第四十四話 兄妹の語らい
翌日、ラインハルトを襲撃した男が、セーラティア教会の大切な聖遺物を持ち出した盗人であると聞いたのは守衛と共にやってきたセーラティア教会の老司祭からだ。
更にこの老司祭はマーロンの師であり弓の管理者だったらしく、被害者であるラインハルトに深々と頭を下げた。
「本当に、本当に申し訳ない……私の、不手際でこのようなことに……」
涙を浮かべ真摯に謝罪する彼を非難することはせず、ラインハルトはマーロンを引き渡す。
教会にとってとても大事な聖遺物を盗んだだけではなく領主にも手を出した彼がこの後、どうなるかは想像に難くない。
本人もそれがわかっているのか、マーロンは最後まで抵抗し、自分の罪を認めることはなかった。
「なぜ、何故私が罪人になるのだ! 私は、セーラティア様の使命を果たそうとしただけだ! 何故邪魔をする! バルタザール先生! あなたからもおっしゃってください! 私はただ信仰を、この世の安寧を守ろうとしただけなのだと!!」
守衛たちに連れられて馬車に乗り込む直前まで彼はそう言ってはばからなかった。
だが、彼が先生と呼んだ老司祭はその言葉に応えず、無言で近づくと手を大きく振り上げその頬を打ち付けたのだ。
「いい加減にせい!」
鋭い怒号はことの成り行きを見守っていたシリウスさえ怯ませる迫力があった。
男はそれまでの威勢を無くし呆然とした様子を見せるとあとは素直に馬車に乗り込み、老司祭もそれに続いた。
小さくなる馬車の中で、二人がどんな会話をしたのか、あるいは会話なんてなかったのか、ラインハルトとシリウスは知らないし、知る必要もない。
「お疲れ、あんたも休んだらどうだ?」
「いや、ヘレーネのところに行く」
とりあえず傷口が塞がった後、シリウスが連れてきた医者に診せたが、あとは彼女の気力に任せるしか無いらしく、今もまだ眠っている最中だ。
「けど、あんただって傷だらけじゃないか。少しは体を休めたほうが良いぞ」
「……どうせヘレーネのことが気になって休めない」
さっきだって本当は他の誰かに任せて自分はヘレーネの傍にずっといたかったのだから。
シリウスはそんなラインハルトに苦笑を浮かべずにはいられなかった。
「あんたって、本当にヘレーネのこと好きなんだな」
「…………そうだな」
肯定するまでに奇妙な沈黙に気づかず、シリウスはあくびをする。
「ふぁ……悪いんだけど、ちょっと寝かせてもらっていいか?」
「ああ、好きな客室を使ってくれ」
シリウスは適当な客室を探し、ラインハルトはヘレーネの元に向かった。
ヘレーネの部屋では彼女だけではなく、寄り添うようにして横になるシャインとベッド横にある椅子でうつらうつらと舟を漕いでいるエリカがいた。
ラインハルトが入室に気づいたシャインは断りを入れるように一言「にゃあ」と鳴いて部屋から出ていく。気を利かせたのだろう。
エリカもラインハルトの気配で目を覚ましたのか、体を大きく伸ばして立ち上がる。
「はふ……もう話は終わった?」
「ああ」
「じゃあ、私も少し寝るね。何かあったら起こして」
「わかった」
部屋から出て行こうとするエリカだったが、ドアノブに手をかけたままくるりと振り返った。
「その子の事、大事にしてね。兄さん」
ラインハルトはその言葉に長い沈黙の後、小さく「ああ」と返す。
「お前には、いつもいつも世話をかけっぱなしだな」
「ふふ、兄さんは昔からいろいろできたからか、なんでも一人でこなそうとして、それでいて変なところで不器用だったものね。そういうところ、変わってない」
「そうだな……そのせいでお前と殺し合うことになった」
「ええ……でもね、私は兄さんの事、今でも嫌いじゃないわ。あんなことになったのは時代のせいよ」
「どうかな。俺とお前は共に親に裏切られ捨てられたのに、お前にはそれでも人を信じ愛せる強さがあった……俺にはそれがなかった」
無意識に動く口をそのままに、今喋っているのは誰だろうかとラインハルトはぼんやりと思った。
ここにいるのは確かに「ラインハルト」と「エリカ」なのに、会話をしているのは別の誰かなのだ。
恐らくエリカも同じ状況なのだろう。
けれど、どうしてだか不快感や恐怖はない。むしろ、過去のしがらみが清算されていくようだった。
「……ねえ、その子ってなんだか、不思議ね。本当に微かだけれど、私たちに力を分け与えてくれたあの方の気配がすることがあるわ」
「ああ……」
「もしかしたら、その子はあの方が兄さんを救う為に使わされた天使かもね」
「さあな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
どっちでもいいことだ。ヘレーネが傍にいてくれるならそれだけで十分なのだから。
「それじゃあ今度こそ、さようなら、兄さん」
「ああ、達者でな」
その言葉を最後にエリカは部屋を出ていく。
きっと、もうこんなことは起きないだろう。ラインハルトではないラインハルトが、そしてエリカではないエリカが表に出ることはなく、二人が会話することもない。
それで、いいのだ。
ラインハルトはさっきまでエリカが座っていた椅子に腰かけ、ヘレーネを見つめる。
(好き……か)
先程、シリウスから言われた言葉を思い返す。
それはラインハルトにとっては思いもよらぬもので、けれど不思議なぐらいするりと胸の中に入ってきた。
(……そう、なんだろうな)
実を言うと、ラインハルトはヘレーネを閉じ込めていた際、手を出すつもりだった。そうした方が、彼女を自分の物にしやすいと思って。
けれど結局は、手を出すどころか口づけ一つしなかった……出来なかった。ヘレーネの顔を見ると、どうしても躊躇ってしまったのだ。
(それにしても、俺も大概鈍いな)
ラインハルトは自嘲的な笑みを浮かべる。
ヘレーネを失いたくなかった。ヘレーネさえそばに居てくれれば他にはなにもいらなかった。ヘレーネが自分から離れそうになればそれだけで気がおかしくなりそうで、ヘレーネが笑えばそれはどんな宝石よりも輝いてみえた。
その根底にあるのがただ単純に、彼女への好意だと気づけなかったのだから笑える話だ。
いや、本当はわかっていたのかもしれない。だが受け入れられなくて、認めたくなくて、目をそらして気づかぬふりをしていたのかもしれない。
けれど、それも終わりだ。
静かに寝息をたてる彼女の手を取り、祈るように握った。
「……ヘレーネ、お願いだから、目を覚ましてくれ」
その時、手がわずかに握り返された。