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第六話 彼の誕生日

 ヘレーネの朝は学園の鐘の音で始まる。毎日六時に鳴らされるこの鐘はヘレーネだけではなく、この学園に在籍するほぼ全ての生徒にとっても目覚まし代わりだ。

 まだ眠気の残る体を大きく伸ばしたヘレーネは、ベッドから出ると寮室に備え付けられている洗面台に向かい顔を洗う。それから髪を梳かし、クローゼットから取り出した制服に袖を通して、髪を結べば身支度は完成だ。

 しかし、ヘレーネの朝はこれで終わりではない。

 まだ鐘の音からそう時間が経っていないため、人が殆ど無い廊下を早歩きで進んでいく。

 目指すは食堂。目的は食事の確保だ。

 この学園の食堂はとても広いが、ほぼ全ての学生が利用するのでいつも混み合っている。だから、人が多いところは苦手なヘレーネはなるべく利用者の少ない時間帯を狙っているのだ。

 ついてみると案の定、人は少ない。朝練のある学生や教師の為に鐘の音と共に開いているというのだから、本当に頭がさがる思いである。

「あの、すいません。A定食とハムエッグサンドをください」

「はいよ」

 恰幅のいい女性に注文を言うと人が少ないだけあってすぐに出てきた。これがヘレーネの今日の朝食と昼食だ。

 ヘレーネはお礼を言うと、隅のほうの席に座って食事をとる。人が徐々に集まってくる頃に食べ終わると、片付けて寮室に戻る。途中で人とすれ違っても挨拶するどころか、目を合わせないように俯いていく。

 そして部屋に戻ってようやく一息つくことができたヘレーネは、忘れ物がないか確認して買ってきたハムエッグサンドを入れるために鞄を開いた。


 早いもので、この学園に入学してからもうすでに二ヶ月がたとうとしている。

 授業を受けた後は図書館で本を読む日々が続いていて、相変わらず友達なんて一人もいないが、特に寂しくはない。周囲から浮いているものの、実害がないだけマシだと思ってる。あとはこのまま来年まで何事も無く過ぎるのを待つだけだ。

 ラインハルトに関しては、あのお礼をしそこねた日以来接触していない。学園で、たまに図書室に来て本を読んでいる彼を遠目で見ることはあっても、近づくことはできなかった。

 確かに彼が好む本の傾向については多少推測することができるようになっている。けれど、それ以前にどんなきっかけで話しかければいいのかヘレーネにはわからないのだ。

 彼が好きそうな本を見つけ出し、「これ、きっと気に入ると思います」といって渡そうかと考えたが、明らかに変だし、彼の趣味ではない可能性もある。逆に、その本が彼好みだったとしても、それはそれで気持ち悪い。

 あれこれ考えているうちに、もういっそこのままでいいのではとすら思えてくる始末だ。

 下手になにかしでかしてますます心象を悪くするくらいなら何もしないほうが良いような気もするし、それに最近になって思いだしたことなのだが、ゲームではラインハルトからヒロインに接触を図っていた。

 つまり、ヘレーネが何もしなくとも、二人は出会う運命なのだ。だったらあとはヒロインが他の攻略対象と仲良くならないように邪魔すればいいだけなのではないだろうか。こちらには自信がある。人の足を引っ張ったり邪魔するなんてことは前世からの得意分野だ。

 勿論ここには現実逃避からくる楽観視が多大に含まれているが、あながち的外れとも言い切れない。

 少なくとも、きっと自分に対する好感度が低いであろうラインハルトと和やかに会話するなんてことに比べれば随分と現実味と確実性がある。

 しかしだからといって本当にこのままでいいのかという不安も消えない。

 そういうわけで、ヘレーネは本を読みながら大好きなあの人を遠くから見つめるだけの日々を送っていた。


(ラインハルト様、今日も格好いい……)

 今日も廊下を歩いている彼の姿を物陰からじっと見つめた。傍から見ればストーカーである。

 だがストーカーというものは自分がストーカーだという自覚がないもので、ヘレーネも自分がストーカーだなんてことは全く思っていなかった。

 胸ときめかせながら見つめていると、一人の女子生徒がラインハルトに近づく。

 何度かラインハルトと一緒にいるのを目撃している生徒で、恐らく彼のクラスメイトなのだろう。なんとなく気の強そうな印象を受ける。

「ラインハルト、来週のパーティーのことなのですけど」

「ん?ああ、あれか。別に適当でいいぞ」

「あらいけませんわ。絶対に素敵なパーティーにしてみせますわ」

(来週? パーティー?)

 一体何のことだろうとヘレーネは頭をひねる。

「だって、せっかくのあなたの誕生日パーティーなんですもの。盛り上げなくてどうするのです」

(えっ……)

 聞こえてきた言葉にヘレーネは驚く。

(誕生日、え、ラインハルト様の誕生日……!?)

 ゲームには攻略対象やヒロインに誕生日の設定はなかったが、本来ならあって当たり前のものだ。

 何か話す二人から離れ、ヘレーネは足早に歩いていく。

(これは、これはきっとチャンスだわ)

 誕生日プレゼントという名目なら本を渡しても不自然ではない。そこで彼の喜ぶ物を渡せば心象も少しはよくなるはず。

 ただ、そういった打算とは別に、ヘレーネ自身がラインハルトにプレゼントを渡したかった。少しでもいいから近づきたい。話がしたい。できれば、笑いかけて欲しい。

 恋する乙女らしい欲望がそこにはあった。

(……少しでもいいものを見つけなきゃ)

 この機会をものにするべく、ヘレーネは早速学園の外に出ることにした。


 学園の外は王都なだけあり、様々な人が行き交っていて非常に賑やかだ。

 入学してから一歩も学園の外に出ていないヘレーネにはどこに何があるのかさっぱりなので、とりあえず大通りを歩いてみると、古書店も含め、いくつも本屋を見つけることが出来た。

 そのうちの一つに足を踏み入れてみる。店員の「いらっしゃいませ」の声に小さく会釈して奥に進むと本棚の影から出てきた人物とぶつかりそうになった。

「あ、ごめんね」

「こ、こちらこそ」

 出てきたのはヘレーネよりも少し背丈の高い少年だった。茶髪と緑の瞳、中性的な顔立ちに見覚えがあり、遠ざかる背中を見送りながら誰だったかと記憶を巡ると、一人の攻略対象に思い至る。

(……もしかして、ニコラス・ルイス?)

 年下だが魔術の才能があり、飛び級して主人公と同級生になった天才だ。

(こんなところで会うとは思わなかったわ……もしかしたら他の二人にも会うことがあるかもしれない)

 そんなことを考えながら本棚に目を移す。

 ラインハルトが好みそうな本を数冊ななめ読みした後、他の書店でも同様の行為を行い、本を吟味していく。

 これを一日ではなく、二日目三日目と続けた。店としてはいい迷惑なのはわかっているが、今回だけなので大目に見て欲しい。店員からの視線に肩身の狭い思いをしながらも、熟考に熟考を重ね、ヘレーネが購入したのは二冊の本。ラインハルトの誕生日、前日であった。

 一冊は発売されたばかりのサスペンスホラー。天涯孤独の孤児がとある家の養子になり、温かい家族を得たのはいいが、何故か命を狙われるようになるという話。もう一つは古書店で見つけた本。婚約者と親友に冤罪を着せられた男がその後、別人になりすまし二人に復讐をする話だ。

 二冊ともハッピーエンドとはいえず、特に後者のほうは悲しい終わりだが、僅かながらに希望もあってヘレーネはそこが気に入っている。

 それから、ヘレーネが普段使っている物よりずっと上質な紙が使われているノートを三冊。これらをまとめて包装紙でラッピングし、メッセージカードを添えれば完成である。

 貴族の当主に贈るにしてはみすぼらしいが、ヘレーネにはこれで精一杯なのだ。

 両親から渡された額は微々たるもので、もしなくなってしまえば収入のないヘレーネには両親に頼み込んで出してもらうしかない。頭を必死に下げて頼み込めば出してくれるかもしれないが、正直あの人達には会いたくない。

(……ラインハルト様、喜んでくれるかしら)

 そうであるなら、嬉しい。

 寝支度をしてベッドに入り込み、やがてやってきた眠気に身を任せてヘレーネは目を閉じだ。




(『お誕生日おめでとうございます。つまらないものですがどうぞ』で、いいかな?……いや、なんか緊張で噛んじゃいそうだから、簡潔に『おめでとうございます』だけでも……いや、これだと素っ気ないかも……)

 翌日の放課後、そんなことをうだうだ悩みながらヘレーネはラインハルトを探した。

 誕生日パーティーに参加することはできない。だから、なんとかその前に渡そうと思ったのだ。

 だが他者との交流をほとんど持たない彼女は気づかなかった。彼がこの学園ではどういう存在かということを。


「ラインハルト様、これよかったら受け取ってください」


 そう言ってラインハルトに可愛らしい包装紙で包まれた箱を差し出しているのはヘレーネには見覚えのない女子生徒たちだった。

「ああ、ありがとう」

 ラインハルトがにこやかにそれを受け取ると彼女たちは黄色い声をあげながら去っていく。一方、ラインハルトの方は慣れた様子で足下に置いてある紙袋にそれをしまった。紙袋は他に二つあり、どれもプレゼントでいっぱいだ。

(そっか……そうよね。ラインハルト様が人気無いわけないわよね)

 一瞬あ然としながらもヘレーネは納得した。

 そもそも彼を高嶺の花と評したのはヘレーネ自身だ。

 容姿端麗で文武両道、身分も高くて将来有望。その上、人当たりも良く社交性もある。そんな人が、周囲から好かれないわけがない。

(……どうしよう、渡せるかしら?)

 誕生日を彼に近づくチャンスだと思ったのはヘレーネだけではないようで、ラインハルトの周囲には多くの人間がいた。

 ヘレーネには入り込む余地が無いように見える。

(でも……でも、せっかく用意したのだからっ……)

 怖気づきそうになるのをなんとか耐え、少しでも人がいなくならないか様子を伺う。が、人は減るどころかどんどん増える一方だ。

 もういっそあの中に特攻してしまおうか、いやでも、自分が行ったところで確実に浮いてしまうし、変な注目を浴びるのは嫌だ。一体どうすればと頭を悩ませていると、この間ラインハルトとパーティーの話をしていた女子生徒が彼に近づいていった。

「ラインハルト、そろそろ参りましょう」

「ん、ああそうだな。皆、今日は俺の為に沢山のプレゼントをありがとう。全部大切にするからな」

 そう言って別れを告げるとラインハルトは紙袋を持って、女子生徒と一緒に歩いて行く。

 周りもそれを見送るが、慌てたのはヘレーネだ。だってまだ、プレゼントを渡していないのだから。

(ど、どうしよう……いや、どうしようじゃない。早く言わなきゃ、ラインハルト様が行っちゃう。言わなきゃ。言って。ほら、早く。言え。言え、言え!!)

「ラインハルト様っ!」

 パーティー会場らしいホールの扉に手をかけるラインハルトが振り向く。

「君は……」

「あの、お、お誕生日おめでとうございます! これ、よかったら」

 差し出したプレゼントをラインハルトが受けるのを確認すると相手の反応を見るより前に「失礼します」と頭を下げて逃げるように去る。

(や、やった! 渡せた! 渡せたわ!)

 ヘレーネは内心小躍りしてしまうほど舞い上がった。有頂天とも言える。

 プレゼントを渡した。たったそれだけのことなのに、ヘレーネには偉業を成し遂げたような気になっていたのだ。

 ほとんど会話なんてできなかった。喜んでくれたかどうかもわからない。それでも……。

(だって、だってちょっと前の私だったら無理だったもの! あんな風に声を張り上げるなんて! いざっていう時はいつだって二の足を踏んでいたのに!)

 他の者から見れば鼻で笑ってしまうようなことだが、ヘレーネには大変なことだった。

(そうだ、今日のことはノートに書こう)

 それでこの先、何か辛いことや自分が嫌になったことがあれば読み返して、自分を慰めていこう。

 ヘレーネは自分が周囲より劣った人間だとわかっている。だから、少しでも褒められるところができたら、自分を思いっきり褒めたかった。認めたかった。

 だってきっと、自分以外は誰もそんなことしてくれないだろうから。



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