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第十六話 冬休み

 自分の呼吸音が煩わしく感じたのは初めてのことだ。

 何とか落ち着かせようとするも呼吸はさらに乱れ、心臓の音は鎮まるどころかさらに大きくなっていく。

 それでもなんとか、少しでも音が拾えるように耳をドアに張り付けると、カツンと小さく聞こえた。

(ああ、間違いない、あいつだ……!!)

 どうして? いつもはもっと遅いはずなのに。

 予定外のことに悲鳴を上げそうになる。

 聞き間違いだろうか。聞き間違いであって欲しい。そう願うも、無情にもまた足音が響く。

 冷たい汗が体中を伝う。

(どうして、どうしてこんなことにっ……)

 あまりに過酷な状況から現実逃避するようにわが身をひたすらに嘆く。いっそ年甲斐もなく子供のように泣きわめいてしまいたい。

 しかし、そんなことをしていては、間違いなく自分は殺されてしまう。

 足音は確実にこっちに近づいてきている。

 室内には乱雑に置かれた木箱と麻袋がいくつも転がっている。これを使ってやり過ごすしかない。

 音を立てないようにしつつも急いで箱を積み、その後ろに麻袋をかぶって身を隠す。耳をすまして外を伺うと足音がすぐそこまできていた。

 袋の破けた箇所から外を見ているとドアがゆっくりと開いた。

 そしてそこにいたのは





「にゃあ」

「ひっ」

 ヘレーネは大きく体を震わせ、手に持っていた本を落としてしまう。

「しゃ、シャイン、驚かせないで……」

 本を拾いつつ、いつの間にか傍まで来ていたシャインに注意するも、シャインは素知らぬ顔でまた媚びるように「にゃあ」と鳴いた。

「……まだご飯の時間じゃないからあげませんよ」

 そう言うとシャインはあっさり身をひるがえし、ヘレーネが用意した毛糸の玉で遊び始めた。

 その様子を見て、現金なんだからとヘレーネはため息をつく。読書の続きでもと思ったが、なんとなく気がそがれてしまったので、ほこりを適当に払って机の上に置いた。

 冬休みが始まってからこうして日がな一日部屋で読書をするのがヘレーネの日課になっていた。

 学園に残った生徒は夏休みの時よりも少ない。

 冬休みの終盤には特別な祭典がある。その日は通常、家族や親しい者と過ごすものとされており、特に貴族は親族や友人を集めてパーティを催して過ごすのが普通だ。だから、学園に残っている貴族はヘレーネだけだろう。

 もちろんヘレーネには帰るなんて選択肢、最初から存在さえしていない。叶うならこのまま一生親とは顔を合わせずにいたいものだが、それは無理だろう。

 夏休みと冬休みは学園に残れるが、春休みだけはそれが許されないのだ。お金さえあれば王都にある宿に泊まることもできるがヘレーネはそんな大金持っていない。

(でも……春休みさえ終わってしまえば)

 春休み。それが過ぎれば、もうきっと一緒に過ごすことはない。

「……さっさと来て終わって欲しいようないつまでも来ないでいて欲しいような、複雑……」

 親のことを考えるとどうしても気持ちが暗くなってしまう。

 だけれど最近はそういう時はシャインに癒してもらうことにしている。

「シャイン、ほーらおいでー」

 猫じゃらしを取り出してシャインの前でフリフリと振るとシャインの目はそれにくぎ付けになる。

 誘い込むようにゆっくり振ると毛玉そっちのけでとびかかってきた。

 右へ左へちょこまかと動き回る猫じゃらしを追いかけるその眼差しは獲物を仕留めんとする狩人のそれである。

「ほーら、ほーら……あ、いたっ」

 悪戯心でシャインが届かないぐらい高くにあげたら、こともあろうかシャインはヘレーネをジャンプ台にして猫パンチを繰り出したのだ。蹴られた箇所が地味に痛い。

 シャインは痛みに呻くヘレーネを見つめているがこれは心配しているのではない。続きを催促しているのだ。

 あれ、一応自分のほうが立場は上のはずなのに、と疑問を覚えつつも猫じゃらしを動かした。




 それから少しでも手を緩めると不満そうな声を出して強制的に続けさせたシャインだったが、次第に飽きてきたのか大きくあくびをしたと思ったら、体を丸めて眠ってしまった。

「……はぁ」

 やっと解放されたヘレーネは大きく息を吐く。

 何故だろう。癒されようとしたはずなのに疲れた。

 けれど、おかげですっかり暗い気持ちは消し飛んでいる。

「……ラインハルト様はお元気かしら?」

 一息ついてふと頭に浮かんだのは想い人のことだった。

 夏休みには何通も手紙が届いたが、冬休みは忙しくて出せないとあらかじめ言われている。忙しいのなら手紙を読むのも手間なのではと思ってこちらからも送っていない。

 正直言って寂しい。

 せめて手紙一つ出したい。

 けれども、今まで出してないのに今更出すのはおかしくないか、ラインハルトに返事を促すことになるのではないか。そう考えるとどうしても筆を執ることができなかった。

 その時、ヘレーネはひらめいた。

「そうだ……カード、カードなら」

 冬にある特別な祭日。

 親しい人が近場にいるなら一緒に祝うが、遠くにいる場合はカードを送る風習がある。

 それなら送りつけても不自然ではないし、内容も一言二言で済むから負担にならない。

 善は急げとヘレーネは出かける支度をして、ドアノブに手をかける。

「それじゃあ行ってくるね、シャイン」

 声をかけるヘレーネをシャインは尻尾を振って見送った。


 街に出ると時期が時期なのでたくさんの種類のカードが売られていた。

 しかし種類が多くてどれを買うべきか悩んでしまう。

(あ、これ可愛い……けど、子供っぽいよね。これは綺麗だけど、女性向けって感じがするし……やっぱり格好いいもののほうがいいのかな。だけど、男の人が好きそうなものってよくわからない……)

 そうして悩みに悩みぬいた結果、ヘレーネが選んだのは三日月と黒猫が描かれているカードだった。

 さっそく自室に戻ったヘレーネはメッセージを書こうとする。

 すると床で寝ていたはずのシャインが机に飛び乗ってきたではないか。

 ヘレーネが買ってきたカードを興味深げに見つめ、顔を近づけてきたので慌てて離す。

「だ、駄目よ。これは大事な物なんだから、おとなしくしてて」

 破かれでもしたらたまらない。机から降ろすもまたすぐに上がってきてしまう。先ほどまでヘレーネが何をしても興味なさげだったのに。

「駄目ったら」

 また降ろして筆記用具を用意している間にまたシャインが登ってきたので降ろして、文面を考えているとまた来たので降ろして、とヘレーネに意地悪するように何度も何度も繰り返す。

 ヘレーネが執拗な妨害に屈せずなんとかカードを書き終える頃には腕がくたびれてしまった。

「シャーイーン……」

 恨めし気に睨み付けられるもどこ吹く風でシャインは空になった餌皿を持ってくる。

 まるで遊んでやったんだから餌を寄越せと言っているようだ。とんでもない王様っぷりである。

「……シャイン、初めて会った頃の可愛げのあるあなたはどこにいったの……?」

 少なくともあの頃はここまでふてぶてしくて我侭ではなかったはず。

 どうやらとんでもない猫かぶりに騙されてしまったらしい。

 やれやれしょうがないなとヘレーネが餌を用意すると、シャインが嬉しそうに喉を鳴らしてヘレーネにすり寄ってきた。

「……もう、調子がいいんだから」

 シャインに振り回されながら、こんなふうに甘えられただけで許してしまうのだからヘレーネもたいがい絆されやすい少女である。


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