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第三十八話 ラインハルトの悪夢

 あるところに貴族の愛人がいた。

 彼女は『彼』を憎んでいた。

「どうしてこんなことになったの? どうして私がこんな目に遭わなければいけないの!? ああ、神よお助けください!」

 彼女は日がな一日、自分の運命を嘆き、自分を哀れみ、涙を流していた。

 彼女は華やか生活に憧れていた。綺羅びやかな生活を夢見ていた。だから貴族の男と関係を持ち、愛人になろうとした。

 しかし、思惑は外れ、実際には自分の存在を隠すように幽閉同然で屋敷の中に閉じ込められ、外に出ることもできなくなった。

 理想とあまりにかけ離れた現実に少女のような心を持った彼女は耐えきれず、その責任を全て『彼』に押し付けた。

 そしてある日、とうとう彼女は凶行に走った。

「お前の、お前のせいで私は不幸になったんだ!! 死んで詫びろ!!」

 彼女は『彼』にナイフを突き立てようとした。彼女は死んだ。


 あるところに貴族の子供がいた。

 彼は『彼』を蔑んでいた。

「汚い下民の血を引く恥さらしめ! 死んじゃえ!」

 毎日毎日あらゆる手段を使って『彼』を苛め抜いた。

 犬の糞やネズミの死体を投げつけたり、木刀で叩いたり蹴ったりした。

 それは『彼』の母が謎の死を遂げても変わらなかった。

 ある時彼は石を『彼』に投げつけると、『彼』は頭から血を流して倒れてしまう。

「あはははは! 無様だな! お前にはお似合いだ!」

 面白がった彼は先ほどより大きな石を彼の頭にぶつけようとした。彼は死んだ。


 あるところに貴族の妻がいた。

 彼女は『彼』を嫌っていた。

「まあなんてことかしら! こんな汚い子供の世話をみなくてはいけないなんて!」

 彼女は許せなかった。憤っていた。

 夫が他の女に手を出したこともそうだが、その時に出来た子が自分の息子よりも優秀なのがより腹立たしかった。

 だから彼女の息子が『彼』をいじめているのも止めなかった。むしろそそのかしていた。

 ある日、息子の姿が見えず探していると彼女はすでに冷たくなっていた息子を見つけてしまう。

 そのすぐ近くにはあの忌々しい『彼』の姿があった。

「お前、何をしたの!? この悪魔! 人殺し!」

 彼女は『彼』の首に手をかけようとした。彼女は死んだ。


 あるところに貴族の男がいた。

 彼は『彼』を疎んじていた。

「平民の子供など、面倒なことこの上ない。さっさと死んでくれないものか」

 だが、彼は『彼』に恐怖を覚えるようになった。

 愛人、息子、妻が次々に死に、その犯人が『彼』だと思った彼は次に自分が殺されると感じたからだ。

 だから殺される前に殺してやろうとした。

 しかしそれは失敗に終わった。

「ゆ、許してくれぇ! 殺さないで!」

 彼は泣いて懇願した。彼は死んだ。


 あるところに『彼』はいた。

 『彼』は自分を憎む母を殺し、自分を蔑む異母兄を殺し、自分を嫌う継母を殺し、自分を疎んじる父を殺した。

「どうして?」

 『彼』は問う。

「どうして、俺は生まれたの?」




「……はあ……はあ……」

 冬なのに汗でびっしょりと濡れる体を起こし、ラインハルトはゆっくりと周囲を見渡す。

 そこは学園内にある自分の寮室。

 すぐ状況に気づいた。夢を見ていたのだ、自分は。

「……くそっ」

 小さく悪態をついて、寝台から出る。

 あれは、昔の夢だ。

 まだ無力な子供だった頃の夢。

 今では呼吸するようにできる魔術すら使えず虐げられるしかなかった頃の夢。

「……いや、あのおかげで使えるようになったというべきか」

 ラインハルトの口元が冷笑を浮かべる。

 殺されかけたからこそ、魔術の才能が目覚め、あの連中は死んだ。もっとも、それに気づけたのは父親の時で、それまでは突然相手が死んだとしか認識できなかったが。

 ラインハルトは彼らを殺したことを後悔していない。殺さなければ自分が死んでいた。あんな連中の死を悲しみ、自分が死ねばよかったと思えるほど彼は心優しい性格をしていない。

 しかし、今日のようにあの連中は死んだ後も時折ラインハルトの夢に現れては彼を苦しめる。

 まるで自分たちを殺したラインハルトが許せないのだと恨み言を吐くように。

「忌々しい連中だ……」

 後悔はしていない。罪悪感も覚えない。懺悔など必要ない。

 だが、こういう時はいつも、自分という存在が無駄で無為で無意味に思える。生きている価値などなく、存在していても虚しいだけのような、いっそ何もかも捨て消えてしまった方が楽になるような、そんな気持ちに苛まれるのだ。

「…………」

 以前ならそんな気持ちを無視して表面を取り繕い、落ち着くまで時間が経つのを待つだけだっただろう。だが、今は

「…………ヘレーネ」

 何故か、彼女に会いたくてたまらなかった。






 放課後、いつもの通り第三図書室で待っていると、ヘレーネがやってきた。

 彼女の姿を見て、朝から胸の内を蝕んでいた何かが大人しくなるのを感じる。

 思わず手を伸ばそうとして止めた。

 ヘレーネが沈痛な面持ちで顔を俯けていたからだ。

 理由はわかっている。非が自分にあることもだ。

「……あの、ラインハルト様」

「……なんだ?」

 顔を上げぬ少女。自分にだけあんなに向けられていた笑顔はそこにはない。

 それがとても惜しい気がした。

 またヘレーネの笑顔が見たい。

 ラインハルトの偏った思考がようやく少し解けそうになったが、

「結婚の話、なかったことにできませんか……」

 それはヘレーネのたった一言で潰される。

「あ……?」

「わ、私やっぱり、ラインハルト様と結婚はできません」

 聞き間違えかと思ったが、どうやら違ったらしい。

「……君は、自分の立場がわかっているのか?」

「はい……」

「それでも断れると?」

「……お願いします。どうか……」

「…………そうか、そこまでして俺と結婚したくないか」

 ラインハルトはヘレーネが両親が捕まった時、修道院に入ろうと思っていたと言っていたことを思い出す。そこに行くつもりだろうか。

 そんなことを考えながら体の奥から荒々しい何かがせり上がってくる気がした。

 今すぐ彼女に掴みかかり罵倒し、その言葉を撤回させてやりたい衝動に駆られる。

 それを血が滲むほど拳を握ってやり過ごす。

 代わりに思考が動く。躊躇いを捨て、迷いを消し、そうして一つの答えを得た。


 ラインハルトの様子がおかしい原因が自分ではないかと思い至ったヘレーネはどうすれば彼がもとに戻るか考えた。

 その結果、自分が離れさえすれば、ラインハルトは元の彼に戻るのではないかと思いついたのだ。

 実に安易で短絡的な結論である。

 さらに、タイミングも悪い。

 ラインハルトは正常な判断力が失われ、さらに夢のせいで精神的に追い詰められている状態だ。

 そしてヘレーネは言葉が足りなかった。

 結婚自体は嬉しいがラインハルトの不穏な様子が不安であるという自分の気持を告げていれば、あるいはちゃんとラインハルト向き合っていれば、あんなことは起きなかっただろう。

 ようは、二人揃って間違えてしまったのだ。


「そうか、それなら仕方がないな」

 穏やかなその声にヘレーネは顔をあげる。

 ラインハルトはヘレーネでも今まで見たこともないほど、優しげな笑顔を浮かべていた。

「いや何、俺も無茶を言って悪かった」

「え? あの……」

 突然の変わりように戸惑うヘレーネを無視してラインハルトは続ける。

「ああ、もしかして断る権利なんてないって言ったことか? 気にしなくていい。あれはただの冗談だから」

「そ、そうなのですか……?」

「ああ。それはそうとして、エリカ君たちと冬休みに会う約束はしているのか?」

「あ、いいえ。まだなにも」

「そうか。きっといろいろ忙しくなるから、止めておいたほうがいいな」

「はい……」

 顔には笑みを貼り付けながら、淀みなく喋り続ける自分の言葉をラインハルトは他人事のように聞いていた。

 ヘレーネも笑って見せているが、その笑顔はどうみても引きつっている。ラインハルトの真意を測りかねているのだろう。

 けれど、もうそれでいい。

『お前のような者は生まれてきてはいけなかった!!』

 不意に誰かの言葉が頭に浮かんだ。

 自分がしようとしていることを考えれば、なるほど確かに真実である。

(ヘレーネも可哀想に……俺となんて、出会わないほうがましだったな……)

 自分がやろうとしていることが間違っていることを理解している。過ちを、そうだとわかっていて犯そうとしている。

 自分はこんなにも救いようのない愚か者なのだと、初めて知った。

 けれど、止められない。止めることは出来ない。それだけは、絶対に。


「今のうちに沢山遊んでおくといい。冬休みになれば、もう会えなくなるんだからな」

 そう、永遠に。


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