさまだ」
「ゾンビに襲われたりしましたか」
「全くないな。完全に無視されてる」
「俺みたいなゾンビなのに人間の意識がある人に会いましたか」
「いやあ、お前がはじめてだな」
やはり人間ゾンビはレアケースなのかと俺は思った。
「騒ぎの時、押し入れに隠れたりはしませんでしたか」
「ワンルームマンションで押し入れはないぞ」
「そうですか」
押し入れに三日三晩寝ずに隠れていた説は却下だなと俺は思った。
「なんだお前、空手黒帯の俺様がゾンビどもから逃げると思ったのか!」田中先輩がにらみつけてきた。
「いえ、めっそうもありません」と俺。
しかし、たしか先輩は野球部だったような記憶があるのだが。
「ところで佐藤、なんでゾンビになったのに俺たちには意識があるんだろうか」
「それは俺も不思議に思ってるんですよ」
「マンションでゾンビと格闘しているときも、ゾンビには噛まれてないんだけどさあ、このウィルスはどうやって感染するんだ」
「多分、空気感染と思うんですよ、それも、ものすごい勢いでうつる」
「まあ、それで感染したとして、他の人たちもほとんどがそうだろ、なんで俺たちだけ完全なゾンビにならないの」
「先輩と俺との共通点が見つかれば、手がかりになると思うんですが」
「俺とお前の共通点? 俺はお前のようなさえない人生を送ってないぞ」ガハハと笑う田中先輩。
「もっと真面目に考えてくださいよ。事実だけど」
公園でゾンビがのろのろと行きかうなか、ベンチに座り俺たちはあれやこれや議論した。
「先輩は睡眠薬とか飲んでませんか?」
「う~ん、仕事が激務なんでな、たま~に飲むことあったが、そんな人いくらでもいるだろう」
「そうですよねえ」
「ゾンビが俺たちに無関心なのはどうしてなんだろう」
「多分、同類と思っているんじゃないんですかねえ、ゾンビの皆さん」
「ソンビの奴らはなにか考えているんかね」
「いや、あの顔はもうなにも考えてないでしょう」
「俺たちはなにかしら考えている。『我思うゆえに我あり』だな」
「その言葉の意味よくわかんないんですけど」
「俺もわからんよ」またガハハと笑う先輩。
先輩との共通点は頭が悪いということか。
桜の花がひらひらと舞う中、とりとめのない会話をする。
「なんだ、お前、いま無職かよ」
「体調不良でしてね、うつ病ですよ」
「どうりでさえない顔してるわけだ」
「自分も青い顔してるじゃないですか、それにこんな状況下で今さら無職でも有職でも関係ないでしょう」
「それもそうだ、ワハハ」豪快に笑う田中先輩。それにしても、笑うゾンビというのも妙ではあるな。
俺は少し逆襲したくなった。
「そういや先輩、頭がなんとなく薄くなってますねえ、もう年ですか? それとも仕事が忙しくてストレスが原因ですかね」
「髪の毛が後退しているのではない。俺様が前進してゾンビと戦ったのである」
下らないことを言う先輩。
「激闘中にゾンビに髪の毛をむしり取られたんだ。禿げたわけではないぞ」
本当かねと思う俺。
話題を変える。
「それはそうと、ゾンビ映画とか見ていて、ゾンビが世界にあふれたら、どこか安全地帯で自分はやりたい放題好き放題という妄想をよくしたもんですが、自分がゾンビになったらどうしようもないですよねえ。先輩はどうですか?」
「俺もゾンビ映画とか見た後に、ゾンビが溢れた世界でスリルとバイオレンスとエロとグロな生活を妄想したもんだがなあ。なぜか銃規制されているこの日本でライフルや機関銃や爆弾やバズーカ砲を簡単に手に入れてゾンビどもをなぎ倒し、なぜか食料や水が豊富な建物に籠城して、なぜかそこに人間の美少女が助けをもとめてやってきて、なぜかいい仲になるという、自分に都合のいいストーリーを考えていたもんだがなあ」
「俺はどっちかというと、一人孤独に過ごす妄想をしてましたね。完全防備の建物の中、モニターで外部のゾンビが侵入してこないか監視しつつ、一人静かに本を読んで過ごすとか」
「お前暗いなあ」と少しあきれたような田中先輩。
「悪かったすね」
「まあ妄想では、だいたい自分だけはゾンビにならないんだよな」
「実際はあっさりとゾンビになっちゃいましたね。所詮その他大勢グループ。本来の人生もつまらなかったし」
「人生が本当に面白かったら、ゾンビ映画なんぞ見ないんじゃないか」
「そっすね。まあ、ゾンビ映画のエキストラみたいなつまらない人生でしたよ」
「ゾンビ映画のDVDの特典映像でメイキングを見たことあるんだが、ゾンビのエキストラ役のひとたちはみんな楽しそうだったぞ」
ハハハと空しく笑う二人。
ゾンビたちは笑うわれわれに注意を向けることなく徘徊を続けている。
桜を見ながら、しばしの沈黙の後、田中先輩が気になることを言った。
「ところで大騒ぎになる前にネットに変な情報が書き込まれてたんだけどな。東京都文教区にある大東協大学がゾンビウィルスの発生源だって。米軍と大東協大学が秘密の実験をしていたらしいぞ」
「えっ、どこで見たんですか?」と驚く俺。
「有名な某巨大掲示板だ」
「なんだ、日本で一番全くあてにならない情報元じゃないですか。偽情報ばっかりですよ、その掲示板」と俺はがっかりとして言った。
「けどゾンビ発生は当たってたなあ」
「まあ、こうなっては今さらどうしようもないですけどね」
「行ってみようぜ、どうせヒマだし」と言って田中先輩はベンチから立ち上がった。
「歩きですか、ちょっと遠いですよ」
「自動車だよ」
田中先輩についていくと、さっきの外車にキーを向けてドアを開ける。
「これ先輩の車だったんですか」
「そうさ、一流企業勤務のステイタスだ」ふふんと笑う田中先輩。
「俺は自動車免許すら持ってないですけどね」
「ださいな、おまけに無職じゃしょうがねえか」
「そっすね、まあ、いまやお互いゾンビですけどね」田中先輩のイヤミをスルーする。
自動車に乗り込こむと、後ろの座席でザーっと音がする。よくみると短波ラジオが置いてあった。
「量販店から拾ってきた短波ラジオでいろいろとさぐってみたが、ほとんどはいらない。一応点けっぱなしにしている」と言いながら、高級外車のエンジンをかける田中先輩。
「もう世界中がゾンビに占領されたんですかね」
「まあ東京で疫病が発生した後、あっという間に全世界に広がったし、どこか奥地のジャングルとかに住んでいる民族以外は全滅かもなあ」
先輩は自動車を走らせる。
ゾンビになっても運転には支障はなさそうだ。
大東協大学を目指す。
車から見る光景は、徘徊するゾンビと、破壊されたビルやらいまだに火が消えてない家など、崩壊した街がずっと続く。
地獄の車窓から。
まさに世界の終わりという光景だなと俺は思った。
「おっと、危ない」田中先輩が危うく、道路上をウロウロしていたゾンビをひきそうになった。
「あやうくひき殺すところだったよ」と先輩はバックミラーでゾンビの無事を確認している。
「ひき殺すというか、もう死んでますけどね」
「そうだな。だけど、ひいたら相手はゾンビとはいえあまり気分はよくないぞ」
ひきそうになったゾンビは問題なく歩き続けている。
「三日三晩、大勢のゾンビの頭を破壊していたのにですか?」と先輩に俺は聞いた。
「無抵抗の奴は殺す気になれんな」
「ゾンビ映画だと、ゾンビはゾンビというだけで、問答無用に殺されるというか破壊されますけどね」
「人権無視だな。人権じゃなくてゾンビ権か」
ところどころ車が放置されていたりひっくり返っていたりと道路は通りにくく、遠回りしながら、大東協大学の有名な青門のあたりまできた。
青門も黒焦げになって崩れている。
「青門は、確か国の文化遺産かなんかに指定されてたんじゃないですかね」
「悲惨なもんだな、これじゃあ青門ならぬ黒門だな」先輩は自動車を止める。
「ここから、キャンパスに入るか」と自動車から降りようとすると、空から轟音が聞こえてきた。
「あっ、飛行機が飛んでますよ」変な形の飛行機が西方面の上空から現れたのを指さして、俺は田中先輩に言った。
「あれ、オスプレイじゃん」
「沖ノ縄の人たちに嫌われてる米軍戦闘機ですね」
「輸送機じゃなかったっけ、どうでもいいけど」
さすがに、ソンビにはオスプレイは操縦できないので、乗っているのは人間だろう。
「どっから飛んできたんですかねえ」
「さあ、縦田基地あたりか。そうすると米軍は健在なのか」細い目でオスプレイを見上げる先輩。
「米軍に助けをもとめましょうか」
「いや、へたに近づくと頭を打ちぬかれて殺されるぞ」
「つーか、もう死んでますけど」
「USA! USA! って叫びながら近づけばいいんじゃね」下らない事を言う田中先輩。
「あ、オスプレイ着陸していきますよ」
「そっちへ行こう」と先輩がゾンビを避けながら大通りを自動車で飛ばすと、大東協大学の正門近くにたどり着いた。
正門から銀杏並木の向こうに見える、大昔、学生運動が盛んなころに学生たちが立てこもった有名な講堂は全壊していた。
「とめてくれるなおっかさん、背中の銀杏が泣いている、男ゾンビどこへ行く」わけのわからないことをつぶやく田中先輩。
正門前にとめて、自動車から降りた。
警備員ゾンビが直立不動で立っている。
ゾンビになっても正門の警備ご苦労さんです。
オスプレイが講堂前の広場に着陸しようとしている。
田中先輩は手をかざして細い目をますます細くして、オスプレイの着陸するさまを見ている。
「米軍だ。操縦席の軍人すごい恰好だな。気密服着てるぞ」
「某フルアーマー元官房長官顔負けですね」
「感染を防ぐにはしょうがないんだろうな」
オスプレイが着陸して、米兵が降りようとする。まるで宇宙服みたいな恰好だ。
すると、講堂前でふらふら徘徊していたゾンビたちが、突如、物凄い勢いで走っていった。
何百体のゾンビがオリンピックの陸上選手並みのスピードでオスプレイに襲いかかる。
「おお、すげえ、すげえ、金メダリストのウサイン・ボルト顔負けだな」なぜか楽しそうな田中先輩。
ゾンビたちは凄まじい形相で口を開け、歯をむき出しにし、唸り声をあげながら、大勢オスプレイの周りに集まってきた。
正門前の直立不動ゾンビ警備員も、俺たちの周りでふらふらしていたゾンビたちも唸り声をあげてオスプレイ目がけて走っていく。
米兵は機関銃でゾンビをなぎ倒す。
ヘッドショットされたゾンビは動かなくなる。
あらためてゾンビは脳を破壊すればいいとわかった。
もう、何百を超えて何千ものゾンビがオスプレイに群がっている。
「こりゃ、やべーぞ」と言いつつ、鼻くそほじりながら、のん気そうな田中先輩。
オスプレイは一旦離陸しようとする。
ゾンビたちは倒されても倒されても襲いかかる。何百体もピラミッド状に積み重なって、オスプレイの脚のタイヤに飛びついた。そのゾンビの背中を登って、次々とゾンビはオスプレイの機体にしがみつく。オスプレイの機体の半分くらいがしがみつくゾンビでびっしりと覆われ、操縦席のガラスを打ち破った。操縦席の軍人が襲われている。
オスプレイがバランスを崩す。
「落ちるぞ!」俺は叫んだ。
墜落し炎上するオスプレイ。
「あ~あ、墜落しちゃったよ、オスプレイ。もうちょっとがんばれよ」とつまんなそうに言う田中先輩。
ハリウッド映画みたいな巨大スペクタクルな光景を期待していたのだろうか。
「また沖ノ縄の人たちが抗議デモ起こしますね」
「ゾンビになってもデモ起こすのかな」
「普段の行動を続けるらしいですからね、ゾンビは」と俺が先輩に言ってる最中に、火だるまになって悲鳴を上げながら米兵がオスプレイから飛び出してきた。
群がるゾンビ。米兵たちはあっという間に喰われる。
「ありゃステーキでいえばメディアムかね」
「いやあレアじゃないですかね、先輩みたいに本格的なステーキ食ったことないからよくわからないですけど」
オスプレイの米兵は全滅したようだ。
久しぶりに生きた人間に会えそうだったのに残念だ。
まあ、他のゾンビたちと一緒に銃撃され、頭を破壊されていた可能性の方が高いけど。
全てが終わったら、またゾンビたちは何事もなかったように徘徊しだした。
ゾンビ警備員もよろよろと歩きながら、こちらに戻ってくる。正門警備のためか。ゾンビになっても職務に忠実だな。お疲れ様です。
「しかし、すげえ形相だったなゾンビたち」と田中先輩は驚いたような顔をする。
「あれ、ゾンビと激闘したんじゃ?」
「いや、あのときは必死だったし、夜だったし、あらためて真っ昼間に見ると違うなあと思っただけさ」
なんか怪しいなと俺は思った。
「ゾンビも普段は呆けた顔して、なかには仏のような表情したゾンビもいるのになあ」
「まあ、実際、死んでるんで仏様ですけどね」そう俺は言いながら、大東協大学の正門の脇にある警備員室をのぞいた。
受付台に、訪問者用の大学の案内地図が置いてある。
「スンマセーン! 一枚いただきまーす」と俺は戻ってきたゾンビ警備員に挨拶して一枚持って行く。
「さて、どこへ行きましょうか」
「おい、ここが怪しくないか」
先輩が示した地図の箇所にはアイソトープセンターと書いてある。
「『愛』と『ソープ』センター、なんか変だぞ」
「アイ『ト』ソープじゃなくて『アイソトープ』センターですよ」
「『アイソトープ』とは何ぞや?」
「ええとたしか放射性同位元素なんたらかんたらだったと思います」
「放射能! それだ! 放射能! 放射能!」飛び上がる田中先輩。
「なに興奮してんですか?」
「放射能だよ、放射能。放射能が原因だ! 放射能浴びて無害なウィルスが突然変異を起こしたんだ! それがゾンビウィルスの正体だ! 放射能だ! 放射能だ!」騒ぐ先輩。
「そんなに騒がないでくださいよ。突然変異って、便利な言葉ですけど、実際のところ実に安易な発想ですよね」
「お前、夢が無いな。大物になれないぞ」
「ゾンビの大物って何ですかね」
「とにかくそのセンターへ行くぞ」
俺と先輩は歩いてアイソトープセンターへ向かうことにした。
大東協大学の銀杏並木は健在だ。
ゾンビたちは相変わらずふらふらと徘徊している。
米軍にやられて動かないゾンビが大量に倒れていた。
「オスプレイ ゾンビどもが 夢の跡」また下らないことを言う先輩。
講堂前広場に墜落したオスプレイの残骸と大量のゾンビの死骸を横目に見ながら歩く。
「ゾンビたち、倒されても倒されても、オスプレイに突撃していったなあ。まるで旧日本兵みたいだ。神社に祀ったらどうだ」
「そういうこと言うと右翼の人に怒られますよ」
「それにしても、だらしねーな、米軍。ゾンビ軍団に瞬殺されちまったか。俺でも三日間持ちこたえたんだぜ」
「前から気になってたんですけど、どうやってゾンビと戦ったんですか」
「もちろん空手だ。俺の空手チョップでゾンビの頭を粉砕だ。ブラックベルトを甘く見るんじゃねーぜ」
田中先輩は妙な空手の恰好をかまえる。
ますます怪しいが、話題を変える。
「そう言えば、俺たちはゾンビなのに、人に襲いかかろうとしませんでしたねえ」
「体はゾンビでも、脳は人間のままなんだろうな。人としての倫理観が残っているんだろう。それとも、お前、米兵の死体を見て腹がすいたか」
「やめてくださいよ、俺は食べ物の好き嫌いが多いんですよ」
「そういう問題かよ」
「だいたい倫理観を持っている人が死体をメディアムとかレアとか言いますかね」
「それもそうだな、ガハハ」と笑う田中先輩。
いったん大キャンパスを出て、住宅街を通って、隣の小さいキャンパスに入る。急な坂道を登ると、こじんまりとした建物があった。
大東協大学アイソトープセンターだ。
玄関は壊されており、その前には自転車が折り重なっている。
中に入るとセンターの案内や建物の図面があり、右手に事務室があった。
「おっ、怪しげな扉があるぞ」と田中先輩。
事務室の左隣に鉄の扉があり、放射線管理区域とある。
カード式で出入りするようだが、停電なので当然閉まっている。
「こじ開けましょうか」
「待て! 待て待て! 放射線防護服がいるだろう」と大げさなことを言う先輩。
「ゾンビが防護してどうすんですか」
「ゾンビだって生きてるんだ、いや動いているんだ、とにかく事務室で防護服を探そう」
事務室に入ったら、一体のゾンビがウロウロしているが、放っておく。
入ってすぐ左に簡素な扉があり中に入れる状態になっていた。
「なんだ、簡単に放射線管理区域に入れるじゃないですか」
「いや、危ないぞ、放射能だぞ」とあくまで放射能に敏感な先輩。
「大丈夫ですよ、それより懐中電灯をさがしましょう」
俺は事務室で二台懐中電灯を見つけて、一台を先輩に渡した。
五階建ての建物の中をそこかしこ見て回る。
大きな講義室があり、一体のゾンビが教壇で講義らしきことをしていた。そのゾンビ以外、誰もいないのだが。
いくつか実験室もあったが、特に異常はなさそうだ。ゴチャゴチャと汚いが理系の実験室なんてそんなもんだろう。
極秘実験とはかけ離れた感じの研究室や実験室があるだけだ。
研究室で壊れたパソコンのキーボードをパチパチ叩いている学生ゾンビがいる。ゾンビになっても研究か、さすが大東強大学。
「ここで危険な極秘実験を米軍とやっていたんだな」と田中先輩がきょろきょろとしながら言った。
「そうですかねえ、そんな風には見えないですけどねえ。だいたいこんな大学のキャンパスで危険な実験なんてやらないでしょ。危険なウィルスの実験なんて、通常は完全に何重も隔離された施設とかでやるんじゃないですか。外部に漏れたら大変でしょうに」
「いや、危険じゃない極秘実験だったんだ」
「なんすか、それ」
「危険じゃなかったけど、危険なウィルスが偶然できてしまったんだ」真面目な顔で言う田中先輩。
「危険じゃない実験なら、極秘にする必要はないじゃないですか」反論する俺。
「極秘にしたい危険じゃない実験だったのだが、危険な極秘実験になってしまったんだ」
なんだか禅問答みたいになってきたな。
結局、俺たちはセンターの事務室に戻った。
「事務室に米軍との極秘実験の資料がないか探してみよう」とあくまで極秘実験にこだわる田中先輩。
「あの~玄関の案内板を見たんですが、このセンターは研修が主な業務ですね。研究もやってますけど」
「なんだ、研修って」田中先輩か訝しげな顔をする。
「アイソトープを使った実験をするとき、安全に行えるよう他の学部の学生さんたちとかにアイソトープの扱い方を教えてるんですよ」
「なんだと、学生に放射能を扱わせているのか! そんな危険ことをさせていいのかあ!」ぴょんぴょん飛び跳ねる田中先輩。
「ああ、いやあ、だからアイソトープは医療とかにも使われてるし、まあ危険といえば危険ですけど、誤って手で触っても水道で石鹸で洗って流しちゃえばいいんで」
「水で流すだと、そのまま下水道に流れるのか、そんなことをしていいのかあ!」
放射能に過剰におびえる田中先輩を納得させるのに俺は疲れて、つい、事務室で徘徊していたゾンビにぶつかって倒してしまう。
倒れたゾンビは床で手足をバタバタとさせている。
「おっと、これはすいません」
ゾンビは身分証を首から下げており、大東協大学東洋文化センター教授木村和夫と書いてあった。
「木村教授、どうも失礼いたしました」と言いながら俺はゾンビを立ち上がらせた。
「おい、ちょっと待て!」田中先輩が叫ぶ。
「いや~だから放射能汚染の危険はないですよ」と俺はうんざりして言った。
「ちがうよ、そのゾンビの身分証見ろよ、所属は大東協大学『東洋文化』センターだぞ」
「それがどうかしたんですか?」
「なんで理系のアイソトープセンターにいかにも文系な教授がいるんだ」
「さあ、ゾンビに追われて、たまたま逃げこんだんじゃないですか。で、他の人たちのようにウィルスに感染してゾンビになったと」
「いや、なんかおかしいぞ」と田中先輩は玄関の案内板をしげしげと眺めている。
「おい、佐藤、これを見ろよ。アイソトープセンターの案内表にも木村和夫という教授の名前があるぞ」
「同姓同名じゃないですか。珍しい名前ではないし、この大学でかいから先生もたくさんいますしね」
「いや、これはなんか怪しいぞ。よし、次は東洋文化センターに向かうぞ」
文系はあんまり実験なんかしないんじゃないかと思いながら、俺は案内図で東洋文化センターの場所を調べた。
大キャンパスの東の端っこにある。
「このキャンパスの反対側にありますね、歩きだと時間がかかりますよ」
「自転車で行こうぜ」と田中先輩は提案する。
アイソトープセンターの玄関前に転がってる自転車から使えそうなのを選んだ。
「おい、どうせなら電動式自転車にしよう」
「ゾンビなのにぜいたくですね」俺は二台なんとか探し出し、バッテリーを確認する。
「多少バッテリーは残ってますよ」鍵は事務室から探して借りた。
カゴに懐中電灯を入れて、自転車をこぎながら東洋文化センターに向かう。
再び大キャンパスにはいり、しばらく行くと、左に大東協大学病院、右には運動場がある。
運動場の端には桜の木が多い。
ゾンビたちも桜の木の下でウロウロしている。花見でもしたいのであろうか。
桜の花びらの舞うなか電動式自転車でスイスイと進む。
「競争だあ!」と言いながら先輩がゾンビをよけつつ自転車のスピードを速める。
「負けるもんかあ!」と俺もスピードを出す。
まるで子供である。ゾンビになると子供っぽくなるのか。それとも元からか。
自転車を走らせていくと、十二階建てくらいのでかい建物が横倒しになって道をふさいでいる。
「たしかこの建物は有名な建築家が設計した大東強大学の本部事務棟ですよ、中の人たち全滅ですね」
「なんで倒れたんだ。これも、ゾンビの仕業なのか。それとも地盤が緩んだのか」
「さあ、前から変な噂があって床にボールを置くとフロアーの中心へ転がっていくとか。中央に柱がないんですよね」
「有名だってあてにはならんな」と田中先輩。
倒れた事務棟の手前を右に曲がり、少し進むと、東洋文化センターがあった。
変な中国風の犬みたいな大きな石像が二体入り口にある。
石像に乗って遊ぶ田中先輩。
「ちょっと、遊ばないでくださいよ、先輩」
「いやあ、いかにも乗って遊んでくれと言わんばかりに置いてあるからさ」と言いながら、石像の犬の頭をポンポンと叩く田中先輩。
すると、石像の頭が崩れて落っこちてしまった。
「おお、つい空手技を使ってしまった」
もともと崩れる寸前だったのではと俺は思った。
「やべ、これ高価そうだな。おいおい、これは秘密だぞ」と焦る先輩。
「今さら誰も怒らんでしょう」
東洋文化センターの玄関もやはり壊されていた。自動扉のガラスが飛び散っている。
俺と先輩は玄関前の階段をのぼって、センターの中に入った。
中に入ると、右手に事務室があり、ドアの前にセンターの案内板がある。
「東洋文化センターというから主に中国とか韓国とか東アジアの研究しているとか思ったら、インドや中東とか、かなり広い地域まで含んでますね」
「おおざっぱだな」とつまんなそうな先輩。
「あと、ここのセンターは書庫はたくさんあるけど、実験施設なんてありませんよ」
「まあ、とりあえず木村教授の部屋に行こうぜ」と先輩は懐中電灯を点けて、階段へ向かった。
木村教授の部屋は八階にある。さすがに八階まで登ると疲れる。
「真っ暗だな、ゾンビもいないぞ」と先輩。
「文系の先生は、そもそもちゃんと大学に出勤しているのか怪しいですからね」
木村教授の薄暗い部屋に入る、ここも中は本ばっかりだ。
机に置いてある資料などを懐中電灯で照らしながら見て俺は言った。
「木村教授の研究テーマは、鄭和ですね」
「テイワってなんだ?」と先輩。
「中国の明王朝時代の人ですよ、大船団で東南アジア、インドからアラビア半島を航海し、アフリカまで到達したんですよ」
突然、田中先輩が手をパンと叩き、右手を挙げて、
「よーし、わかった!」とどこかで聞いたようなセリフを発した。
「なんですか、いきなり」
「点と線がつながったぞ!」と小躍りする田中先輩。
「なにがつながったんですか」
「ゾンビ第一号は木村教授だ」
「え! なぜですか?」
「木村教授は研究のため中国とアフリカに出張していたんだ」
「はあ」
「で、それぞれ現地で凶悪な疫病に感染し、その二つのウィルスが体内で拮抗している間に日本に帰国したんだ」
「……すごい偏見ですね。中国とアフリカの人が怒りますよ」
「そして、アイソトープが誤って、アイソトープセンターではなく同姓同名の東洋文化センターの木村教授に間違えて送られてきたんだ」
「へ?」
「そして、うっかり木村教授はアイソトープを開封して、被曝してウィルスが突然変異し、教授は発症したんだ。誤配に気づいた教授は、アイソトープをアイソトープセンターに返しに行って、そこでゾンビに変身したんだ」
「あの~」
「俺の予想では、中国産のウィルスが原因だな」
「メチャクチャですよ、アイソトープが間違って送られてくるわけないですよ。万が一そんなことになっても、事務員に渡して転送するだけですよ。それに都合よく突然変異なんて起きないでしょうし。あと、なんで中国なんですか?」
「ほとんどの疫病は中国から発生するんだ。中世ヨーロッパの人口が三分の一になった有名なペストもそうだ」
「どこで知ったんですか」
「某巨大掲示板だ」
「またそこですか! その掲示板の韓国と中国に関する情報は信じない方がいいですよ。だいたい米軍との極秘実験とやらはどこにいったんですか」
「それはおいといて、じゃあ、なんで米軍のオスプレイは命がけで大東協大学のキャンパスに着陸しようとしたんだ?」
「うーん、それはわかりません」
「とりあえず、なにかのヒントになるだろう」と先輩は自分の説に固執しそうな雰囲気である。
俺は頭が痛くなってきた。
吐き気もしてきた。何も食べてないから吐くものはないだろうけど。
先輩との会話で疲れたか。
いや、なんか違う。
うーん、何とも言えない気分の悪さだ。
教授の部屋で座り込む。
「おいおい、大丈夫かよ」
「いや、なんか急に調子が悪くなって、もしかしたらこれは完全なゾンビになる前兆かもしれません」
「いや、精神薬の離脱症状じゃねーの?」
「離脱症状ってなんですか?」頭をおさえながら聞く俺。
「お前、あの騒動以来、精神薬飲んでいないだろう」
「そういや、全く飲んでないですね」
「定期的に飲んでいた精神薬を突然やめたりすると起こるのが離脱症状というんだ。抗うつ薬をやめると、シャンピリというんだが頭に電流が走るような不快感があらわれるし、精神安定剤となるともう地獄、睡眠障害、不安と緊張の増加、パニック発作、手の震え、発汗、集中困難、記憶障害、吐き気やむかつき、動悸、頭痛、筋肉の痛みと凝り、幻覚やらなんやら様々な症状が出るんだ。まるで拷問かよって感じだ」
「そうなんですか、精神薬って意外と危険なんですねえ」
「おまけに精神安定剤は長期間飲み続けると効果がなくなるんだ。やめると離脱症状、だからといって飲み続けると効果がなくなるという。進むも地獄、戻るも地獄、断薬しようとして自殺した人もいるんだぞ。どうすんだ精神科医! 精神科医は、現代日本ではうつ病患者がドンドン増えていくと言うが、自分たち精神科医の力不足とは考えないのかね」
「先輩、やけにくわしいですね」
しまった、という顔をする田中先輩。
が、もうゾンビになったからいいやという感じで、
「俺も精神薬飲んでるぞ、うつ病なんでな」
「え、そうなんですか。俺と一緒じゃないですか」
「けど精神薬飲んでる奴なんてざらにいるけどね。精神科医が後先考えずにバカスカ薬をだすからな。だいたい十年もせっせと飲んでいるのに全然治らないじゃねーか。診療は月一回でそれも三分で終わっちゃうし。あとはドサっと薬をだして終わり。そもそもなぜうつ病に抗うつ薬が効くのか解明されてないっていうじゃん。わかってないものをドサドサ患者に渡すな、コラっ、ヤブ医者!」田中先輩はひとしきり精神科医の悪口を言った後、こう叫ぶ。
「あの精神科医も今やゾンビだ、ざまあみろ! 自分もゾンビだけどさ」
ますます俺は頭痛が強くなる。
「いや、やっぱりこれは完全にゾンビになるんではないでしょうか」
「とりあえず俺の家にいこう。精神薬はどっさりあるぞ」
東洋文化センターから出て、自動車が置いてある正門に向かって、自転車をフラフラとこいでいく。
途中にでかい陥没があり、建物が倒壊していた。
「この穴はなんだ」
「ここは確か、五十メートルくらい穴掘って、巨大な新大図書館とやらを作ったはずですよ。ニュースで見ました」
「掘り過ぎたんかね」
「さあ」俺は首を振った。
「先に進もう」
正門前にとめてあった自動車に乗り換える。
池福路にある田中先輩のマンションへ向かった。
車に乗っている間、俺はますます頭痛がして気分が悪くなる。
先輩のマンションに到着した。
「車を駐車場にとめてくるから、先に行ってくれ。ついでに他の車から燃料を移してくる。」
先輩から鍵を渡される。
懐中電灯を照らしながら階段を上って、六階の田中先輩の部屋へ行く。
途中でゾンビに会うと少しビックリするが、当然のごとくなにかされるわけではない。
頭痛を我慢しながら、やっと六階について、先輩の部屋の扉を開ける。
玄関でゾンビたちと激闘したっていうけどそんな跡はないなあと俺は思った。
廊下の奥に部屋がある。
十畳くらいあり広い。机やキャビネット、クローゼット、ベッドなどが置いてある。
全体的に高級品ばかりだ。
見栄っ張りの田中先輩らしいなと思っていると、ベッドの端に下着姿の女性が座っているのに気づいた。
「あっ、失礼しました」と思わず言ったが、
無反応。
ゾンビか? なんでこの部屋にいるのか。
近づいて顔を見る。
おおおおお、超絶美少女! テレビでよく見た超人気アイドルにそっくりだ。
いや、それとも、まさか本人か!
ちょっと腕を触ってみる。
冷たい。
生きていない。
先輩の奴、美少女ゾンビを連れ込んで、無抵抗をいいことにあんなことやこんなことやしたんじゃないだろうな。
性欲がなくなっても、うらやま……けしからん。
人としての倫理観に欠けている。
田中先輩が入ってきた。
「先輩、あの少女ゾンビはなんですか? いったい彼女になにをしたんですか? ええい、白状せい!」
俺が詰め寄ると、先輩はバツの悪い顔で言った。
「しまっとくの忘れてた。ラブドールだよ」
「は? ラブドール?」
「大騒ぎになる前に買ったんだ。特注の最高級品で九十万円もしたんだぞ」
「な~んだ、人形ですか。いわゆるダッチワイフですね」
「ダッチワイフ言うな」
俺はあらためて、ラブドールをしげしげと眺める。
う~む、これで体温があったら、人間と変わらんな。この手のグッズもずいぶん進化したもんだ。よく知らんが南極何号とは全然違う。
「へえ、まるで本当の人間みたいですねえ。先輩このアイドルのファンだったんですか」
「ファンではない、たまたまだ」
じゃあ、なんで特注なんだと思いつつ、「で、使い心地はどうでした」と聞くと、
田中先輩がにわかに苦渋の表情を見せる。
「……まだ使用してない」
「は? どうして」
「EDだよ、ED、人形相手でもEDだ」
「はい?」
「くそー! 精神薬飲むと勃起不全になるなんて聞いてないぞ、医者はちゃんと最初に告知しろ、EDだぞ、ED!」
「ああ、そういうことですか。それはご愁傷様です」
「お前もEDになったろ!」と俺に迫ってくる先輩。
「先輩落ち着いてくださいよ。精神薬の飲み始めはありましたけどね、他にも吐き気やら腹痛やら頭痛にめまいとか。けど一過性の症状でしたけどね」
「うそつけ、俺はずっとEDだぞ! どうにかしろ!」
「ち、ちょっと胸倉つかまないでくださいよ。先輩は他に原因があるんじゃないすか」
「うるさい、わかってんのか、EDだぞ、ED! この苦しみがわかるのか、コラッ! 精神科医、コラッ! 責任を取れ!」とドタバタと暴れる田中先輩。
「そんなに暴れると下の階のゾンビが怒って文句いってきますよ」暴れる先輩をなんとか抑える俺。
「だいたい医者に期待し過ぎですよ。医者の方もわけもわからず薬出してるだけじゃないですか? 医者に治せない病気なんて星の数ほどありますよ。文句言ってもしかたがない」
「けどな、うつ病とわかると会社員として終わりなんだ」と先輩は悔しそうに言った。
「昔はともかく、最近はそうでもないと思いますけどね。うつ病にたいする世間の理解も進んできたんじゃないですか」
「それでも出世コースからは外されたんだ! まだまだ精神病にたいする偏見は残っているぞ。チキショー!」
田中先輩自身が一番精神病に偏見を持っているんじゃないかと俺は思った。
「おまけに若ハゲだし、俺の人生はもうダメなんだ」肩を落として涙目になる先輩。
「若ハゲはともかく、ダメというかゾンビになったんで人生は終わってますけどね」
「それに精神薬飲んでるとロボットになったような気分になる」
「ああ、それは俺も感じますね、薬の成分が脳に作用しますから、なんだか健康なころとは違いますね。頭がぼんやりとしますよね。ロボット、いやまるでゾンビみたい」
「まさかゾンビになる前から、俺たちはゾンビだったのか!」
「いや、そういうわけではないと思いますが」
ふと気がつくと部屋の隅あるでかいクローゼットが半開きになっている。見てみると中は空っぽだ。
なんかおかしいぞと俺は思った。
普段はこのクローゼットにラブドールを収納していたのではないだろうか。そして、あの騒動の時にはラブドールを出して、先輩はクローゼットに隠れていたのではないだろうか。
俺はおもむろに先輩に尋ねる。
「ところで、ホントに玄関でゾンビと激闘したんですか? 玄関全然きれいなんですけど。そこのクローゼットに隠れてたんじゃ」
「なに言ってんだ、黒帯だぞ、黒帯」と言い訳がましい田中先輩。
俺は突然、先輩の顔面にパッとこぶしを突きつける。
思わずへっぴり腰で後ずさりして、きょどっている田中先輩。
空手黒帯の動きとはとても思えんな。
「ビビってますね」ニヤリとする俺。
「ふざけんな!」と田中先輩が飛びかかるが、俺はサッとよける。
田中先輩は机の横のキャビネットにぶつかってひっくり返す。
中に入ってた精神薬やら書類がちらばった。
するとそこには見覚えのある治験の案内がある。
「こ、これは」俺は目を疑った。
「あやまれ、この野郎」と再び襲いかかる先輩の顔面を片手でおさえる。
「ちょ、ちょっと待ってください、大変ですよ、先輩」
「なんだ、どうした」
「治験ですよ!治験」
治験関係の書類を手に持ってバタバタさせる俺。
「なに興奮してるんだよ」
「これが共通点ですよ、新型抗うつ薬の治験。まだ第一相、第一段階で受けた人数も少ないし」
「お前も申し込んだのか」
「そうなんですよ、これが先輩との共通点ですよ!」
「ふむ、けどさあ、画期的な新型抗うつ薬ってことなんだが、要するに精神薬なんだけど」気乗りしないような先輩。
「いや、この新薬のおかげで俺と先輩は完全なゾンビにならないんですよ」
「そうかねえ……」鼻くそほじりながら、いまいち乗りの悪い先輩。
「いや、これは調べないと。って、頭が痛い。とりあえず新薬を飲みたいんですが、ありませんか」
「全部、飲んじゃったよ」
「ええ、毎日一錠じゃなかったでしたっけ」
「EDが治るかと思って、多めに飲んでたら無くなったんだ。ED治らなかったけどな」
「困ったな、俺の家に戻れば少し残ってますけど」
先輩は腕を組みつつ、
「この池福路にこの新薬作った製薬会社が入ってるビルがあるけど」
「本当ですか! そこに、行ってみましょう、頭痛いけど」
気乗りなさそうな先輩を引っ張って、自動車ですぐ近くの池福路西口にあるビルに行く。
ビルにはいると、受付嬢ゾンビが座ってる。
一応、来訪者一覧に記帳した。
「お前、律儀だなあ」と先輩はアホかという顔をする。
懐中電灯を持ち、階段を上がっていく。
場所は十階だ。体もつらいが、頭も痛い。
すると先輩が、九階あたりで背中をかきながら、ゼイゼイと苦しみ始めた。
「うーん、なんか背中がかゆい、頭も痛くなってきたぞ」
「だ、大丈夫ですか、先輩」
「これは、もしかして俺は完全にゾンビになってしまうかもしれん」
先輩は階段の壁に手をついて、なんとか立っている状態だ。
「しっかりしてくださいよ、後、一階上がれば製薬会社のフロアに到着ですよ」
「いや、体の力が……抜けてきた……」
よろける先輩。
「佐藤、どうも俺はもうダメらしい……」苦しそうな先輩。
「まさか、先輩しっかりしてくださいよ」動揺する俺。
「……体が動かなくなってきた。それに、この頭痛は耐えきれん……」
階段に倒れこむ先輩。
俺は先輩の巨体を支えきれず、先輩は階段の途中にうつぶせになった。
「ロメロ監督作品に……ゾンビが『人の脳を食べることで頭痛がやわらぐ』とセリフを、い、言うのがあったな……」うつぶせで苦しそうにしゃべる先輩。
「それはロメロ監督作品じゃなくて、もっと安っぽいゾンビ映画ですよ」
「とにかく……そのゾンビの気持ちが……今、わかったぞ」
「ど、どういうことですか?」
「人の肉が喰いたくなった……」
「ええ!」ビビる俺。
「いますぐ喰いたい、特に人間の脳みそだ……」
「ヒエ!」ますますビビる俺。
「安心しろ……ゾンビはゾンビを襲わない……完全なゾンビになっても……お前を襲うことはない」
目をつぶってというか、いつもつぶっているような目だが、喋る先輩の声は弱々しくなってきた。
「……俺はもうダメだ……俺のことはもういい、放っておけ、先に行け……行くんだ佐藤、俺の屍を越えていけ……人類を救うために……」
「そんな、気をしっかり持ってくださいよ」俺は先輩を励ます。
「あと、佐藤……月並みな頼みだが俺のパソコンのハードディスクを完全に破壊してくれ。あとラブドールも廃棄してくれ……親には見られたくない。その代わりに哲学書やロシア文学の本でもどっかから持ってきて部屋に置いといてくれ……」
「ご両親は健在なんですか」
「いやあ……ゾンビになってるだろう」
田中先輩はうつぶせのまま、けいれんをはじめた。
「しっかり、先輩」
先輩の体をさする俺。
「佐藤、俺は……もう……だめだ……」
ついに、田中先輩は動かなくなった。
「先輩……」
先輩は死んでしまったのか。いや、もうゾンビだったけど。
しばらくすると他のゾンビのように呆けた顔で、徘徊をはじめるのだろうか。
「先輩……すみません……」
仕方がない、先に行こうと、先輩の体を越えて階段を上がる。
すると、突然足を掴まれた。
階段の上に転げそうになる。
「うわ! 何ですか!」
「ゾンビはゾンビを襲わない」と田中先輩がうつむいたまましゃべる。
「そ、そうですよ」
「しかし、お前は人間ゾンビだ」
顔を上げ、ニヤリと笑う田中先輩。
「……美味しそうだな……お前の脳みそ」
田中先輩は普段は糸のような眼を見開いて、目をギラギラさせて迫ってきた。
「せ、先輩、お、落ち着いてください」
「俺は食べ物の好き嫌いは無いんでね、グヒヒヒヒ」
よだれを垂らしながら、歯をむき出して、先輩は不気味に笑いながら迫ってきた。
「ひいー!」
俺は悲鳴を上げて、階段の踊り場へ逃げる。
身長百八十センチ、体重百キロの巨漢ゾンビが圧倒的な迫力でズシン、ズシンと階段を上ってくる。
「……頭が痛い……腹が減った……」
「先輩、深呼吸、深呼吸」
「体が……かゆい……うまい脳みそ……喰いたい」
自称空手黒帯はともかく、この体格差はいかんともしがたい。
「ち、ちょっと田中先輩、ほんと正気を取り戻してくださいよ」
「かゆ……うま……」
もう、ろくにしゃべれないようだ。
どうする。
逃げても、すぐに捕まるだろう。
オスプレイを襲ったゾンビの足の速さを俺は思い出した。
絶体絶命だ。
しかたがない。
脳の破壊を狙って、脳天に一か八か空手チョップをくわえるしかない。
空手習ったことないけど。
「先輩、覚悟! キエー!」
変な奇声を上げて、先輩の頭に手刀を叩きこもうとした。
しかし、あっさりと先輩の手でとめられる。
「やばい、喰われたくない、助けてくれー!」俺は泣き声を上げる。
すると、田中先輩はよだれをぬぐって立ち上がり、スタスタと階段を上る。
「へ?」
「冗談だよ、ガハハ」こちらに振り向き笑う先輩。
「こんな状況でふざけないでくださいよー!」
「へへん、ビビッてやんの」先輩は嬉しそうだ。
「つーか俺、ますます頭が痛いんですが」
「そうか、早く行こうぜ」
十階の製薬会社があるフロアに着いた。
ますます頭痛がする。これは間に合わないのか。
会社の事務室に行くとダンボール箱が積んであった。
俺がダンボール箱をこじ開けると中に新型抗うつ薬がパッキングされている。
「ひえ、もう商品化されてるじゃないですか。治験の意味ないですよ」
「世の中そんなもんじゃねーか。海外じゃ治験のデータの改ざんが発覚したりとかしてるぞ」
「そんなもんでいいですかね」
「まあ、とりあえず飲んでみろよ」
「けど、自分で提案していて何ですが、抗うつ薬は二週間はまたないと効果が出ないんで大丈夫ですかね」
「これは新型で即効性なんだよ、お前、治験の説明会に出てないのかよ」
「説明会は出たけど、最初から最後まで寝てましたよ。だから先輩がいるのにも気づかなかったんです。バイト料がほしくて受けただけなんで」
「寝るなよ、いいかげんな奴だな」
俺は早速、薬を飲んで見た。
十分もすると、
「おおおおお、頭痛も消えた。気分もいいですよ」
「俺も飲んでみよう」先輩も新薬を飲む。
「おおおおお、さっぱりした。生まれて初めて抗うつ薬の効果、画期的な新薬だ」喜ぶ先輩。
「これで、EDも治れば完璧なんだが」
「もうゾンビなんだからEDは関係ないでしょう」
「しかし、人間の時に治験でこの新薬飲んでもなにも感じなかったんだけど」
「ゾンビになると効果が上がるんですかねえ」
この薬はゾンビになるのを遅らせるのか、それとも先輩の言う離脱症状だったのか。
なにか確かめる方法はないだろうか。
突然、俺は思いだした。
「そうだ、山田さんだ、山田さん」
「なんだよいきなり、山田さんって。『となりの山田さん』のことか」
「そんなアニメのことじゃないですよ。近所の山田さんは人間の意識が残ってたんです。山田さんのとこへ行きましょう」
事務室に置いてあった新薬入りのダンボール箱を持てるだけ持って行く。
「先輩、急いでくださいよ」
「なんで、そう急がせるんだ」
「あの騒動以来、山田さんは薬を飲んでいないと思うんですよ。そうだとすると山田さんは今、完全なゾンビになりつつある。この薬が完全ゾンビになるのを遅らせることができるなら、早く飲んでもらわないと」
自動車に乗り込み、ゾンビをよけながら、スピードを出して、山田さん宅に到着。
もう真夜中だ。
「コンバンハー! この間、お伺いした佐藤です。夜分遅くに失礼します。ちょっと急用があるんですが」
インターフォンからは応答がない。
仕方がなく、無理矢理玄関の扉をあけて、中に入る。
昨日、あげた犬は元気で尻尾ふって寄ってきた。
懐中電灯で山田さんを探すと仏壇の前で座っていた。
「山田さん、山田さん」声をかけるが、反応無し。
呆けた顔で、ただ仏壇の前で手を合わしている。
「完全にゾンビになってるな」と田中先輩。
「まだ間に合うかもしれませんよ」と俺は薬を出す。
「すんません、山田さん、失礼して」と俺は、無理矢理、山田さんの口に新薬を入れて様子を見る。
山田さんは、呆けた顔でゾンビ状態のままだった。
「手遅れのようだな」
「……そのようですね」
「本当にこの薬はゾンビに効果あるのか?」と疑わしそうな顔をする先輩。
俺は再び、山田さんを仏壇の前に丁寧に座らせる。
山田さんはまた手を合わせてじっとしている。
「山田さん、すみませんがタンスを調べさせてもらいますよ」と俺は山田さんに声をかけて、タンスの中を調べてみる。
「あった! 新型抗うつ薬の治験の書類ですよ」興奮する俺。
「偶然じゃねーの」気のない返事をする先輩。
「いや、やっぱりこの新型抗うつ薬が人間ゾンビの原因ですよ。俺、先輩、山田さんの三人は事前に治験でこの薬を飲んでいたから、感染しても完全なゾンビにならなくてすんだんですよ」と息巻く俺。
「なあ、佐藤」
ちゃぶ台に座りながら、おもむろに田中先輩が語りかける。
「ちょっと無理があるんじゃね。医学のことは全然わかんねーけど、ゾンビ映画とかでウィルスが原因の場合、危機的な状況の中、主人公がワクチン開発に成功。人類は助かった、アメリカ万歳! USA! USA! ハッピーエンド! ってのが多いけどなあ」
「俺はどっちかというとゾンビ映画はバッドエンドのほうが好きですけどね」
「お前の映画の好みはどうでもいい。抗体とかワクチンやらと精神薬ってぜんぜん関係ないじゃん」
「けど抗うつ薬って脳に影響をあたえるじゃないですか。脳内物質のセロトニンを増やすとかなんとか」
「そのセロトニン説ってのもあやしいって話だが」
「そうなんすか?」
「どっちにしろゾンビになるのは防げなかったな、俺たち騒ぎの前に、治験でこの新型抗うつ薬をすでに飲んでたんだから」
「しかし、体はゾンビだけど脳は人間ですよ」
「まあ、どっちにしろ完全ゾンビになるのを遅らせるだけだと思うな」
「そうだけど、なんかのヒントになるんでは」あれ、前に聞いたセリフだな。そう思いつつ先輩に提案する。
「これを米軍に知らせましょう!」
すると、先輩は目をつぶってすこし間をおいたあと、突然、立ち上がった。
ふすまを開け腕を組みながら縁側に立ち、月を見上げながら話し始める。
犬も月を見上げている。
「佐藤、真面目な話がある」
「なんすか?」
「空手黒帯と言ったな、あれはウソだ。格闘技なぞやったことはない。スポーツは野球が好きだ」
「そう思っていましたよ、そんなこと今さらどうでもいいですよ」
「いいか、真剣に聞いてくれ」
「な、なんですか」
先輩はさっと俺の方に振り向き、細い目を見開き、
「いいか、佐藤!」と気合の入った感じで言った。
「は、はい」
「俺たちは……」先輩は下を向き少し間をおく。
「……な、何ですか」
先輩は再び顔をあげて言った。
「ダメ人間だ!」
「え?」
「というかダメゾンビだが、それはおいといて、とにかく俺たちはダメ人間だ!」
「はあ……」
「ダメな奴は何をやってもダメなんだ」
「は?」
「そしてな、ダメな奴が勘違いして頑張っても、ますます悪い方向にいくだけなんだ。これを『ダメをこじらせる』と言うんだ」
「そんな身もふたもないこと誰が言ってるんですか?」
「誰かは知らんが、某巨大掲示板で見た」
「ま~た、その掲示板ですか、あんな偽情報と悪意と偏見とあおりの固まりみたいなとこ。先輩そこしか見てないんじゃないですか」
「とにかく、ダメをこじらせちゃいかんのだ。押し入れやクローゼットに震えて隠れてたやつは主役になろうとしちゃいかんのじゃ、俺たちその他大勢のキャラが世界を救うってのもおかしいしな。世界を救うヒーローなんかにはなれないんだよ」と力説する先輩。
「先輩だって、ゾンビウィルスの発生原因を調べようとしていたじゃないですか」
「あれはヒマつぶしだよ」
「それに、別にヒーローになるつもりはなくて、主役の人たちにほんの少しお手伝いしようかなあ~と思ってるだけですけど」
「ホントかよ、それにしてはやけに張り切ってるじゃないか。お前、英雄になりたいんだろう」
「いや、そういうわけじゃ……」先輩の言葉に戸惑う俺。
俺は英雄になって世の中の役に立ちたいのだろうか?
それとも、自分のさえない人生を大逆転したいのだろうか?
人生といってもすでにゾンビになっているのだが。
山田さんの家を出る。
結局、今日はもう俺のアパートで休憩することにした。
犬も連れていくことにする。
犬を部屋の中に入れると、猫が「シャー!」と威嚇するが、犬のほうは気にしてないようだ。
「さえない部屋だなあ」安アパートの部屋を見まわして先輩が言った。
「大きなお世話っすよ」と言いながら、猫と犬にエサをやる。
たらふく食ったら、二匹とも眠り始めた。
部屋で寝転びながら、先輩と会話する。
「なあ、佐藤よ」と先輩が話かける。
「なんすか」
「どっか田舎の山奥とかに行って暮らそうぜ。お前の説だと、あの薬飲んでれば当分完全なゾンビにはならないんだろ。こんなゾンビが大量に徘徊している都市よりも気分がいいぜ。どっかの温泉街とか行ってみよう。そこで、温泉に入ったり、将棋でも毎日やりながら、のほほんと生きていこうじゃないか、いや死んでいこうか、いやもう死んでるのか」
「うーん、やっぱり米軍とかに報告はするべきですよ、このゾンビになったけど意識がある状態については」
「なんか、米軍に人体実験されそうだな」
「それはいやですね」
「山奥でのほほん温泉プランのほうがいいような気がするんだがなあ……」
「この薬の存在ぐらいは米軍に知らせたほうがいいんじゃないです? なぜかよくわからないが俺たちは人間ゾンビになったわけだし、人間ゾンビになっても、なにか目標があったほうがいいと思うんですよ」
「ゾンビとして生きる意味を探すわけかあ、けどなあ、人間として生きてた時も、なんで生きるのかって、生きる意味を考えたことあるけどなあ、仕事忙しくて、すぐ忘れたけど」
「ゾンビとして生きる意味を考えましょうよ」
「なんかそんな面倒くさいことしなくても、ゾンビでも生きてる、というか意識があることにラッキー! と思って、のほほんとして過ごすほうがいいんじゃね。人間だった時ものほほんと過ごせばよかったと今は思うぞ。そうすればEDにならずにすんだ」
「もうEDの話題はいいんじゃないですかね」
「とにかく、気楽に過ごしていくほうがいいと思うけどな。俺は英雄になるつもりはないぞ。アイアムノットアヒーローだ」
「いや、この人間ゾンビになったのはある意味チャンスですよ」
「なんだよ、やっぱり英雄になりたいのかよ」とじろりと俺をにらむ先輩。
「あははは、それに将棋なんて嫌いですよ」
「あれ、お前、高校の時、将棋倶楽部だったろ」
「一番楽そうだったからですよ」
「いいかげんな奴だな」
「猫のようにいいかげんに暮らすのが俺の理想の生活なんですよ」と部屋に置いてある座布団の上で寝ている猫を見ながら言う。
猫は目覚めて「お前のようにいいかげんに生きてきたわけではない」という顔をした。