第三十九話 マーロンの暴走
カーテンを締め切った薄暗い部屋。内装は部屋の持ち主の趣味なのか中々可愛らしいのになんとなく息苦しいと感じてしまうのは長い間空気の入れ替えをしていないからだろうか。それとも眼の前にいる少女が原因だろうか。
そんなことを考えながらマーロンは努めて優しく彼女に声をかけた。
「初めまして、カトリーヌさん。私の名前はマーロンといいます。よろしくお願いしますね」
ありきたりで極普通の挨拶だったが、声をかけられた少女は大げさなほど肩を震わせてしまう。
「え、ええ、よろしく、お願いしますわ」
少女の反応に、これは時間がかかりそうだなとマーロンは憂慮した。
『学校を退学した娘がずっと閉じこもっているので様子を見てほしい。慈悲深いあなたの言葉なら娘に届くかもしれない』
クレイトン家の当主からそう頼まれてやってきたマーロンだったが、正直に言えばあまり乗り気ではなかった。
詳しいことは聞いていないが、彼女はなにか問題を起こした。
そんな人間、閉じこもっていたままのほうがましだと思うのだが、ここの住人はそう思わないらしい。
(まあ、善良なる信徒のためですから……出来る限りのことはしてみましょうか)
マーロンはカトリーヌを刺激しないように丁寧に言葉をかけていく。
日々多くの人の悩みを聞くマーロンの話術でカトリーヌも徐々に心開いていき、胸の内を話すようになっていった。
「わ、私は悪くない、私は悪くないのにみんな私が悪いっていうんです……」
「可哀想にそれはつらかったでしょうね」
口では慰めながら、マーロンは冷ややかな感情をカトリーヌに向けていた。
彼女は先ほどから自分のことばかりで、他者を省みる様子が一向に見えない。自分を心配してくれている家族のことすら頭にないようだ。
(これは駄目だな……この家の方には申し訳ないが適当に切り上げさせてもらおう)
そう思っていたマーロンだったが、カトリーヌが口にした言葉によって、その考えを放棄する。
「私は悪くない……全部あの女が悪いのよ……なのにラインハルトは……」
「……ラインハルト、ですって?」
それはマーロンにとって最も忌々しい男の名。
「カトリーヌさん! その話を詳しくお願いします!」
突然身を乗り出したマーロンにカトリーヌは怯むが、そんなことに構っていられない。
「ラインハルトとは、ラインハルト・カルヴァルスのことですか!? あいつが、あの男がどうしたのです! 早く言ってください! さあ、早く! 言え!!」
(ああ、なんということだ!)
馬にまたがり、マーロンは山道を駆け抜ける。
(まさかあの男が、そこまで力を持っていたとは……!)
カトリーヌが見たという黒いもや。あれは高濃度の魔力が視覚化したものとマーロンは考える。
そんなことができるということは、よほど才能が高いということ。
それほどの才能を自分が危惧する相手が持っているということにマーロンの背筋は冷たくなる。
自分の見通しの甘さを恥じている彼がたどり着いたのは周囲から隠されるように建っている古びた教会だ。
その扉をマーロンは力強く叩く。
「バルタザール先生! いらっしゃいますか、バルタザール先生!」
しばらくすると扉が開く。そこにいたのはマーロンが教えを受けていた老司祭の姿があった。
「久しいな、マーロン」
「そなたがここに来るのは、一年半ぶりぐらいか」
「はい。なかなか来ることができず、申し訳ありません」
「いやいや。王都には私も一時期赴任していたが、あそこは忙しい。ここに来れないのも無理はない」
二人が歩いているのは教会の地下道だ。
この教会も地下道も、セーラティア教の中でも認められた者しか知らない。さらにここにはいくつもの偽装や罠が仕掛けられている。
何故そんなものがあるのかというと、ここにはセーラティア教にとってとても重要な物が隠されているからだ。
「しかし、礼儀を重んじるそなたが前もって連絡もなくいきなり訪れるのは珍しい。何かあったかな?」
「……ええ」
やがて狭く暗い地下道から広い空間へと行き着く。そこにあるのは厳かな祭壇と一点の曇もない純白の弓。
この弓は、セーラティアがジードガルマを討った際に使用していたと言われる聖遺物だ。
真実かどうかはわからないが、信じている者は多くマーロンもその一人である。
初めてここに案内された時、感動のあまり泣いてしまったことを思い出しながら神に祈りを捧げた。
「それでは戻ろう。この前、いい茶葉を貰ってな。きっとそなたも気に入る」
そう言ってバルタザールは来た道を戻ろうとしたがマーロンはその場から動こうとしない。
「……マーロン?」
「バルタザール先生。お願いがあります」
顔をあげたマーロンの眼差しは真っ直ぐでいてとても力強い。しかし、バルタザールはそこに嫌な予感を覚える。
「あの弓を、『女神の神罰』を私に一時貸していただけないでしょうか」
「なっ!」
マーロンの言葉にバルタザールは絶句する。
この弓はセーラティア教にとって大事な物だ。個人に、少しの間だけでも貸すなんてあってはならない。
そんなこと、司祭であるマーロンもよく知っているはずなのに。
「……一体、何を言っているのだ?」
「お願いです! 私にはどうしても必要なのです」
「ば、馬鹿なことを申すな! そのようなこと、できるものか!」
「あの邪神の力を受け継ぐ者を討つ為なのです!」
「邪神、だと……?」
眉を寄せるバルタザールにマーロンは更に続ける。
「ええそうです! 私は見つけたのです、邪神の力を色濃く引き継ぐ者を! そいつは邪悪な力に溺れ、数多の人を貶し入れています」
「だからこの弓を使って殺す、と……?」
歯を食いしばったバルタザールは怒号を発した。
「この、愚か者め!! かつて我らセーラティア教が行った愚かしい所業を忘れたか! ジードガルマと同じ、闇属性である。それだけで我々は多くの罪なき人々を殺めてきた! その際に使用されたのがこの弓だ! 過ちを繰り返さぬためにこの弓は秘匿されているのだ! それを! お前は!」
『女神の神罰』
セーラティア教の創立時にはすでに教団にあったらしい聖遺物であり魔具。
弓を引けば光の矢が形成されるのだが、その矢というのが、闇属性の者に絶大な殺傷力を発揮するのだ。これにより命を奪われた者は、百人以上いるといわれている。
「ですが、あの男は本当に危険なのです! また誰かが犠牲になる前にどうにかしなければ!」
「だったら他にもっと方法があるだろう。そもそも、その者は本当に罪を犯しているのか? 闇属性そのものを忌み嫌うお前のことだ。思い過ごしの可能性が高い」
「いいえ、いいえ! そんなことはありません。あの男は紛れもなく罪人です!」
「それならばなおさら正規の手段でその者を断罪するべきだ。このようなもの、頼るべきではない」
「それでは駄目です。遅すぎるのです。手をこまねいていれば、あの男はどんな卑劣な手段を使ってくることか!」
頑なな弟子に師は失望を滲ませた眼差しを向けた。それでも諦めず、根気強く言葉をかける。
「……マーロンよ、もう一度言うぞ。馬鹿な真似はよせ。この弓は、何があっても使うべきではないのだ」
「そうですか……どうしても、駄目なのですね」
顔を俯けるマーロンにわかってくれたかと安堵したバルタザールだったが、それは間違いだった。
マーロンは一瞬の隙きをついて当身を行い、バルタザールの体は倒れ込む。
「ぐっ……!」
「お許し下さい、バルタザール先生。これも、世の平和の為なのです」
女神が使ったとされる聖なる弓に手を伸ばすマーロンをうずくまるバルタザールは見ていることしかできない。
「まー、ろん……お前は、昔から闇属性の、者には冷酷であった……成長して、変わったと思っていたが……見込み、違いだった、ようだな……」
意識を失うバルタザールにマーロンは「申し訳ありません」と謝罪する。
「ですが、すぐわかっていただけるはずです。私の行いが正しかったのだと」
地下道を抜け、教会から出れば辺りはすっかり暗くなっていた。
「見ていてください、セーラティア様。私は必ずあなたの敵を討ってみせます」
これはきっとセーラティアが自分に与えたもうた使命なのだとマーロンは確信している。
だから、例えこの命をかけることになってもあの男を倒さねばならない。
幸い、使命を果たすのにおあつらえ向きな日がもうすぐやってくる。
『神輝祭』
セーラティアがジードガルマを討ったその日、自分もまた邪悪を倒すのだ。




