第十八話 居眠り
冬休みが開け、帰省していた生徒が学園に戻ってきた。
多くの生徒たちにとって学園生活が始まることは喜ばしいことではないらしく、冬休みは短すぎるという愚痴があちらこちらから聞こえた。
しかしそんな中、ヘレーネに限っては違う。
なにせ長い間顔を見ることも叶わなかった想い人にようやく会えるのだから憂鬱など感じている暇はない。
胸を高鳴らせ、第三図書室に向かった。
「ラインハルト様、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりな。ヘレーネ」
そうしてようやく会えた彼は相変わらず格好良い。
「神輝祭のカードありがとうございました。とても嬉しかったです」
「こちらこそありがとう。どうだ? 神輝祭は楽しめたか?」
「あ、はい。街全体が綺麗に飾り付けられてて見ているだけでも楽しかったです」
一瞬頭に教会の出来事が浮かんだもののすぐに打ち消して笑みを浮かべる。
「ラインハルト様は冬休み、どう過ごされていたんですか?」
「ん? いや、別に普通だな。神輝祭の時も領主としての仕事に追われてたから、カードを出すだけで終わってしまった」
「え、そうなのですか?」
意外だった。人気のある彼ならてっきりパーティーに出ずっぱりだと思っていたのに。
しかしそう言われてみると、どことなく疲れているように見える。
「ああ、それにこの時期になると体調が優れない日が多くてな。あまり疲れるようなことはしないことにしているんだ」
「そうなんですか……あ、だったら今日も早くお休みされたほうが」
「いや、そこまでするほどじゃあない。だが、ありがとう」
ラインハルトはそう言って目を細める。まるで眩しいものでも見るようであったが、生憎ヘレーネはそれに気づかなかった。
「それならいいですが、無理だけはしないでくださいね」
「わかっているさ」
ラインハルトの言葉を聞いてもヘレーネとしては心配だったが、本人がこう言っている以上食い下がれない。
けれどあまり負担になるようなことは避けたくて今日はこつこつ練習してきた魔術を披露するのは止めて読書するだけに留めることにした。
(そういえば、魔術を教わることになった時にも思ったけれど、まさかこんな関係になるとは思わなかったな)
今二人は、隣同士で座っているものの会話はほとんどせず、黙って本を読んでいる。
紙をめくる音以外は互いの息遣いしか聞こえるものがない。
以前のヘレーネがこのような状況に陥っていたらきっと心臓がうるさくてとてもではないが読書に集中できなかっただろう。
けれど、今はラインハルトが傍にいても落ち着けるようになった。
決して恋情が薄れたわけではない。むしろ、最初の頃より深くなったように思う。
ではなぜか。やはり、一緒に過ごした時間が自分を変えたのだろう。
思えば自分も随分とラインハルトに自然体で接せられるようになったものだ。たまにであるが冗談や軽口をたたくこともある。
何も特別なことはしていないのに、一緒にいると居心地がいい。今までの人生でそんな相手ができたこともなかったのに不思議なものだ。
ふとここで、ヘレーネはある可能性に気づいた。
(あれ、これって……もしかして、もしかすると、と、友達っていうものじゃ……!)
友達。
前世でも今世でも縁がなかった言葉である。
一緒に出かけたり、ご飯を食べたり、冗談を交わしたり、特に理由がなくとも一緒にいたり、考えれば考えるほど友達という言葉がぴったりだ、とヘレーネは思った。
(友達、友達かぁ……友達だったら、修道院に入った後でもラインハルト様と会えるかな? 手紙とかも送ったりして)
浮かれた気持ちでそんなことを考える彼女を誰が責められるだろう。前述した通り、彼女は友達というものに縁がなかったのだ
そして浮かれていた彼女は自分に近づく存在に気づかなかった。
「……え?」
ふと肩に重みがかかったので、視線を向けるとそこにはラインハルトの頭が乗っかっているではないか。
「えっ」
固まりパニック寸前になるヘレーネだったが、それでもなんとか自分を落ち着かせて彼の様子を伺うと小さく寝息が聞こえてくる。
(……寝て、いらっしゃる?)
見ればその金眼は瞼で閉ざされ、開く様子がなかった。
(本当に疲れているのね……)
ならば彼を起こすという選択肢はない。
(上になにかかけたほうがいいかな……でも、動いたら起きちゃうかもしれないし)
しばらく悩んだのち、ラインハルトが起きてしまえば元も子もないのでこのままでいることを選択する。
動けないというのは少し辛いが耐えられないほどではない。
ただ、ちょっとばかり役得としてラインハルトの寝顔を拝見する。
鋭くも力強い眼差しが瞼に隠れているだけで彼は普段よりやや幼く見えた。いや、年相応に見えるというべきか。
普段の言動や雰囲気から忘れがちだが、ラインハルトはヘレーネとたった一つしか違わないのだ。
前世であればまだ親の庇護下にいるのが許される年である。しかし、彼には守ってくれる親は存在せず、それどころか領民たちも守らなければいけない領主だ。
もしかしたら何か悩んだり迷ったりしても誰にも相談できず、ミスや失敗しても自分でどうにかしなくてはいけないから気の休まる時がないのかもしれない。
ヘレーネができることなど何もない。だから、こうして肩を貸すぐらい安いものである。
「……おやすみなさい、ラインハルト様」
小さく囁いて、ヘレーネはなるべく動かないようにしつつ読書を続けた。
「……ん、ん?」
それからどのくらい時間がたっただろう。
ラインハルトが身じろぎする。
ゆっくり開かれた瞳は戸惑いがちにさまよい、周囲を見渡す。そしてヘレーネの存在に気づくと大きく見開かれた。
「へ、ヘレーネっ!?」
ラインハルトが慌てた様子で身を起こしたのを、ヘレーネはちょっとだけ残念に思った。
「大丈夫ですか、ラインハルト様」
「あ、ああ。……俺は、一体?」
「眠っていたのですよ」
「…………寝ていた? 俺が?」
信じられないといわんばかりのラインハルトが少しおかしくて口元を緩ませながらヘレーネは頷く。
「自覚がなかっただけで疲れていたのでしょう。今日はもうお休みされてはどうです?」
「……そう、だな。その、大丈夫だったか? ずっと寄りかかられて大変だっただろう」
「いいえ、これぐらい大丈夫ですよ」
確かに少々痺れてはいるものの、ラインハルトの寝顔が見られたのだから安い駄賃である。
「本当にすまない。この借りは必ず返す」
肩を貸しただけであってそんな大したことじゃないとヘレーネは思ったのだが何か言う前に彼は席を立ってしまう。
「すまないが、今日はもう帰らせてもらう。君の言うように少し疲れているようだからな」
居心地が悪そうに視線を逸らしながら告げるとラインハルトは引き止める間もなく図書室から出て行った。
「お、お大事に」
かろうじてそう声をかけたものの、届いていたかどうかは怪しい。
ラインハルトらしくない行動にヘレーネは首をかしげる。
(私、何かしてしまったかしら?)
もしかしたら眠ったまま起こさなかったのがいけなかったのかもしれない。
そう思ったヘレーネは次会った時ラインハルトに謝ることにした。
しかし次会った時、ラインハルトは普段通りの彼に戻っていた。
そして謝るヘレーネに対し彼は笑って答えた。
「ん? ああ違う違う。あの時はみっともない姿を見られたから思わず逃げてしまっただけだ。君が何かしたわけじゃない」
「そうだったのですね、よかった。」
ラインハルトの言葉にヘレーネは安堵する。
「そもそも君が謝る必要なんてどこにもないだろう。むしろ謝るべきはこっちだ。これはほんの気持ちなのだが」
そう言ってラインハルトは綺麗な包装紙に包まれた箱をヘレーネに渡そうとするも彼女は慌てて首を振る。
「そ、そんな。大したことはしてませんから、気にしないでください」
「いや、それでは俺の気がすまない。それにこれは君に渡すために買ってきたんだ。受け取ってくれないなら捨てるしかないぞ」
ヘレーネは受け取るかどうか迷ったものの、ラインハルトも引かないのでご厚意に甘えることにした。
「最近人気のある洋菓子店のクッキーなんだ。気に入ってくれるといいが」
「わあ、大事に食べますねっ」
クッキーならある程度日持ちするはずだから、毎日少しずつ食べようとヘレーネは決める。
それから、何か大きな出来事があるわけでもなく、それまでと変わりない日々が過ぎていく。
ただ、ラインハルトは以前よりヘレーネを見つめることがほんのわずかに多くなったのだが、彼女がそれに気づくことはなかった。