第十四話 セーラティア教
昨日、間違えて二話更新してしまったので、予約投稿を修正しました。
「……もう、大丈夫かな?」
厚い本を開いて、そこにあるティッシュに乗せられた花弁が乾燥しているのを確認するとヘレーネはそっと優しく剥がしていった。
ラインハルトから贈られた本と花束をヘレーネはそれはもう大切にした。しかし、本はともかくとして、花はどうしたって次第に枯れてしまう。
けれどヘレーネはどうしてもこの花たちを残したくて、考えた末押し花にすることにしたのだ。
やり方を調べてさっそく実践してみたはいいものの、初めてであったしヘレーネは不器用な人間だったのでなかなかうまくいかず、今回で四回目の挑戦である。
(よかったぁ、うまくいった……)
小瓶にしまわれた数枚の花弁をヘレーネは安堵の表情で見つめた。
これ以上失敗を繰り返したら花が枯れるより先に自分が花を全て駄目にしてしまうと危惧していた為に、成功して本当によかった。
今度はこれを栞にするのだが、今日はもう集中力が切れたので日に当たらぬよう机の中にしまい込む。
窓を見れば、日はまだ高かった。
「どうしようかな……」
このまま夜まで過ごしてもいいのだがなんとなくもったいない。
どうしたものかと考えていると、シャインのキャットフードが少なくなっていることを思い出して、買ってこようと思い立った。
ヘレーネはここ最近、ラインハルトと会っていない。
理由は近々行われる武術大会である。
剣を持ったことは勿論、人に魔術を放ったこともないヘレーネは出場しないが、ラインハルトは別だ。彼は一年の時からこの武術大会に出席している。
勿論、ヘレーネは全力でラインハルトを応援するつもりだが、しかし彼と会えない日々が続いていることには寂しさを感じずにいられなかった。
だが、出場するからには優勝を狙うつもりだし、万全の状態でなければ対戦相手にも失礼になると言ってトレーニングに精を出しているラインハルトの邪魔にはなりたくないので会いに行くことはしなかった。
だから彼女は寂しいと訴える心に蓋をして日々を過ごしていたのだ。
キャットフード自体はすぐに購入できた。
けれど、ただキャットフードを買って帰るのは味気ない。
暇つぶしがてら書店や雑貨屋などを冷やかしながら適当に散策していると、教会が目に入った。近づいていくとその荘厳で美しい姿に圧倒される。
こちらにくるのは初めてなので、教会がある事自体知らなかった。
しかし、それが何の教会なのかはわかる。
この国で最大の宗教、セーラティア教だ。名前にある通り、光の神・セーラティアを崇めている。
ジードガルマを倒したセーラティアは人々を先導し平和を築いた後、自分の役目は終わったとして眠りについた。そして、長年彼女に従者として尽くし、眠りについた時に後のことを任されたのがセーラティア教の創立者と言われている。
中を覗いてみると祈りを捧げている人たちがたくさんいた。
「どうかなさいましたか?」
突然声をかけられ驚いて振り向くとそこには男が一人立っていた。穏やかで人の好さそうな男性である。服装からみて教会の人なのだろう。
「あ、えっと、その……」
「もしかしてお祈りにいらっしゃったのですか? どうぞ、お入りください」
「は、はい……」
男の笑顔になんとなく覗いていただけだとは言いがたく、ヘレーネは勧められるまま教会の中に入った。
「申し遅れました。私は最近この教会に赴任して来ました、司祭のマーロンといいます。よろしくお願いしますね」
「あ、ヘレーネです。よろしくお願いします」
教会の中にはセーラティアを模した女神像が人々を見守っている。静かだが厳かな空気に包まれている教会内でヘレーネの背筋は自然と伸びた。
「どうぞ好きな場所にお座り下さい。祈ることに何か特別なことをする必要はありません。心の中で神を思い、自分の言葉を捧げればよいのです。どんな言葉であれ、神はきっとお喜びになるでしょう」
「はい、ありがとうございます」
中にいた人々はマーロンの存在に気づくと、笑顔で挨拶をしてきた。
「おお、これはマーロン様、お元気ですかな?」
「ええカールさん。おかげさまですこぶる良好です」
「せんせー、こんにちは」
「はい、こんにちはモニカ」
「お久しぶりでございます」
「オクタヴィアさん! もう腰の調子はいいのですか? どうぞご無理をなさらないでください」
「司祭、あとでちょっとご相談が」
「おやジョセフ、もしかしてまた奥さんと喧嘩したのかい?」
多くの人から慕われるその姿に彼にどれだけ人望があるか見て取れる。
ヘレーネは彼らから少し離れた場所に座ると手を合わせて目を閉じた。彼女が祈ることは一つだけだ。
(どうか、どうかラインハルト様がいつまでも健やかに、長く生きてくださいますように……)
祈り終えて目を開けるとセーラティア像の微笑みが先ほどより深いような気がして、なんだか応援されたような気持ちになった。
「おや、もう帰られるのですか?」
「はい、失礼します」
「またいつでもいらしてくださいね」
マーロンに見送られてヘレーネは教会を出る。
教会には初めて入ったが、不思議と居心地の良い場所だった。
(機会があったらまた行ってみたいな)
キャットフードを隠し持って学園に戻ったヘレーネだったが、その足は寮には向かわず、演習場に進んだ。ラインハルトがいるかもしれないと思ったからである。
(一目だけ……少し遠くから見るだけ……)
心の中でそう言い訳する。
今までもこうして、会いに行くのではなく、顔を見るだけという名目で演習場に足を運んだことは何度もあった。
いつまでも屁理屈めいた言い訳を自分にし続けてずるずる続けてしまうぐらいなら、もういっそ開き直ってしまった方がマシかもしれないがそれに気づける彼女ではなかった。
とはいえ、何度訪れてもそこにラインハルトがいることはなかったのだが、今回は演習場に人だかりができていた。
「練習試合?」
「ラインハルトとヴェイグだってさ」
「へえ、そりゃすごい組み合わせだな」
「どっちが勝つと思う?」
「やっぱりラインハルトじゃないか」
「いやヴェイグの方だろ」
そんな会話が聞こえ、ヘレーネは期待に胸を膨らませる。
人の隙間から奥を覗いてみるとラインハルトの姿とそれに相対するように立っている青年がいた。二人共木刀を手に睨み合っている。
先に動いたのは青年の方だった。
彼は果敢に斬りかかるも、それをラインハルトが避けるか木刀で受け止めるなどしてさばいていく為、一向に当たる気配がない。
やがてスタミナを消耗したのか、青年が動きを止めるとすかさずラインハルトが攻撃を打ち込んだ。
「あ……」
それはヘレーネの言葉だったかもしれないし、観客の誰かだったのかもしれない。
次の瞬間には勝負がついていた。青年が持っていたはずの木刀はその手を離れて宙を舞い、床に落ちていった。青年の方も何が起こったのかよくわからないような顔で尻もちをついている。
「勝負あったな」
沈黙が走る中、口火を切ったのはラインハルトだった。
「いい修練だった。また頼んでもいいか?」
「ああ、勿論だとも。こちらこそお願いしたい」
握手を交わす二人に観客は拍手を送る。ヘレーネも最後列で手を叩いていたが、不意にラインハルトがこちらの方を向いて手を振る。
「えっ」
もしかして自分に気づいたのかと一瞬思ったが、自分の前方にいた数人が彼に駆け寄ったのを見て思い違いに気づく。どこかで見覚えのある彼らは確か、ラインハルトのクラスメイトだったはず。つまりラインハルトは彼らに手を振ったのだ。
(うわぁ、勘違いしちゃった。恥ずかしい……)
別に誰かに知られたわけでもないがどうにも居た堪れない気持ちになり、ヘレーネはその場を後にする。
それにしてもラインハルトが剣を振るうところを初めて見たけれど、予想以上に格好良かった。
きっと武術大会ではもっと格好いいところがたくさん見られるのだろう。
これは何が何でも見に行かなくてはとヘレーネは心に決めた。