第三十三話 マーロンの義憤
日が昇り始める頃、マーロンは目を覚ます。教会の一室で寝泊りしている彼の部屋は非常に質素でベッドや衣服、セーラティア教に関する本とそれを収納する本棚、小さなテーブルとイスのみ。娯楽品の類は一切存在していない。
マーロンにとっては毎日が神に仕え、捧げる修行であり、遊んでいる時間は一秒も存在しないのだ。
身支度を整えたマーロンはまず教会の掃除を行う。教会は迷える人々が神に祈る神聖な場所なのだから、それに相応しい美しさを保たねばならない。
隅々まで掃除を終え、ようやく朝食を口にする。それは一般的にはお粗末と言える献立だったが、娯楽は堕落への一歩だと考える彼にとってはこれで充分であった。
教会の扉を開けると人々がやってきては神に祈りを捧げていく。そんな人々と言葉を交わしながら、マーロンはその光景を眺めるのが好きだった。
「もしや、あなた様はマーロン司祭でしょうか?」
そう声をかけたのは見覚えのない中年男性であった。
「はい、そうですが、あなたは?」
「ああ、これは失礼。私はモーガンと申しまして、普段は農民をやっておるのですが、たまにこうしてよそへ野菜を売りにくるのです。この街には昨日やってきたのですが、以前からこの教会にはマーロン様という素晴らしい司祭がおられると聞いておりましたので、ぜひご挨拶にと」
神学校では優等生であり克己心が強く、誰よりも修行熱心だった彼は同じ司祭の中でも評判が良かった。それは今でも変わらず、こんな風にわざわざ彼に会いに来る者もいる。
「おお、わざわざ私に会いに来てくださったのですね。それはありがとうございました。しかし、野菜を売りにくるなど大変でしたでしょう。どちらからいらっしゃったので?」
「はい。カルヴァルス領地から来ました」
「……カルヴァルス」
その言葉にマーロンの眉は僅かに寄る。
「……確かあそこはずいぶん若い領主が治めていましたね。どうでしょう? 何か困ったことはありませんでしたか?」
「滅相もない! ラインハルト様は本当に私たちによくしてくださります。あまり大きな声では言えませんが、前の領主様よりも腕がいいと評判なのですよ」
「……そうでしたか。それにしてもなにか問題を抱えていたのでは?」
「そうですね、ラインハルト様も領主を継いだのは僅か十二歳の時でしたからきっと苦労もなさったはずです」
「十二歳? まだ子供ではありませんか。ご家族はどうなさったのですか?」
「ええ、実は……」
マーロンの家は代々聖職者であり、信仰というものはいつも身近にあった。そんな中で育った彼の信仰心は共に育った兄弟と比べても非常に強く、どんな時でも神への敬愛を忘れない。そして神に仕える以上の喜びなど存在しなかった彼が司祭を目指すのもごく自然な流れであった。
聖職者として万人に優しく、平等に接する彼であるが、唯一例外となる存在がある。
それが、セーラティアの宿敵、ジードガルマだ。ジードガルマを嫌う聖職者は多いが、マーロンのそれは憎悪にまで達していた。セーラティアの兄でありながら彼女に反旗を翻し、傷つける存在などマーロンにとって許しがたい存在なのだ。
そして、その感情はジードガルマと同じ力を宿す闇属性の者にも向けられる。
邪神の力を持つ呪われし存在。マーロンは彼らをそう認識している。
生まれるだけで背負う罪などない。しかし、邪神によって魂が汚されている彼らは別である。彼らは存在するだけで罪なのだ。
そんな彼にとって、ラインハルト・カルヴァルスというのは見過ごせない存在であった。領主という人々の上にいる立場にいる上に、武術大会で優勝などという名誉も手に入れている彼はどうみても恵まれすぎている。身の程知らずにもその地位にいる彼も彼だが、それを認める周囲も周囲だ。ジードガルマがセーラティアにしたことを忘れたのだろうか。
マーロンとて、何も闇属性の者に死んでくれと思っているわけではない。ただ、彼らは表舞台に出ず、静かにひっそりと、その生涯を贖罪に費やすべきなのだ。人並み以上の幸せを得るなどあってはならない。だからそこから逸脱するラインハルトをどうにかできないかと気に病んでいた。
しかし、それも終わりだ。
夜も深くなり、マーロンは教会の扉を閉ざす。本来ならこの後は一人神に祈りを捧げる時間なのだが、今回ばかりはそうもいかない。
(お許しください、神よ。どうしても、やらねばならないことができたのです)
頭に浮かぶのは顔も知らぬ男の事。
「……ようやく尻尾をつかんだぞ」
やはり、闇の力を持つ者は所詮闇に属する者なのだ。光の神・セーラティアに仕える者としてその蛮行を必ずや白日の下に晒し、断罪を与えねばならない。
その瞳には使命感という名の独善が渦巻いていた。




