第十一話 見当違いの糾弾
二学期が始まると、学園は以前の活気を取り戻した。
多くの生徒が夏休み中の思い出話に花を咲かせる中、ヘレーネは一人で変わらず過ごしていた。
ラインハルトと協力者という関係になったものの、当面は何もしなくていいと言われている。
そういうわけで、彼女は今日もいつも通り第三図書室に向かっていたのだがその前にある人物が現れた。
「あなた、ちょっといいかしら」
「……カトリーヌさん」
あの祭りの日に偶然会って、その帰り際に睨みつけていた先輩の登場にヘレーネは萎縮してしまう。しかしそんなヘレーネの様子などお構いなしにカトリーヌは彼女を廊下の隅に連れ込んだ。
「一体どういうつもり?」
「あの、何のことでしょうか?」
「猫をかぶらないでください。ラインハルトのことです」
「ラインハルト様の……?」
カトリーヌの言いたいことがわからず戸惑っていると彼女は大きく溜息をついた。
「あなた、どうせ財産が目当てなんでしょう? 彼は確かに多額の資産を持っていますが、それは先代からの遺産ではなく、彼自身の手腕で築いたものなのです。それを他人が掠め取るなんて、あってはならないことですわ」
「は、はあ……」
「ラインハルトは優しいですわ。誰にでも情けをかけるその得難い心は、まさに貴族の鑑といえるでしょう。ですが、今私はその優しさが歯がゆいです。貴方のような人間が付け込む隙ができてしまうのですからね」
「…………」
なんだかよくわからないが、つまり自分はお金目的でラインハルトに近づいていると思われているということはヘレーネにも理解できた。
とんでもない誤解であるが、しかし実家のことも考えればそれも無理も無いだろう。ここは誤解を解かねばとヘレーネは口を開いた。
「あ、あの……」
「言っておきますが、ラインハルトが許したとしても私は許しませんよ。貴方のような貴族としてどころか、人としての誇りもないような人間が、甘い蜜を吸う為に彼を利用するなんて……そんな唾棄すべき行為、看過できませんわ」
「ご、誤解です……私、そんなつもりは」
「あなた、この期に及んでまだそんな言い訳を」
「本当です、信じてください」
「いい加減になさい! 私にそんな虚言が通用するとでも思っているのですか!?」
「だ、だから……」
いくら弁解してもカトリーヌは聞く耳を持たってくれない。
どうしたら良いのか途方に暮れるヘレーネだが、なおもカトリーヌの追及は止まらない。
「とにかく、今後一切彼には」
「女の子が二人揃ってそんなところで何を話してるの?」
突然声をかけられ、驚いた二人が振り向くとそこには一人の男子生徒がいた。
赤い髪とオレンジの瞳、華やかな外見をしている彼とは面識がないが、ヘレーネは彼が誰なのか知っている。
「アンリ君……」
「ご無沙汰してますね、カトリーヌさん」
アンリ・ペルネリア。貴族子息の攻略対象の一人だ。
「……何のようですか? 私達、今大事な話をしているのですが」
「いえね、淑女たちの可憐な声が聞こえてきて、それに誘われるがまま来てしまったんですよ。よかったら俺も混ぜてくださいな」
「はぁ……あなたのその軟派な性格、直したほうがよろしくてよ」
「ははっ、いやぁこればっかりはどうにも。なにせ世の中には魅力的な女性が多いもので……ところで」
何を話されてたんですか?
アンリの質問にカトリーヌはヘレーネを睨みつけて少し距離をとった。
「この子が見ていてあまりに酷いものだから注意していたのです。……それなのにちっとも聞いてくれなくて」
「それでわざわざ後輩の指導を? 流石カトリーヌさんだ。彼女も二年生の中心人物である貴方さんから指導を受けられて光栄でしょう」
でも、とアンリは付け加える。
「誰しもがカトリーヌさんのように優秀ではないんです。少しぐらい大目に見てあげてはどうでしょう?」
そう言ってアンリはカトリーヌに笑いかけた。
アンリの言葉にカトリーヌは少し考えこんで「そうですわね」と呟く。
「これ以上何を言っても無駄なようですから、今日はここまでにします。アンリ君、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、カトリーヌさん」
ヘレーネを睨みつけた時とは違ってにこやかに挨拶をして去っていくカトリーヌをヘレーネはぼんやりと見送った。そしてその背中が見えなくなってようやく緊張がとけ、大きく息を吐いた。
「君、大丈夫かい?」
心配そうに声をかけるアンリにヘレーネは「はい、大丈夫です」と返事をする。
「ありがとうございました。助かりました」
「いいよ、気にしないで。……でも、君なんであの人に目をつけられちゃったの?」
「……私が、ラインハルト様にお金目的で近づいていると思っているようで」
「ああ、なるほどね。確かにあの二人はよく一緒にいるから……さっきも言ったけど、あの人二年の中でも中心的な人だし、実家も力が強いから、素直に従ったほうがいいよ」
「……それは」
それはつまり、ラインハルトには近づくなということだ。それはできないし、したくない。
押し黙るヘレーネに、アンリは「まあ、無理にとは言わないけど」と言う。
「でも、何かあったら先生に言いなよ。君の担任はたしかユージーン先生だよね? あの人ならきっと力になってくれるだろうし」
「はい、ありがとうございます」
「うん、それじゃあね」
アンリが去った後、ヘレーネはどうしようかと頭を抱えた。
(カトリーヌさん、今日はここまでって言ってたわ。……ということは、これからも何か言われるってことよね? ……嫌だなぁ)
カトリーヌにまた責め立てられることを考えると今から胃が痛むようだ。しかし、それでもラインハルトと距離を置くという選択肢はない。
(だって、来年までだから……)
来年、両親が捕まって、自分がここから出て行くまで、それまでは何があってもあの人の傍を離れたくない。前までは遠くから見ているだけでよかったのに、今はもうそれでは足りない。
「……戻ろう」
第三図書室に行こうと思っていたのだがすっかり気持ちが萎えてしまった。今日はラインハルトとの約束も無いし、寮室に帰ることにする。
その途中、男子生徒たちが走りこみをしているのを見つけた。
「こらー! もっと気合入れて走れー!! 武術大会まで時間がないんだぞ!!」
彼らを指導しているらしい教諭の怒号を聞いて、ヘレーネはもうそんな季節なのかと思った。
武術大会とはゲームにもあったイベントである。
学園に所属する生徒なら誰でも出場が可能で、学園外からも多くの人が観戦にくるのだ。
(ラインハルト様も出場なさるのかしら? もしそうならぜひ応援したいな)
ラインハルトの勇姿を思い浮かべるとヘレーネの沈んだ心は少し浮上する。
その時、突然近くの草陰が揺れた。
「え……!?」
ヘレーネがそちらに目を向けると、何かがぬっと出てきた。よくみればそれは黒い猫だ。
猫は金色の瞳でじぃっとヘレーネを見つめた後、しっぽを揺らしながら足下まできて甘えるように体をすり寄せた。
「か、かわいい……」
しゃがんで手を差し伸べてみても猫は逃げだすどころか、舌を出してチロチロと舐めてくるではないか。
「ふふ、人懐っこい猫さんなのね」
何か餌をあげられればいいが、生憎と何も持ち合わせていない。
「ごめんね、何もあげられないの」
名残惜しげに手を引っ込め、ヘレーネは「じゃあね」と手を振って猫と別れた。
「……にゃー」
猫は寮の中に消えるまでヘレーネをじっと見つめていた。




