第三十五話 監禁と救出
「うわぁ、すごい人だねえ」
闘技場を埋め尽くす、人、人、人。
それに圧倒されたのかエリカは目をパチクリさせる。その気持ちはヘレーネにもとてもよくわかった。
彼女は今回で二回目だが、相変わらず闘技場を埋め尽くす人の多さには圧倒されてしまう。
今日はセントラル学園が誇る武術大会当日。大半の生徒にとっては楽しいお祭りで、一部の生徒にとっては将来がかかった勝負の日である。
今大会にはシリウスは勿論、アンリやニコラスも出場している。特にシリウスは今年こそ優勝してやると張り切っていたが、ヘレーネとしては是非ともラインハルトに優勝してほしかった。
なんといっても三連覇がかかっているのだ。長い歴史を誇るこの学園でも武術大会を三連覇した者はほとんどいない。
周りも三連覇を成し遂げるか否かを話しているのが聞こえる。
「ねえ、私達も座席を見つけよう。早くしないと座れなくなっちゃう」
「そうですね……わぁ!」
エリカの声に同意しどこか空いてるところを探そうとしたヘレーネだったが、突然体を押され倒れてしまう。
「ヘレーネちゃん!?」
慌ててエリカが駆け寄り、手を差し伸べる。
「大丈夫?」
「はい、なんとか……」
振り返ってみると数人の女子生徒の背中が走り去っていくのが見えた。状況から見て彼女たちにやられたのだろう。
夏休み以降、こういった嫌がらせを受けることが度々あった。自分は犯罪者の娘だからある程度仕方がないとヘレーネは諦めていたが、今回のようにエリカが傍にいる時にされたのは初めてだ。
憂鬱な気持ちになったヘレーネは胸元に手をやる。その時、違和感を覚えた。
「あれ……ない?」
誕生日に贈られてから、毎日首から下げていたペンダントがなくなっていた。さっきまであったのだから、いつなくなったのかは明白だ。
「エリカさん、ごめんなさい。先に行ってて! 私ちょっと用ができたから!」
「え、ヘレーネちゃん?」
ペンダントを取られたことで頭が真っ白になったヘレーネはろくな説明もしないまま走り出す。
(どうしよう、どうしよう! ラインハルト様からいただいたものなのに!!)
何をしてでも取り返さなくては。
それだけを考えてヘレーネは必死にさっきの女子生徒達を探す。
結果的に、その女子生徒たちは見つかったし、ペンダントも取り戻せた。
彼女たちはヘレーネが来るのを見越していたように闘技場外にいて、ヘレーネをそのまま学園内に連れて行く。
「あ、あの、ペンダントを返してください」
「うるさいわね、黙ってよ」
「でも、あれは大切なもので」
「黙ってって言ってんのよ!」
女子生徒の一人がヘレーネの頬を叩いた。体を強張らせて萎縮するヘレーネに気をよくしたのか他の女子生徒たちも口を開く。
「あんた自分の立場わかってるの?」
「ラインハルトさんに助けてもらったからっていい気になって。鬱陶しいのよ」
「少しは身の程をわきまえなさい!」
女子生徒たちの暴言にヘレーネは口をつぐむ。
きっと今何を言っても返してもらえない。この際リンチでも何でも受けるからそれで返してもらおう。そう腹をくくる。
ヘレーネが連れて行かれたのは主に特別授業で使う教室とその準備室が並んでおり、あまり人がやって来ない区画だ。しかも今は武術大会中だということもあり、人っ子一人いない。
その中の一つにヘレーネは突き飛ばされた。
「きゃあ!」
倒れ込むヘレーネに一人の女子生徒がペンダントを投げつける。
「そんなガラクタに必死になって、馬鹿みたい」
「ラインハルトさんの優しさに付け込むなんて最低」
「反省してなさい」
「夕方には出してあげる」
そう言って無情にも扉は閉められた。
慌てて駆け寄るもドアはびくともしない。恐らく何か細工をされたのだろう。
「開けて! お願いです、開けてください! 誰か!」
ドアを叩き、大きな声をあげるも、誰の返事もない。
暗い密室というのはそれだけで人に恐怖を与えるものだが、そこに他人の悪意が絡まったことで、より一層強い恐怖が芽生える。
「……どうしよう」
一応学園内だからそのうち誰かが来てくれるだろうが、大会中は期待できない。
辺りを見渡すも、役立ちそうな物は見つかりそうもなくヘレーネは座り込んだ。
「それにしても、なんだろう、ここ……」
ゴホッゴホッと、小さく咳き込む。
長い間、空気の入れ替えをしていないのか、それとも高く積まれた埃のせいか、なんだか変な匂いがして気持ちが悪い。
押し寄せる不安をなだめるようにヘレーネは拾い上げたペンダントを強く握った。
(……ラインハルト様の試合、見たかったな。エリカさんも心配してるだろうし)
ヘレーネは大きなため息をついた。
試合は順調に進んでいった。
大方の予想通り、前回と前々回の優勝者ラインハルトは危なげなく勝利を重ねる。
彼が勝つたびに歓声が沸き上がるが、そんなもので心揺れるラインハルトではなく、これから戦うであろう選手たちの戦いぶりを観察していた。
(やはり一番警戒すべきはシリウス・キーツ。この一年で随分腕を磨いたようだ。次点でアンリ・ペルネリアか、ニコラス・ルイス程度だな。それ以外は大したことはない)
ラインハルトは不意に会場をぐるりと見渡した。
今日はまだヘレーネの顔を見ていない。しかし、ここにいるのは確実だ。
きっと彼女は三連覇が達成されれば自分のことのように喜んでくれるだろう。
それを想像して、ラインハルトの口元が緩む。
けれど、どうしてだろう。次の瞬間、彼は嫌な感じがした。
「……なんだ?」
言うなれば虫の知らせ。つまりはただの勘。
それを気の所為と断じるのは容易く、今この大事な大会中にそんなものにかまけるのは愚行であろう。
しかし、ラインハルトはそれを無視しなかった。
(……ヘレーネはどこだ?)
彼女に会えば何かわかる。少なくとも、この時はそう思った。
「いないなあ……どこ行っちゃったんだろう?」
エリカは闘技場を歩きながら途方に暮れていた。
ヘレーネが去ってから時間が随分経ったのに、未だに彼女が戻ってこない。
これだけ広くて人も多いのだから、他の場所から観戦している可能性もある。
けれど、なんだか嫌な予感がしてこうして探し回っているのだ。
だがいくら探してもヘレーネの姿はどこにもなく、どうしたものかと悩んでいるとある場所の存在を思い出した。
「もしかしたら、あそこかも」
「え? ヘレーネが?」
出場選手控室で自分の出番を待っていたシリウスは突然やってきたエリカの言葉に首を横に振る。
「いや。ここには来てないぞ」
「そっかあ……」
あてが外れて、エリカは肩を落とす。
「そんなに心配しなくてもいいんじゃないか? 流石にここで迷子になってるってことはないだろうし、きっとどこかで観戦してるさ」
「……それはそうかもしれないんだけど」
けれど、どうしても不安なのだ。しかしそれを上手く言葉には出来ないのが歯がゆい。
どうしようかと悩むエリカだったが、そこでヘレーネを探そうとしていたラインハルトが彼女に気づき声をかける。
「エリカ君、よかった。丁度探そうと思っていたんだ。ヘレーネはどこだ?」
エリカとシリウスは目を合わせ、彼に事の次第を説明した。
話を聞いたラインハルトの雰囲気が剣呑なものとなり、エリカとシリウスは驚く。
やがて彼は何かを考えついたのか、走り出した。
「すまない、少し席を外す」
「え、ちょ、ラインハルトさん! 試合はどうするんですか!?」
背後から聞こえる言葉に応じる余裕はなかった。
(学園から出れば流石に目立つ。恐らくヘレーネは学園内の、それも人の少ない場所にいるだろう。何処かに閉じ込められてるとみるべきか)
ヘレーネの自室にいるであろうシャインにも繋いで探させる。
とにかく一刻も早く見つけ出さなければいけない。
急ぐラインハルトだったが、その前に一人の男が立ち塞がった。
「どこに行かれるのですか?」
ラインハルトは男と面識はない。しかし、誰なのかは知っていた。
「……忘れ物を取りに行くだけですよ、司祭殿」
王都にあるセーラティア教会のマーロン司祭。
闇属性を持つラインハルトには例えこんな状況でなくとも関わりたくない相手であった。
「ほほう、何をお忘れなのかな?」
「貴方に言う必要がありますか?」
時間が惜しいラインハルトはそのままマーロンの横を通ろうとする。しかし、それをマーロンは許さない。
「貴方は罪から逃げおおせるとお思いでしょうが、そんなことはさせませんよ」
「……申し訳ありませんが今は急いでいるのです。つまらない言いがかりは」
「貴方のご家族のことですよ」
ラインハルトは足を止める。それだけの力がマーロンの言葉にはあった。
「貴方には両親と兄がいた。しかし、母親と兄は同時に、父親はその一ヶ月後に亡くなっている。母親と兄は強盗に殺され、父親はそれを苦に投身自殺した、ということになっているようですが私の目は誤魔化せません」
「…………そんなことをわざわざ言いに来られたのですか。聖職者も随分と暇に見える。しかし私は忙しいので、これで」
「お待ちなさい!!」
マーロンはなおも引き留めようとするも、ラインハルトは耳を貸さない。
「お前には必ずや神の鉄槌が下る!生まれた時より罪に汚れた者よ、お前のような者は生まれてきてはいけなかった!!」
憎悪を内包した言葉が突き立てられたが、それでももう足を止めることはしなかった。
(くそっ、ヘレーネどこだ!?)
学園を探し回るラインハルトだったが、一人と一匹では広大な校舎を回りきれず、焦燥感のみが募る。
そろそろ試合の時間だが、しかしラインハルトは戻るつもりなんてなかった。むしろこのまま不戦敗しても構わないと思っている。
ヘレーネは悲しむかもしれないが、今はヘレーネの安否の方が大事だ。
そう思っていたラインハルトの耳に猫の鳴き声が聞こえた。
それがシャインだと気づいたラインハルトが声の方へ向かうとやはり黒猫が待ち構えていた。
走り出すシャインについていくと、そこに一枚の栞が落ちている。ラインハルトはそれがヘレーネの手作りの物だと知っていた。
「ここらへんか」
準備室や特別授業でしか使わない教室が並んでいるここは普段から人通りが少ない。何かを隠すにはうってつけだろう。
ラインハルトが辺りを見渡すと、一つ妙なドアがあった。
ドアノブに紐が巻かれ、動かないように固定されているのだ。
ここだと確信したラインハルトはロープを解き、ドアを開ける。
「ヘレーネ! 無事か!!」
そこで彼が目撃したのは、床に倒れるヘレーネの姿だった。
「ん、ん……」
「あ、ヘレーネちゃんよかった!気がついたの!?」
ヘレーネが目を開けて真っ先に飛び込んだのは心配そうな顔で覗き込むエリカの姿だった。
「エリカ、さん?」
「うん、そうだよ! よかったぁ……」
エリカの目尻に涙が溜まっているのに気づき、どうしたのかと問おうとしたヘレーネだったが、ふとここが医務室でエリカの他にもユージーンがいることにも気づいた。
「ヘレーネ君、無事でしたか」
「はい……あの、何があったんですか……?」
「倉庫の中で倒れていたんですよ。覚えていませんか?」
ユージーンの言葉に、ヘレーネは自分が閉じ込められていたことを思い出す。そして、どうしてだかそのうち意識が遠のいて気を失ってしまったことも。
「ラインハルトさんが見つけてくれたんだよ」
「ラインハルト様が? それじゃあ、私、大会が終わるまでずっと」
「違う違う。大会途中でラインハルトさんが見つけてくれたの」
エリカの言葉にヘレーネは驚きを隠せない。
「え? 途中で負けてしまったの?」
「そうじゃなくて……私がラインハルトさんにヘレーネちゃんが戻ってこないってことを伝えたの。そうしたら飛び出していって」
「えええ!!」
思わず叫んでしまう。
だってそうだろう。ラインハルトは三連覇がかかった大事な大会だったのだ。
それなのに途中で抜け出すなんて、ヘレーネには信じられない。
「もしかして、私のせいで……」
ヘレーネの顔が青ざめていく。自分を探したせいでラインハルトが優勝を逃してしまうなんて閉じ込められたこと以上に恐ろしい。
だが、それは違うとエリカが否定する。
「大丈夫だよ。ちょっと危なかったけど不戦敗になる前にちゃんと戻ってきたし、優勝もしたんだから」
「ええ。正直、戻ってきてからは気迫が違いましたね」
二人の説明にヘレーネはほっと胸を撫で下ろした。
「よかったぁ……」
「それでは、私は他の先生方にヘレーネ君が起きたことを知らせてきますね。ここでゆっくり休んでいてください」
「はい、ありがとうございます」
パタンと扉が閉められると、ヘレーネはエリカに「ごめんね」と謝った。
「いろいろ心配かけちゃったんですね。大会、ちゃんと観られなかったんじゃありませんか?」
「そんなの気にしなくていいよ。ヘレーネちゃんが無事で本当によかった」
それが嘘偽りない本音だとヘレーネにもわかる。なんだかこそばゆい気持ちになって少し顔を俯けて「ありがとう」と告げた。
こうして、ヘレーネの学園生活二回目の武術大会は終わったのだ。




