第十三話 彼女の誕生日
予約投稿の日付を間違えて、二話更新してしまいました。
前の話からご覧ください。
ヘレーネはその日、とても晴れやかな気持ちで目を覚ました。昨夜はなかなか寝付けなかったのに不思議と眠気はない。
その理由はとても簡単で、今日は彼女の16歳の誕生日なのだ。
去年までだったらこの日がきても何も思わなかっただろう。もしかしたら誕生日が来たことにすら気づかなかったかもしれない。
だけど今年だけは違う。実はラインハルトからプレゼントをもらう約束をしているのだ。
その為ヘレーネは幾日も前からこの日を指折り数えて待っていた。
(早く放課後にならないかしら)
まだ目覚めたばかりだというのにもうそんなことを考えながらヘレーネはベッドから出た。
浮き浮きと胸踊らせるヘレーネだが、授業は真面目に受けなければいけない。
幸い、教室につくまでには気持ちを整え、内心そわそわしながらも平静を装うことができるようになっていた。
「それでは今日は使い魔について教えます」
そういうユージーンの腕には白いフクロウが乗っていた。フクロウはお行儀よく教卓に飛び降りると理知的な目で生徒たちを見つめる。
「属性を問わず、契約さえ結べば使い魔を持つことができますが、契約は相手の力が強ければ強いほど難しくなります」
教科書を見れば、魔術師が主に使い魔とするのは小動物であると紹介されている。だが中には魔物を使い魔にした例もあるらしい。
契約した使い魔には定期的に魔力を送らねばならず、魔力を送られ続けた使い魔は知力や身体能力が向上する。といってもこれは魔術師の力量にも左右され、一様には言えないようだ。
使い魔の仕事は主人である魔術師の護衛や貴重品の警備、五感をつなげることによる情報収集、私生活の手伝いや魔術の補助などがあるが、ごく普通にペットとして可愛がる人もいる。
「注意して欲しいのは、使い魔は決して道具ではないということです。魔術師と使い魔は主従関係にありますが、使い魔にも意思と感情があります。それは決してコントロールできないものです。これを蔑ろにすれば使い魔は魔術師に牙をむくでしょう」
実際、虐待していた使い魔に襲われ、重傷を負った魔術師は少なくないらしい。
しかし、ちゃんとした信頼関係を築けば使い魔は頼れる存在なのだ。
ヘレーネの頭の中で可愛らしい小動物がてちてちと動き回りながら自分の手伝いをしてくれたり、帰ってきたらちょこんと座って出迎えてくれたりしているところが浮かび、微笑ましい気持ちになった。
自分でも持てるのか気になったが、どうやら上級程度の魔術師でないと契約ができないらしく肩を落とす。
(『あの子』を使い魔にできたらなと思ったけれど……)
そうしたらもっと仲良くなれるのに。
そう残念に思いつつも、気持ちを切り替えてノートをとることに集中した。
授業が終わり、はやる気持ちを抑えながら第三図書室に向かう。
いつかのように引き止められたらどうしようかと思ったがそんなこともなく無事辿りつけた。
「ああ、来たか」
ドアを開けると先にいたラインハルトが気づいて彼女に笑いかける。
「お待たせして申し訳ありません、ラインハルト様」
「いや、俺もさっき来たところだ」
ラインハルトは手に持っていた花束をヘレーネに差し出す。
「誕生日おめでとう、ヘレーネ」
「ありがとうございます」
誕生日おめでとう。
そんな言葉を今生でかけてもらうのはどれくらいぶりか、ヘレーネには思い出せない。
受け取った花束は小さめだが、淡い色の花々は可愛らしく彼女の心を掴んだ。
次いでラインハルトが取り出したのは綺麗な包装紙とリボンに包まれたプレゼントである。
「俺はそのジャンルに疎いから、人気のあるものを選んできたが気に入らなかったら言ってくれ。すぐ新しいものを用意しよう」
「ふふふ、大丈夫です。大切に読みます」
ラインハルトのプレゼントは恋愛小説だ。前にラインハルトから聞かれた時それがいいと答えたのだ。
厚さや重みからみて数冊はあると思われる。今から読むのが楽しみだ。
「しかし、本当に食事に行かなくてよかったのか? ケーキも無いし」
「はい、もう十分です」
本当はラインハルトに誕生日祝いとして外に食べに誘われたのだが、それは断った。
ラインハルトが傍にいて、プレゼントを貰って、その上美味しい食事だなんて、贅沢過ぎる。
そんなヘレーネを見てラインハルトは何か言いかけるが、出かかった言葉を飲み込んで、代わりに「そうか、それならいい」とだけ言った。
そうして二人だけの慎ましやかな誕生会は終わった。
ヘレーネは寮室に戻っても上機嫌なままで、なるべく破かないように気をつけながら包装紙を解いていく。
そうして現れたのは五冊の本だった。それもどれも厚くで読み応えがありそうだ。
「……わぁ」
そのうちの一つをめくってみると繊細なタッチで描かれた美しい挿絵に目を奪われ、ヘレーネは感嘆の声をあげた。
これはしばらく夜更かしをする日々が続きそうだと思いながらどれから読もうかと悩んでいると、窓の外から「にゃぁ」と鳴き声が聞こえた。
ヘレーネが席を立って窓を開けるとそこには一匹の黒猫がちょこんと座っている。
「今日も来てくれたのね。どうぞ、入って」
ヘレーネが促すと猫はぴょんっと窓辺に飛び乗って室内に入ってきた。
この猫は初めて見かけて以来、何度も会っているうちにすっかり懐かれ、夜毎こうして部屋に訪れるまでになったのだ。いや、もしかしたら懐いているのではなく、ここにくればご飯が貰えると学習しただけかもしれない。
こっそりと買っておいたキャットフードをすっかり猫のご飯入れになったお皿に盛ると猫は金色の瞳を輝かせて食べ始める。
「美味しい?」
ヘレーネが問いかけてみるも猫は餌に夢中で無視する。それに気を悪くすることもなくヘレーネはそれは少し離れた場所から眺めた。
やがて餌を食べ終えると満足したように猫は体を伸ばし、ヘレーネの膝に乗って寛ぐ。ヘレーネがその頭をそっと撫でるとゴロゴロと喉を鳴らした。
餌をくれた礼だろうか、満腹になった後はこうしてヘレーネに体を預けてくれるのだ。
それだけではない。この猫はとても行儀が良くて、決して壁を引っ掻いたり粗相をしたりしない。おかげでペットが禁止されているこの寮でも安心して招き入れることができる。
「ふふ、本当に可愛い子ね」
この子を使い魔にできないことが残念で仕方がない。
(でも、使い魔じゃなくても一緒にいることはできるしね……)
落胆する気持ちを自分で慰めていると、あることを思い出しヘレーネは黒猫に囁くように言った。
「あのね、実はあなたの名前を考えたのよ。沢山悩んだけれど、その代わりとても良い名前を思いついたの」
ヘレーネの声に反応して、猫が彼女を見る。
「シャイン……あなたの名前はシャインよ」
黒い毛並みに金色の瞳がまるで夜空に輝く月のように見えるのでこの名前にした。本当は、この色合いに別の名前が真っ先に浮かんだのだが、その名前はつけられない。
(……『ラインハルト』、なんて流石に呼べないわ……知られたら困るし、恥ずかしいもの)
ヘレーネは黒猫、もといシャインにちゅっと口づけを落とす。
「これからもよろしくね、シャイン」
ヘレーネの言葉をまるで理解したかのようにシャインは「にゃ」と鳴いた。
一人と一匹がこうして一緒に過ごしていることは他には誰も知らないささやかな秘め事、であるはずだった。
しかし、それを知る部外者と呼べる者が一人いた。
(シャイン、か……知らぬこととはいえ、随分と似合わない名前をつけたな)
ラインハルトは苦笑を浮かべる。
彼は今、寮の自室にいた。そんな彼が何故、遠く離れているヘレーネの部屋の様子を知ることができているかといえば、それは彼の使い魔がそこにいるからだ。
ヘレーネが今しがたシャインと名付けた黒猫。それこそが、ヘレーネへの監視役として用意した彼の使い魔なのだ。
ラインハルトは基本的に人を信じていない。だから監視用の使い魔を複数所持している。
使い魔から得られる情報は人づてよりもよほど正確で迅速だし、なにより使い魔は動物だ。ラインハルトの魔力の影響で賢くはあるが、嘘などつかない。つけない。
ヘレーネが裏切る可能性は低いと判断しているが、用心に越したことはないだろう。
だが、よりによって闇属性の自分の使い魔にシャインなんて名前は合わないにも程があると感じざるを得ない。
猫が膝の上で寝ている状態なので、ヘレーネがどんな顔をしているのかラインハルトからは見えないが、それでも想像はつく。
きっと笑っているのだろう。
普段は鉄仮面の女と称されるほど無表情の彼女だが、笑わないわけではない。
ラインハルトはその笑顔を良く知っている。他の者の前だとそうでもないが、自分の前だとよく笑うからだ。
特に、今日プレゼントを渡した時に見せた笑顔は、幸せが溢れ出ているように見えた。
欲しがっていたとはいえ、ただの花束と本である。大した価値はない。それなのにあそこまで喜ぶとは思わなかった。
そんなに欲しい物だったのか、それとも惚れた相手から何か貰ったのが嬉しかったのか、人を好きになったことがないラインハルトにはよくわからない。
けれど、わかる必要もないことだ。所詮、好意や愛なんてものは自己満足や利己主義の一種であり、それをさも美しく尊いものであるかのように飾り付けているだけの代物に過ぎない。
彼女だってラインハルトの外見に惹かれ、そして表面上の優しさに自分を守ってくれる存在だと期待しているだけに過ぎない。そして、その宛が外れれば離れていくのだ。
それは悪いとは思わない。誰だって自分の身が一番可愛いのは当たり前なのだから。
『それじゃあ、おやすみねシャイン』
どうやらヘレーネはもう眠るらしい。今日はもうヘレーネの部屋を覗くのは止めようとラインハルトはシャインとの感覚共有を遮断した。