第五話 本探し
翌日の放課後、早速ヘレーネはラインハルトが読んだ本を探しだした。
ラインハルトが興味を持つであろう分野から何冊か抜き取ってその中にある貸出カードを確認するという非常に地道な作業である。しかも、他二つの図書室より数が少ないとはいえ、ここの蔵書数もかなり多い。どう見ても二、三日では終わりそうにないが、ヘレーネは特に苦痛を感じなかった。
前世からこういう地味な作業は好きだったし、暇はたっぷりあるので焦らず気長にやるつもりだったのだ。
しかし今日のヘレーネは運が良いようで、探して間もなくのうちにさっそく一冊見つけることが出来た。どうやらラインハルトは意外と律儀な性格らしい。
本の内容は領地の運営に関するもので、すでに領主として土地を治めているラインハルトらしい書物であった。
表紙をめくり、軽く中身を見てみる。
(『領地の発展とそれに伴う街の整備』、『人口が急増加した場合に起こりえる問題』か……)
ヘレーネにはこういった知識はほぼない。ボルジアン家の書物庫にはそういった本がほとんどなかったのだ。
領地の運営は領主自身がやらずとも、人を雇って任せることもできる。ボルジアン家はまさにそれだった。といってもボルジアン家に雇われている者も他の使用人同様、最低限の働きしかしない人間なので、ボルジアンの領地はゆっくりと衰退している状態だ。
両親もそのことに文句をつけない。自分たちが楽しく遊べるお金さえあれば、領地のことなどどうでもいいのだろう。
(でも、こういう勉強をしておけば、ラインハルト様との話の種になるかも)
曲がりなりにもヘレーネだって貴族の人間である。こういった話題を出しても不自然ではない。
とはいえ、手にある本はなかなか難しく、何の知識も持たない今のヘレーネには読めそうになかった。もっと初心者向けの本から読むべきか、それともここは一旦この本のことはおいて、他にラインハルトが借りた本を探したほうがいいか、悩みどころである。
考えた結果、一から勉強するには時間が掛かるし、本当にこのジャンルだけで話ができるかもわからないので他の本を探すことにした。
しかし、この本を見つけただけで本日のヘレーネの運は尽きてしまったのか、どの本の貸出カードにもラインハルトの名前は見つからない。
やがて時間は過ぎ、この日は寮に帰ることにした。
そんな風に本を探して、一日、二日と過ぎ、気づけば十日もたっていた。
来る日も来る日も図書室に通いつめ、貸出カードを確認しながらも途中でつい興味をそそられる本を読みふけった結果、ラインハルトが借りたと思わしき本をいくつも発見することができた。
それでわかったことだが、 ラインハルトはこの図書室の中でも特に傷みの酷いものを選んでいる。ここにある傷んでいる本は、つまりそれだけ多くの人から読まれているということであり、それだけ人を惹きつける内容だということだ。途中でこのことに気づいてからは探すスピードがかなり早くなって助かった。
ヘレーネは適当な席に座り、探しだした一冊の本を手に取る。
まだ図書室全てを探し回ったわけではないが、今日は本探しを休止して本を読んでみようと思ったのだ。
彼が借りた本の大半は最初に見つけたもののような難しい専門書であり、彼女には読めない。だが、幸いな事に小説もいくつかあって、手にある本もその中の一冊である。
いよいよラインハルトの読んだ本が読めるのだと思うと心が踊る。そんなはしゃぐ気持ちをなんとか抑えつつ、ヘレーネは表紙をめくった。
が、彼女は最後のページまで読み進めることができず、途中で閉じてしまう。
本の文章力は素晴らしかった。文字の羅列がどんどんと頭の中に入ってきて、目を閉じれば簡単に風景や登場人物たちの姿や声、表情が浮かび上がるようである。
だけれど、物語の内容がヘレーネには辛かった。
主人公は家族と仲良く暮らしている少年である。彼は将来、城に仕える騎士を夢見ながら当たり障りなく平凡で、けれど平和な日々を過ごしていた。だが、ある時少年の国は他国と戦争を始めたために、国境にある彼の町は他国に攻めこまれ、両親と祖父母は殺され、姉は暴漢に襲われてしまう。少年は命からがら幼い妹を連れて逃げることができたが、戦争による混乱の中では孤児になった彼らに救いの手が差し伸べられることはなく、二人は野良犬のように毎日ゴミを漁って生きていくことになった。
最初はそれでもたった一人残された家族である妹を大事にしていた少年だったが、過酷な毎日の中で徐々に何の役にも立たない妹を鬱陶しく感じるようになり、手をあげるようになってしまう。
ある時、どんなにゴミを漁っても野菜の皮一切れ見つからない日々が続き、空腹で倒れそうになっていると、ようやくパンを一つ見つけることが出来た。そのパンはカビだらけだったが、彼にとってはご馳走である。
彼がそれに手を伸ばそうとすると、もう一つ伸びる手があった。妹だ。
パンを分けてしまえば自分の取り分が少なくなってしまう。そう思った少年は妹を殴り、倒れたその体に馬乗りになって、首に手をかけ力を込めた。
そして妹の呼吸が止まってしまう場面で、ヘレーネは耐え切れなくなったのだ。
序盤、少年は友達がいじめられているのを見れば体一つで飛び出して、自分より大きな相手に挑むほど勇敢で心優しかったのに、腐ったパン一つと引き換えに妹を殺してしまったのだと思うと、胸になんとも言えない不快感が渦巻く。
とてもではないが、続きを読む気にはなれない。
しかも、集中して読みふけった為にしばらくは忘れることもできないだろう。
ヘレーネは未だ読んでいない本にちらりと目を向ける。
(もしかして、みんな同じような内容なのかしら……)
そう思うとなかなか手が動かない。だからといってこのまま読まずに戻るということもできず、恐る恐るという様子で指を伸ばした。
それからどのくらい時間が過ぎただろうか。ふと窓の外を見ると、すでに日が沈みかけており、ヘレーネは大いに慌てた。
「え、嘘っいつの間に!?」
寮の門限までそう時間がない。
ヘレーネは急いで身支度をして本を戻していく。だが先程まで読んでいた一冊だけは棚に戻すことをためらった。
正直に言えば、このまま本を部屋まで持ち帰り続きを読みたい。まだ半分も進んでいないし、時間など気にせずゆっくり読み進めたいのだ。
だが今は本当に急いでいて貸出カードに名前を書く時間すら惜しい。だけれど本も読みたい。
そうこうしているうちに時間は過ぎていく。焦りに焦ったヘレーネは本を自分の鞄につめるとそのまま早足で寮に向かった。
その後、なんとか門限に間に合うことができ、ヘレーネはベッドに腰掛けながら安堵の息を漏らす。
(も、持ち出しちゃった……!)
自分のしでかしたことに、ヘレーネ自身も驚いている。
(だ、大丈夫かな?バレたりしないよね……?)
こんなこと他の人に知られたらただでさえ浮いているのに、周囲からますます白い目で見られるんじゃないかと内心ヒヤヒヤする。でもその反面、早く本の続きが読みたいという気持ちが湧き上がる。
それほどまでに先程まで読んでいた本は面白かった。
内容は所謂サスペンス物である。普通に暮らしていた一人の女性がある日突然何者かに誘拐され、気が付くと見知らぬ場所に監禁されていた。しかも犯人はすぐ隣の部屋にいるという絶体絶命の状況でなんとか脱出を試みるという話だ。
正体不明の犯人、どんどん追い詰められていくヒロイン、あちらこちらに散りばめられた伏線、予想もつかない展開、どれも目が離せない。
先に読んだものとは違い、暴力的な描写も少ないため、安心して読めることも理由の一つだ。
(それにしてもこういう話、初めて読んでみたけれど結構面白いな)
サスペンス物は前世でもほとんど読んだことがなかった。特に嫌っていたわけではないがあまり興味がなかったのだ。
ラインハルトが読んだ本でなければこれからも読もうとはしなかっただろう。
そのことをちょっと後悔しつつ、ラインハルトの読んだ本の中に自分でも読める本があったことが嬉しい。
ラインハルトもこの本を読んで、自分と同じように目が離せなくなったのだろうか? つい時間を忘れて没頭してしまったのだろうか? 早く結末が知りたいような、けれどもまだ終わってほしくないようなジレンマを感じたのだろうか? この胸に広がる感情を、一時でも共有できているのだろうか?
そう思うと、ラインハルトの存在がぐっと近くなったような気持ちになる。
高鳴る鼓動は、きっと走っていたせいだけではない。
ヘレーネはそっと本を開き、読書を再開させる。
結局この日、夜遅くまで彼女の部屋から明かりが消えることはなかった。