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第二十三話 二人の生活

 人の多い町より離れた場所にあるラインハルトの屋敷に迎え入れられたヘレーネは、それまでとは大きく変わった日々を送ることになった。

 まず彼女が寝泊りするようになったのは暗くて汚い屋根裏部屋ではなく、明るくて綺麗な部屋で、そこに置かれた調度品も良いものばかり。寝台は寝心地が良すぎて逆に落ち着かないぐらいだ。

 怪我の治療をしてくれたうえに、服だって家から持ってきた分だけではなくいつの間にか増えていて、さらに美味しい食事も与えてくれる。

 まさに至れり尽くせりで、感謝と同じぐらい申し訳ない気持ちだ。

 けれど、恩返しをしようにもヘレーネにできることなどたかが知れている。むしろ逆に迷惑をかけてしまう可能性の方がずっと高い。

 だからせめて、邪魔にならないように大人しく過ごしている。




「いい天気ね、シャイン」

「にゃあ」

 ヘレーネはシャインを連れて庭へ散歩に出ていた。柔らかい日差しが心地いい。

 後ろには侍女が一人控えているものの、彼女はヘレーネたちから一定の距離を保ち決して会話に加わることはない。

 一切の感情を見せず、空気のような存在感を持つ彼女は使用人としてかなり優秀だ。

 彼女だけではなく、他の使用人たちも同じようなものなので、ここではよほど高い教育を施しているのだろう。ヘレーネのところとは雲泥の差である。

 もちろん使用人だけではない。今散歩している庭や彼女が寝泊りしている屋敷だって隅から隅まで彼のセンスが光り、手入れが行き届いている。

(もう一つのお屋敷にはお邪魔したことがないけれど、そっちも同じように素敵なんだろうな)

 ラインハルトは屋敷を二つ所有していた。

 一つは自分が生活するのに使う物、もう一つは仕事や客人をもてなす為の屋敷らしい。

 ヘレーネがいるのはラインハルトが生活するのに使っている方だ。彼曰く、あちらは人の出入りが多くて落ち着かないだろう、という配慮だった。

 もう一つの屋敷も庭から見える範囲にあるが、見る限りそちらはいかにも貴族の屋敷らしく豪奢な外観をしている。恐らくそれに準じた内装をしているのだろう。

 それに比べ、こちらは飾り気が少なく質素ともいえるのに地味な印象を受けず、むしろ最小限の装飾が全体を引き立てている。ラインハルトの好みなのだろう。

 ヘレーネもこちらの屋敷の方が好きだ。ただ、庭に関してはあちらの屋敷にあるような花々が美しく咲き誇っている庭の方が好みだったが。

「あの、ラインハルト様は今日、いつ頃戻られるかご存知ですか?」

「はい、ラインハルト様のご帰宅予定は昨日同様遅くなるものと思われます」

 よどみなく答える侍女の言葉にヘレーネは少し肩を落とす。

「そうですか……」

「はい、ですから昨日と同じく夕食は先に済ませて構わないとのことです」

 ここの使用人たちはみんな優秀だ。だが、優秀すぎて人間味を感じない。

 私語を慎むどころか、話しているところさえヘレーネは見たことがなく、淡々と職務を全うするその姿をまるで人形のようだと感じることすらある。

「ヘレーネ様、そろそろお屋敷にお戻りください。怪我が良くなったとはいえ、万全とは言えません。ここで体調を崩されますと、学業にも影響が出てしまわれるかと」

「はい、わかりました」

 だけど、こうして何かと気を使ってくれるのでヘレーネには嬉しい存在だった。彼女たちからしてみればあくまで仕事だとしてもだ。

(でも、恥ずかしい話、この人たちの区別がつかないのよね……皆特徴がないというか、同じような顔に見えちゃう……)

 今目の前にいる人物でさえ会ったことがあるのか、それとも今日初めて会ったのか、わからない。元々人の顔を覚えるのは得意ではないが、こうも記憶に残らないなんて、どうしてしまったのだろう。

 申し訳ないので何とか見分けがつくようになりたいのだが、その道のりは遠そうだ。






「ラインハルト様、こちらが先ほどの件の書類です」

「ああ」

 部下から渡された紙に書かれていることを確認し、サインをする。

「それからこちらが治水工事の要望書で、こちらは以前手配された賊についての報告書になります」

「ありがとう」

 次々に渡される紙の束をラインハルトは迅速かつ正確に処理していく。

「治水工事は放っておけば作物の収穫にも影響するから早急に着手する。試算を計上しておいてくれ。賊については――」

 全ての判断、結論を一人で出し、部下に指示を出す。

 実を言うと、その気になればラインハルトは一人で治水工事を終え、賊を捕まえることだってできる。しかし、個人がそんなとんでもない力を持ってると知られれば面倒ごとは避けられないし、領民に仕事を与えるのも領主としての仕事だ。

「今日はもうこれで終わりだな」

「はい、馬車の手配をいたします」

「頼む」

 部下が部屋から出て行ったのを見送って、ラインハルトは体を大きく伸ばした。部下に任せる仕事を増やせば自分の仕事が減ることも理解しているが、そうしようと思ったことは一度もない。

 部下が優秀で真面目な男であることは知っている。しかし、人間なんていつ心変わりするかもわからないのだから用心はしておいたほうがいいだろう。

(早く屋敷に帰りたいものだ……)

 あそこにいるのは『暗影の下僕』で生み出した傀儡だけだ。あれらは決して自分を裏切らず、騙さず、貶めない。

 世界で唯一、ラインハルトが安心できる場所。あそこに他人を立ち入らせたくなくて、わざわざ屋敷を二つ建てたのだ。

(……彼女は夕食を食べただろうか)

 不意に頭に浮かんだのは少し前から自分のところで預かっている少女の顔。シャインの視界から彼女がどういった状況に陥ってるか悟った時は、金をちらつかせて助けたが、あれは必要経費である。

 あの二人は小悪党ゆえに慎重で、見返りが少なくとも危険性が少なくなるよう気を付けているようだが、あれだけの金を一度に渡せば一気にタガが外れてしまうだろう。そうすれば、金を求めるあまり危険性が目に入らなくなる。あとは自滅するのを待つだけだ。

 ヘレーネもこれでますます自分に逆らいにくくなるだろう。両親の自滅に万が一巻き込まれたとしてもどうにかするつもりだ。その後は

「ラインハルト様。馬車の準備が整いました」

「ああ、わかった」

 部下の言葉にラインハルトは思考を打ち切り、席を立った。




「ヘレーネ様、ラインハルト様がお帰りになりました」

「はい、今行きます」

 使用人からかけられた声にヘレーネはすぐに席を立つと玄関に向かった。

 見苦しい姿にならないよう気を付けながら、けれど少しでも早くと急く心に促されるまま足を速める。

「おかえりなさい、ラインハルト様」

「……ただいま、ヘレーネ」

 出迎えに来たへレーネに応じるラインハルトはどことなくぎこちなかった。まるで慣れていないことを自然に振る舞おうとしているようであったが、ヘレーネはそれに気づかない。彼女とて、誰かを出迎えたりなんて慣れていないのだ。

「今日は夕食を食べていないのか。先に食べていていいと言っただろう」

「ごめんなさい、その……やはり、家主より先に食事をするのは、少し気が引けて」

 ヘレーネの口から出た言い訳は本当だが嘘でもある。彼より先に食べることに気負いを感じるのは確かだが、それ以上に本当の理由はラインハルトと一緒に食べたかったのだ。けど、それを言ったところで彼を困らせるだけだろう。

「まあいいか。すぐに食事を用意させよう。俺も君とゆっくり話したいと思っていた」

「はいっ……!」

 その言葉に、大した意味が込められていないと分かっていても、ヘレーネの心は喜びで満たされた。




 この屋敷で出る食事はどれも絶品だとヘレーネは思っている。けれど、飽きないのだろうかとも思っている。

 どうやらここの料理はローテーションを組まれているらしく、五日もすれば同じ料理が出てくるのだ。

 屋敷に来て十一日目の今日はここに来た日にも食べた若鳥のグリルがヘレーネの前に置かれている。

 フォークとナイフで切りわけ、口に運ぶ。

(うん、おいしい)

 素直にそう感じる。

 ちらりとラインハルトを伺うと彼は何かを感じる様子もなく淡々と食品を口に運んでいた。

 ヘレーネがこれを食べるのはまだ三回目だからおいしく感じるが、ラインハルトには食べなれた味だろう。そうであるなら、もうおいしいとかまずいとかそういうことは感じなくなっているのかもしれない。それでも食事の内容を変えないのは食べることに対する興味感心が希薄なのだろうか。

 以前、彼に連れて行ってもらった料亭のことを思い出す。そこで食べた料理はやはりおいしかった。けれどラインハルトはどうだったのだろう。もしかしたら、自分が気づかなかっただけでそこで食べたものもここのものと同じように無感動に咀嚼していたのかもしれない。


「そろそろ休みが明けるな」

「え、あ、そうですね」


 そんなことをつらつら考えているとふいに声をかけられた。

 ついどもった返事をしてしまったが、ラインハルトは気にすることなく話を続ける。

「何か必要な物や不足している物はないか? あったら遠慮なく言ってくれ」

「そんな……もうこんなにお世話になっているのに、望む物なんてありません」

 これ以上高望みするようならそれこそ天罰が下りそうだ。あの家から連れ出してくれただけで、一生の恩なのに。

「ラインハルト様こそ、なにかしてほしいことはございませんか。私、なんでもします」

 口ではそう言いながら、ラインハルトはきっと何も頼まないだろうなと思った。

 自分はすでに一回失敗している。

 それに学力も魔力も地位も運動能力も、何もかもラインハルトの方がはるかに上回っているのだ。ヘレーネにできることが、ラインハルトにできない道理はない。

 だから、ラインハルトの反応は意外であった。

「そうだな……今は無理だが、近い将来頼みたいことがある」

「え?」

 その言葉に驚きを隠せないヘレーネにラインハルトがかすかに微笑む。

「なんだ、冗談だったのか?」

「い、いえ、違います! なんでも言ってください!」

「ああ、ありがとう」

 慌てて言い募るヘレーネにラインハルトはますます笑みを深めた。

「それで、あの、頼みたいことというのは?」

「今はちょっと言えないな。時期が来たら話す」

 そう告げるとラインハルトは食事を再開した。

 ヘレーネもそれ以上追究することはせず、一体なんだろうと内心首をかしげながらサラダを口に運んだ。


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