序章 四月一日から三日:パニックと押し入れ
ある朝起きると佐藤譲二は一体のゾンビになっていた。
二〇××年四月一日。
突然、東京都文教区に疫病が発生した。
原因はよくわからないが、未知のウィルスのせいらしい。
その疫病に感染した人間たちは、他の人間を襲いはじめた。
まるでホラー映画に出てくるゾンビのように。
感染力は異常に強く、またたく間に大勢の人々がゾンビに変貌していった。
テレビのニュースでは、この疫病は感染者に噛まれたり引っかかれたりして、ウィルスが体内に入ることで発症すると、アナウンサーが顔を引きつらせながら報じていた。
日本中が大混乱になった。
俺がニュースを見ながら唖然としていると、あっという間にウィルスが蔓延し、日本中がゾンビに占拠された。
その後、このゾンビウィルスは日本を起源として、驚くべき速さで世界中に拡がっていったようだ。
その感染の速さから、噛まれることなどだけが発症する原因とは考えにくい、飛沫感染あるいは空気感染の可能性も考えられると、テレビでウィルス感染に詳しい学者が絶望的な表情で解説していた。
飛沫感染とは、感染者の咳やくしゃみなどでウィルスが他人の体に入ることで感染、空気感染とは、空気中に飛び散っているウィルスが他人の体に入ることで感染、飛沫感染より空気感染の方がウィルスが長時間空気中に漂うそうだ。
勉強になった。
ゾンビたちはご多分にもれず人々を襲い、喰いちらかした。
ただちに警察や自衛隊なども出動したが、一般人と同様に警察官や自衛隊員たちはウィルスに感染、ゾンビに変身し、仲間を襲い始め、壊滅状態。
人々はゾンビたちを見てパニック状態となり、外国逃亡、略奪、暴動が日本中で起こり、また、感染者と間違えて、まだゾンビになっていない人々同士が殺しあったり、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開していった。
そして、ほとんどの人々は、次々とゾンビに変身、親兄弟だろうが、友人だろうが、他人だろうが、見境なく人間を襲うようになった。
俺は築五十年の安アパートの一階部屋で、押し入れに隠れていた。
唯一の武器である金属バットを持って、恐怖で震えているしかなかった。
いつ、ゾンビがアパートに乱入してくるかわからない。
外からは、逃げまどう人々の悲鳴や怒号、ゾンビの唸り声、銃声、なにかの爆発音が聞こえてくる。
ゾンビが出てくる映画はたくさん見たが、現実に起きるとは思いもしなかった。
もっと、いざというときに備えて、武器や食料を準備しておけばよかった。
ゾンビに喰われたり、ゾンビに変身するのはいやだ。
いったい外で何が起きているのかよくわからない。
部屋の扉を叩く音がする。
「ゾンビか!」俺は金属バットを握りしめた。
扉を叩く音がドンドン強くなる。
大きな音がして、扉がぶち破られたようだ。
「来た!」
ゾンビが入ってきたのか。
俺は恐怖に震えながら、押し入れの中で耳を澄ます。
唸り声が聞こえてくる。
「ゾンビが入ってきた、やばい!」ゾンビにこちらから襲いかかるか、どうする。
唸り声が近づいてくる。
俺は金属バットを強く握りしめる。
やるか、やられるか。
押し入れのふすまをほんの少しだけ開けて、その隙間から部屋を見る。
ゾンビがいる! 服はボロボロで、唸り声をあげ、口を大きく開けて、歯をむき出しにしている。
獲物を探しているようだ。
部屋の中をウロウロしている。
こちらを見た。
俺は隙間から目線をはずす。
ゾンビが近づいてきた。
ふすまを隔てて、すぐ間近にいる。
ゾンビがふすまを叩く。
無理矢理ふすまをぶち破る気か!
どうすればいい。
俺は恐怖で震えるばかりだ。
ゾンビがふすまを引っ搔く音がする。
音がだんだん大きくなる。
唸り声が大きくなる。
ふすまを引っ搔く音がますます大きくなる。
俺は恐怖で気を失いそうになった。
もう限界だ。
その直前、なぜか、すっと、ゾンビは引き返していった。
俺は、ヘナヘナと押し入れの中で脱力した。
その後、奇跡的にもゾンビに襲われることはなかったが、三日三晩寝ずにいたら、ついに疲れて寝てしまった。